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[2021.05]【沖縄・奄美の島々を彩る歌と踊り10】 沖縄のハーリー行事 −爬竜船競漕と龍蛇神への願い−

文:久万田晋(くまだ・すすむ 沖縄県立芸術大学・教授)

 沖縄では、旧暦5月4日に各地でハーリー行事(爬竜船競漕)が行われる。この日の朝、沖縄ではハーリー行事の始まりを知らせる鐘が鳴ると梅雨が開けると言われている。これは元々中国中南部に由来する行事であるが、それ以外にタイ、ラオス、カンボジア、ベトナム、ボルネオ、香港、台湾と東アジア・東南アジアの各地で行われている。

 爬竜船競漕の起源については、古代中国春秋戦国時代、楚の政治家屈原(くつげん)にまつわる由来譚がある。屈原は楚に敵対する北方の強国秦の謀略に踊らされる懐王を諫めたが、他の家臣からの讒言を受け、楚の将来に絶望して揚子江中流に位置する洞庭湖の汨羅江(べきらこう)に入水自殺した。爬竜船競漕は、この屈原の霊を弔うために始まったとされている。屈原は春秋戦国時代を代表する詩人でもあり、『楚辞』中に数々の作品を残すと言われている。

 沖縄の地にどのように爬竜船競漕が伝わったかについて、『琉球国由来記』(1713年)や『球陽』(琉球国の正史、1745年)にいくつかの由来伝説が記載されている。そのひとつは那覇西村の長浜太夫という人物が中国の南京から伝えたという説である。往時は久米村、那覇、若狭、垣花、泉崎、上泊、下泊など数多くの爬竜船があったが、近世(18世紀)には那覇、久米村、泊の三隻が残ったと記されている。また別説として三山時代(琉球国成立以前)の南山王弟である汪応祖が留学先の南京から南山の有力な城である豊見城に伝えたとの記述もあり、そのため毎年5月4日には漫湖(那覇港奥の入江)を遡って豊見城の麓まで各地の爬竜船が集まったとされている。両説とも中国の南京由来という点は共通しており、そこから那覇あるいは豊見城に伝わり、その後沖縄各地に広まったと考えていいだろう。また旧暦5月に限らず、旱魃時には首里城北の龍潭池でも爬竜船競漕が行われたとの記録がある。さらに中国からの冊封使来琉時にも龍譚池で催されていた。

図1

糸満市名城のハーリー行事(2011年) 撮影:久万田晋

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