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[1982.09]《来日企画》緊急座談会 アストル・ピアソラの音楽

この記事は中南米音楽1982年9月号に掲載されたものです。
アストル・ピアソラは、1921年3月11日生まれ。ピアソラの生誕100年を記念し、中南米音楽1982年9月号より、当時の座談会の模様をそのまま掲載いたします。
《来日企画》緊急座談会 アストル・ピアソラの音楽
出席者
大岩祥浩(ポルテニヤ音楽同好会々長)
京谷弘司(バンドネオン奏者)
湯沢修一(すいよう会々長)
高場将美(音楽評論家)

 今秋11月に初の日本公演をおこなうアストル・ピアソラ。これほどの大物にしては、遅すぎた来日の感があるが、とにかくタンゴ・ファンは今から寝ても醒めてもピアソラのことが頭から離れないに違いない。そこで、今回はタンゴ評論家と愛好家を代表する4氏にご登場願い、ピアソラの音楽と魅力について語ってもらった。最初に白状しておくが、当初はピアソラ派VSアンチ・ピアソラ派みたいな、はずかしい企画の座談会を予定していた。ところが、現在に至っては、ピアソラの音楽を否定する人など、いるはずもない。
 高場、京谷、湯沢の各氏は、言わずと知れた熱狂的なピアソラ・ファンだし、“ピアソラはタンゴじゃない” とのご意見の大岩氏さえ、ブエノスアイレスでピアソラの生のサウンドに触れて、魅惑され、しびれたひとりである。
 かくして、当座談会は “ピアソラ待望論” に終始することになったが、各氏に共通しているのは、“より多くの人、特にジャンルにとらわれない若い世代にピアソラを聴かせたい” という気持ちである。日本タンゴ史の最大級といっていいこの大イベントを前に、ピアソラの音楽についてじっくり考えてみたい。


高場 今日は、タンゴ界でもっとも話題の多いピアソラのことについての座談会ということで、テーマには事欠かないんですが、ピアソラと皆さんとの出会いみたいなことから聞かせていただきましょうか。

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高場将美(音楽評論家)

湯沢 日本でピアソラが聞かれるようになったのは、やはり30年代に入ってからですよね。でも、僕が、最初にピアソラのレコードを持ったのは、20年くらい前でしたかね。ビクターのオムニバス盤の中の一曲でした。その頃ですと、ティピカ東京がよくピアソラの曲を演奏していましたから、そちらの方で聞く機会が多かった。それと、高橋忠雄さんのラジオ番組でもよくピアソラをかけてましたよ。

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湯沢修一(すいよう会々長)

京谷 僕は、聴いたというより、弾かされた方が先だったですね。最初、やはり20年近く前ですかね、兄貴のバンドで、仕事場がダンスホールだったものですから踊れるタンゴということでダリエンソとかカナロとかをやってたんですけど、バンドの中にピアソラの大好きな方がいまして「プレパレンセ」をコピーしてきましてね、その譜面を見ながら弾かされたのが最初なんです。なんだか今まで演ってたタンゴと全然違う感じで強烈な印象を受けましたね。で、そのコピーしてくれた人や、ピアノの大塚さんがピアソラのレコード持ってたんで、アパートに泊まり込んだりして聴かせてもらうようになったんです。「ノニーノ」だとか「ピカソ」だとかが記憶にありますね。

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京谷弘司(バンドネオン奏者)

大岩 僕が最初にピアソラの名前を知ったのは、フレセドが演奏した「パラ・ルシルセ」という曲で、53年頃のオムニバス・レコードで「タンゴ・ダンス・パーティ」(米コロンビアFL9534)の中の一曲だったです。これでもタンゴかよ、なんて言ったのを覚えています。で、ピアソラの演奏を聞いて、これだなと思ったのは、フランスで55〜57年頃に録音したtk盤の「オルケスタ・デ・クエルダス」とVOGUE「シンフォニア・エン・タンゴス」だったと思うな。それとオクテート・ブエノスアイレスをほぼ同時に聴いたと思いますね。あれはエラかった。今聴くとそうでもないんだけど、あの時は頭をかかえちゃってね(笑)。

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大岩祥浩(ポルテニヤ音楽同好会々長)

