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[2021.04]ブラジル音楽の365曲[4/5〜4/11]

面白くてタメになる1日5分の音楽鑑賞「ブラジル音楽の365曲」[4/5〜4/11] 

文:花田勝暁(編集部)

 3月1日から「ブラジル音楽の365曲」をスタート。
 ブラジル音楽やブラジル文化についての情報を盛り込んで、面白くてタメになる1日5分の音楽鑑賞の場を提供できたらと思っていますが、5週間分終わりました。如何でしょうか?
 平日は、毎日午前中の更新を予定しています。休日分は、気の向くままに...

先週の分↓

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4月11日。「Telegrama」

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 本日は、ゼカ・バレイロ(Zeca Baleiro|1966年4月11日マラニャォン州アカリ生まれ)のバースデイです。本名は、José Ribamar Coelho Santos。“Zeca” は、“José” という名前の人によく付くあだ名ですが、“Baleiro” の由来にはこんなエピソードがあるそうです。

 私は昔から、飴(bala)を中心に、あらゆる種類のお菓子が大好きでした。大学に入ってからも、授業の合間に飴(bala)を食べていました。誰かが食べたいと思ったら、私のところに来るようになりました。そこから「バレイロ(Baleiro|飴屋)」と呼ばれるようになったのです。正直に言うと、最初はあまり良い印象を受けませんでした。(ゼカ・バレイロ)

 その後、音楽に専念する前には、実際に手作りの飴やパイを売るお菓子のお店をやっていたそうです。

 音楽家としてアルバムをリリースまでの下積みは長く、ミナスジェライスのバーで演奏する仕事をした後、サンパウロに移り住みました。下積み時代には、シコ・セーザル(Chico César)とルームシェアしていたそうです。計12年の下積みを経て、1997年に『POR ONDE ANDARÁ STEPHEN FRY?』アルバムデビューしたすぐ後に、ガル・コスタ(Gal Costa)が、 当時破竹の勢いがあった「Acústico MTV」にゼカをゲストとして呼んだことでした。演奏したのは「Flor Da Pele」。アルバムに収録されていたゼカ・バレイロのオリジナル曲です(※「Vapor Barato」(作詞作曲:Waly Salomão / Jards Macalé)とのメドレーで)。ブラジル全土のテレビに、ゼカ・バレイロという新しい才能が映し出されました。以降、現在まで、コンスタントに作品を発表し続けています。文筆家としても才能も発揮しています。

 ゼカ・バレイロの音楽の特徴は、サンバやパゴーヂ、バイアォンといったブラジルの伝統的なリズムに、ロックやポップス、電子音楽の要素がミックスされます。ゼカの独特なギターの音も、彼の音楽の主軸になっています。

 今日紹介する「Telegrama(電報)」は、一番よく聴かれているゼカの楽曲で、Spotifyでは、5600万再生以上あります(2021年4月11日現在)。オリジナルは、2002年の4thアルバム『Pet Shop Mundo Cão』に収録。
 つい先月には、サンパウロのDJユニットによるリミックス・バージョンがリリースされました。ゼカ本人もこのリミックスを気に入っているそうです。
 悲しみに暮れていた今にも死にそうな人が、電報を受け取って、その内容によってポジティブになるという、すっごくいい歌!

Eu tava triste, tristinho
Mais sem graça que a top-model magrela
Na passarela
Eu tava só, sozinho!
Mais solitário que um paulistano
Que um canastrão na hora que cai o pano
Tava mais bobo que banda de rock
Que um palhaço do circo Vostok
 私は悲しかった
 ランウェイを歩く、
 痩せたトップモデルよりもつまらなかった
 私は一人だった
 私はパウリスターノ(サンパウロ出身者)よりも孤独だった
 私は幕が降りる時の三流役者よりも孤独だった
 私はロックバンドよりもバカだった
 私はヴォストック・サーカス団のピエロよりもバカだった

Mas ontem eu recebi um telegrama
Era você de Aracaju ou do Alabama
Dizendo: Nêgo, sinta-se feliz
Porque no mundo tem alguém que diz
Que muito te ama!
Que tanto te ama!
Que muito, muito te ama
Que tanto te ama!
 でも昨日、電報を受け取った
 アラカジュ(ブラジル北東部、セルジペ州の州都)かアラバマ(米国)にいる君からのものだった
 電報にはこう書いてあった:
 友よ、幸せを感じるようにして、
 だって、世界にはあなたを愛しているといってくれる誰かがいるから
 あなたを愛していると
 あなたをとてもとても愛していると
 あなたを愛していると

Por isso hoje eu acordei
Com uma vontade danada
De mandar flores ao delegado
De bater na porta do vizinho
E desejar bom dia
De beijar o português
Da padaria
 それで今日私は、
 代議士に花を贈る気分で目が覚めた
 隣人のドアを叩いて、
 いい1日をと言いたい気分で目が覚めた
 パン屋の、
 ポルトガル人にキスをしたい気分で目が覚めた

Me dê a mão, vamos sair
Pra ver o sol
 手を差し出して、
 太陽を見るために一緒にでかけよう

...

(「Telegrama」作詞作曲:Zeca Baleiro|2002年)

4月11日の、その他のトピック。
●本日4月11日は、ブラジルでエスコーラ・