京谷 最初は、みんなそうなんですね。

大岩 で、その時の “何だろう”という後遺症が残っているわけ。僕らの年代の場合はね。僕らは子供の時からタンゴってのはこういうもんだという既成概念があるわけですよ。そこへもってきて、戦争をはさんでタンゴってのはこうなっちゃったのか、という感じでね、ショックですよ。その間にも、トロイロとかバッソとかは紹介されてましたが、ピアソラは今までといっぺんに違う(笑)。ショックでね。で、決定的にショックを受けたのは61年にはじめた「キンテート・ヌエボ・タンゴ」ですが、最初は古典回帰というか、われわれには良かったのが、「ヌエストロ・ティエンポ」というCBS盤のあたりからです。

高場 「ヌエストロ・ティエンポ」が62年ですから、古典回帰は本当に短期間だったんですよね。

大岩 それで、“タンゴだ、タンゴじゃない” といった議論が出はじめたのもその頃です。

高場 日本のファンはピアソラをどう見ていましたかね?

湯沢 当時は、ピアソラのレコードはなかなか手に入らなかったこともあったし、レコード・コンサートなんかでも、他にかけるのがいっぱいあって、ピアソラが出てくる幕がなかったですね。まあ最初は少なくとも人気楽団ということはまったくなかったですね。

高場 気違いみたいな人はいたけどね……

湯沢 それはティピカ東京が音楽喫茶なんかで演奏した功績大じゃないですか?

大岩 だんだん、ピアソラの曲をトロイロとか他楽団が演奏したものも紹介されてきたしね。

京谷 でも、やっぱりミュージシャンの立場から言えば、どうしたってやりたくなる音楽ですからね。当時から、ミュージシャンの中には好きな人は多かったですよ。ピアソラの音楽は、何回演奏してもいつも新しい気持で取り組めるような、そんな音楽なんです。これはもう圧倒的にタンゴなんで、ピアソラがタンゴか否かなんて議論はミュージシャンにとっては論外ですよ。

大岩 でも、アルゼンチンでいろいろな人に聞いたけど、デカロが新しいスタイルをはじめた時のブエノスの聴衆の反応はともかく抵抗がなかったという。すべて下町に根ざしたフィーリングを持っているからってね。ところが、ピアソラが出てきた時は、あれはタンゴではないと噂したものだという。いままでとの違い方が極端すぎるというんだね。

高場 でも、逆にアルゼンチンだって、ピアソラが出てきた時は、タンゴをずっと聴いてきた人ばかりでなくて、ピアソラからタンゴを聴く人も多くなったんですよ。

大岩 ところで、誤解のないように言っておきますけど、僕はピアソラの音楽を認めないわけじゃないんだ。ピアソラは、ブエノスアイレスの現代音楽家として最大限に評価している。でも、ピアソラを支持する人というのは、タンゴの枠の中で彼を求めてはいないです。音楽ならなんでも聴いてやれというスタイルの人が多い。

京谷 でも、どうしてタンゴをそんなに狭い枠の中に押し込めたがるのかわかりませんね。そうなると、僕はタンゴの定義がわかりませんね。

大岩 それだ。タンゴってなんだろうね。難しいよね。でも、僕にはタンゴは歌って踊られなきゃタンゴじゃないというひとつの格付けがあるわけですが……。

湯沢 ピアソラじゃちょっと踊れないでしょうね(笑)。ただ、僕は踊る場合のタンゴと、音楽としてのタンゴは別だと認議しているし、両方あると思う。

高場 ピアソラはブエノス生まれでもないし、幼少時代からニューヨークだし、タンゴ界から見れば異邦人ですが、やっていることはタンゴだと思いますよ。狭い世界のタンゴには入らないかも知れないが、はじめてピアソラを聴いた人がタンゴだと思えば、ピアソラを含めてタンゴと考えると思う。


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オクテート・ブエノスアイレス(1956)


―― ネイティブ・サンが一昨年、ブラジルのジャズ・フェスに行って、ピアソラを尊敬し、まともに影響を受けているロドルフォ・メデーロスのバンドネオンを聴いてショックを受けたそうなんです。そこにタンゴみたいな根を感じてね。ピアソラよりもタンゴから遠いメデーロスの音楽を聴いても、ミュージシャンの耳にははっきりそう聴こえるんですね。それからすると、ピアソラの音楽ははっきりタンゴ、じゃないですか。

大岩 まあ、ピアソラは自分の音楽を創作しつづけてきて、それがブエノスアイレスや世界の水にあってきたということなんですよ。今のブエノスアイレスへ行くと不思議とピアソラが聴きたくなるんですよ。だから、ブエノスアイレスの現代音楽ととらえた方が良いと思うんです。

湯沢 ピアソラの音楽は、ほんとうに現在のブエノスアイレスそのままという感じですね。

高場 僕は、その似合うというのがタンゴだと思うんです。タンゴはブエノスアイレスそのものなんですから。

大岩 ピアソラはタンゴか?論争が白熱してきちまったけど、もう少し具体的な話をしますとね、僕がピアソラをいやだなあと思っていた頃、一番いやだったのは曲をくずしすぎることね。バルディやアローラスの曲なんかいじくりすぎて、もうバルディでもアローラスでもなくなる。僕らは単純だからね、それでおもしろくなかった。どんなタンゴ・ファンも同じだったんじゃないかな。だから彼の場合一番安心して聴けるのはピアソラ自身の曲なんですよ。

高場 そう言えば、クンパルなんかピアソラ風にくずしてしまうんだったらやんないでいい、なんて意見もありましたね。

京谷 そうかなあ。僕はまったく逆ですけどね。

大岩 作曲者の意図をまったく無視するわけだからね。僕はそれだったら自分で勝手に曲つくって勝手に演奏すりゃあいいと思っていた。そしたら、やっぱり曲つくりはじめた(笑)。

京谷 あれは、作曲者の意図を無視してるんじゃないんですよ。そんなこといったら、音楽はメロディーだけ聴いてりゃいい。クンパルだって、あのチェロの入った「オルケスタ・デ・クエルダス」のクンパルですか?あれなんか最高ですよ。

大岩 ……(笑)

京谷 ピアソラのアレンジってのは、どれも完成した立派なものになりますよ。例が適切かどうかわかんないですが、アティリオ・スタンポーネなんかが真似していじくると何だか未消化な音楽になっちゃうけれども、ピアソラは全然違いますよ。


── それではピアソラの楽団の編成について少しお話をうかがえますか?

高場 彼の演奏スタイルを大まかにわけると次のようになると思います。
 45~48年 オルケスタ・ティピカ
 55~58年 ストリングス(バンドネオンとシンフォニア)
       オクテート・BsAs
 58~59年 ジャズ・タンゴ?
 60~71年 キンテート
                 (途中、事情が許せば8重奏、あるいはオペリータ上演)
 71~72年 9重奏(この間、ヨーロッパでひとり活動)
 76〜80年 ロック的グループ(シンセサイザーやドラムが加わった)
 80〜現在 キンテート(来日メンバー)
 で、僕はキンテートになってとてもよかったと思っているんですよ。

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キンテート・ヌエボ・タンゴ(1966)

大岩 ピアソラも試行錯誤してきて、5人というのがベストということに気がついたんじゃないですか。何人でやってもできたものはそう違わないとは思うんですが、まあコンパクトだし、自由があるという点で、キンテートが一番いいんじゃないですか。でも、彼は今までも会うたびに違った編成だから、ひょっとしたら今でも模索しているのかな?

京谷 僕なんかも、大編成でやりたい気もあるけど、自由という点でキンテートがいいですね。ピアソラの場合も、やはり僕は今のキンテートのスタイルが好きです。ほんとうは、前のキンテート・ヌエボ・タンゴ、あのアグリの入ってた時期ね、あれが最高だと思います。

湯沢 昨年、ピアソラがニューヨークのマジソン・スクエアで100人くらいの大編成をバックに「アディオス・ノニーノ」だけやって帰ったそうですけど、あれだけの大編成バックにバンドネオン弾いたら気持ち良いでしょうね。

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81年ニューヨークのマジソン・スクエアで大編成をバックに


高場 それは気持ち良いでしょう。でも、大編成を維持するのはたいへん。この問題は経済的な問題もからみますからね。

大岩 そうですよ。ペロンの失脚後、小編成がはやった背景には実際、経済的なことも影響してるんでしょうね。ところでエレキ・ギターを入れたのはピアソラが最初かな?

高場 どうもそうらしいですよ。もっともジャズっぽいギターというのでは、30年代にトリオ・ビクトルなんかもやってますが、本格的にとり入れたのはやはりピアソラです。

京谷 コランジェロのセステートなんかもエレキ・ギターを入れてるけど、どうも他の楽団はエレキの使い方がへたですね。

高場 ピアソラの最初にやったオクテートの時は完全にジャズ・ギターでしたね。オラシオ・マルビチーノという人でしたが……。

京谷 そうそう、あれはすごいアドリブが入ってました。ギターをフィーチャーしたようなレコードでしたよね。

高場 一番ジャズっぽいピアソラです。日本では発売されていませんが(亜ディスクジョッキーEST10064)。

京谷 熱くなる演奏でしたね。ただ、ピアソラのが全部すばらしいというのでもないですね。たとえば、あのイタリア録音……

大岩 つまんない。リベルタンゴみたいなのね。

一同 最悪。

高場 あの時期から今のキンテートにもどるまでの間が不調でしたね。ジェリー・マリガンとやったのも良くなかった。下手なシンセなんか入れてね。ところが、この頃のレコードばかりがどんどん日本で紹介されてあせった(笑)。今、廃盤だから良いけど。湯沢さんは、このシンセ入ったのは聴いたんでしたっけ?

湯沢 いいえ、もう今のメンバーでした。今のメンバーのは良かったですよ。

大岩 今度来るんだけど、冷静に聴こうなんていうピアソラにあまり関心のない人でも実際にビックリするよ。要するに、音楽の高まりっていうか、汗かくよ。

京谷 生で聴くべき音楽なんですね。

湯沢 3年前、タンゴ・ツアーでブエノスへ行った時、ピアソラ聴かなかった人がいやいやピアソラを聴きに行ったらひきつけられちゃって。次の日はひとりでピアソラ聴きに行っちゃったんです(笑)。京谷さんのところは別にして、日本の楽団は、リズムと迫力が全然ちがうからモダンはどうも似合わない。ピアソラのはリズムがものすごく強いし、バンドネオンの音がまず違う。


 ここで、夕食のため中断。寿司を食べながら、来日メンバーによる新録ライブのテープ(RCAから10月21日発売。ピアソラとゴジェネチェのステージ・ライブ)に耳を傾ける。あまりの迫力に、全貝言葉少なになる。とにかくこんなに充実したピアソラのレコードは久しぶりということで一同、意見は一致。


── さて、現在のメンバーも含めて、ピアソラといっしょにやってきた音楽家たちなんですが、やはりアグリからですか。

大岩 なんでピアソラと袂を分けたのかわからないけれども、一番買っていたんじゃないの?

高場 でも、アグリの立場にいれば、いつまでもピアソラのアグリでいたくないって思うよ。あれだけ弾いちゃうんだから。もし彼がグループでも作らなかったら、タンゴのソリストはフランチーニだけってことになっちゃうし。ほんとうは俺だって思っているはずなのに。

京谷 僕はピアソラのキンテートにいてこそのアグリだと思うな。

高場 でも、今度のスアレス・パスというのは、タンゴの楽団の中では最高のソリストだと思いますよ。

大岩 ピアノで長いのはマンシかな。

高場 ゴーシスも多かったですよ。今度のシーグレルというピアニストは、日本ではあまり知られていませんが、タッチからして、ジャズあがりの人だと思いますが、相当良いですね。

大岩 ベースも良いね。

高場 コンソーレという人ですが、キチョ・ディアス、オマール・ムルタときて、その次の世代の代表です。ガルシーア、ガレーロ、サルガン、スタンポーネと、音楽水準の高いタンゴ音楽家に乞われて弾いてきたんですが、落ちつくところに落ちついた感じですね。

大岩 ギターのロペス・ルイスは古いね。

高場 20年以上いっしょにやっています。時々カチョ・ティラオもやってましたが、結局この人が一番ピアソラを知ってますから。


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── ピアソラは、音楽上では、いっしょにやる音楽家たちも苦労するといいますが、人間そのものはどんななんでしょうね?

大岩 日常生活と芸術は違うんですよ。ピアソラだってよく言われるじゃない。いたずらだし、ものすごく人がいい。結局ふつうの人でおもしろい人ですよ。ああいう音楽つくる人かなという気がしますよ。たとえば、カナロはいやな奴だとか言うよ。どの程度かは知らんが、皆が言ってるんだからそうなんでしょ(笑)。ピアソラの場合は人間的に悪口を言う人はひとりもいないんだから。

高場 その人間性のとおり、ピアソラは芸術、なんてこむずかしいこと言わないでポピュラー音楽好きな人なら聴いてほしいよね。フランスなんかだと大々的に有名ですよ。

大岩 ピアソラの音楽は野性的だし、刺激的で興奮する。直接聴いたらもっと興奮しますよ。ピアソラのファン一気に増えるんじゃない?

高場 僕なんかレコード聴いても熱いと思いますものね。ピアソラの音楽というのはとにかく個性的ですよ。ピアソラは、いつも同じだと言われるくらい個性をもっています。実際、そんなにモチーフはないのかも知れない。で、作曲家としてのピアソラはどうでしょうかね。

大岩 作曲家というのは打率が問題です。例えば、僕はアローラスという人は、まず全部レベル以上のものだと思います。その意味ではピアソラも、作曲家としてかなりいいと思いますね。

京谷 すごいですよ。全部いいですよ。

大岩 ただ、曲がなんだかわからないぐらいに似ているんですよ。

高場 でも、古い曲は全部違っていたし、古い曲で創り上げたピアソラ型というのを他の人が皆とりあげて、現代の作曲家たちは、それがないと作れなくなった。だから、ピアソラは作曲家として大きな仕事をしたんです。たとえば、サルガンが「ア・フエゴ・レント」でひとつの作風を創ったといっても、それが広がらない。つながりがないんですね。ピアソラの場合、結構タンゴの土台に近いところまで入り込んだでしょう。

大岩 それに、この人のようにどの曲聴いてもすぐわかるのはそんなにいません。フィルポとかカナロとか……

京谷 それ以外の人は、それのひとつのバリエーションだから。

高場 その意味も含めてピアソラは異端児なんて言われてたけれども、今は逆に開拓者じゃないですか。パリのトロトワール・ド・ブエノスアイレスのオーナーに聞いた話なんですが、ピアソラが有名になり、注目されるようになったら、タンゴってそれだけじゃないはずだという声があがって、それでアルゼンチンのミュージシャンや文人が集まって店をひらいたということ。それからサルガンやセステート・マジョールもむこうに行って聴かせるようになったそうです。そういうことは日本でもピアソラの来日をきっかけとして起こり得ますか。

大岩 とにかく聴かせなきゃだめだって。ピアソラの音楽聴かせりゃ絶対ナウイし若者が必ず反応を示すよ。一番、売りものになるのはバンドネオンですよ。見たくても見たことのないバンドネオンって楽器、カッコイイナときますよ。かっこよさで売っていけば他にもタンゴはあるだろうということになりますよ。ところが何もなくて全部閉ざされた世界になってしまっているから、何かちょっとでも光が入ってくる穴をあけるのがピアソラの役目であるし、我々タンゴ・ファンの役目でもありますよ。

高場 ピアソラは役目は果たしてますよ。

湯沢 若い人に聴いてほしいですね。

大岩 彼自身が世界的に有名なブーランジェ女史について学ぼうとしたとか、とにかく世界中のあらゆる音楽のいいところを吸収してやろうと思った人間だ。これだけはまちがいないわけだ。

高場 確かにピアソラの音楽には何でも含まれている。作曲を始めた時はクラシックしか作っていないし、現代音楽まで、一番最近のものはともかくとして、入ってますよ。しかもピアソラの音楽になっていますよね。

大岩 だからタンゴの殻にとじこもっている人とは視野が全然違うんですよ。何をやった場合にも、音楽のあちこちに出てくる。それでフランス、イタリアなんかで受けたんでしょう。日本の場合もかつてタンゴの黄金時代もあったんだから、捨てたもんじゃないですよ。

高場 日本人は本質的にはアングロ・サクソンのものより、ラテンの方が好きですよ。

大岩 結局、今は強い国、弱い国の代表みたいな形で音楽がはやってますからね。

高場 ジャズだって、いいジャズで本格的にはやってないのがいっぱいありますから……商売のジャズっていうのがあるわけで。

大岩 まあそれでタンゴが脚光をあびるようになれば、タンゴ・ファンはこれ以上のことはないわけで。戦争で有名になっているようじゃダメですよ。

高場 そうです。僕はピアソラがキンテートのスタイルにもどったときから、日本に来るなら今だ、今だって思ってたんですが、さきほどの最新録音のテープを聴いていて、ほんとうに良い時に来日するなって思いました。まだまだ力もあるし、迫力も全然落ちていない。ひょっとしたら、ほんとうに日本のポピュラー音楽の世界に一大エポックを画せるかも知れないなって予感さえするんです。とにかく今から、何かこうものすごいエネルギーを感じますね。ピアソラは必ずやってくれますよ。

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現在のキンテート・アストル・ピアソラ(1982)

(中南米音楽1982年9月号掲載)

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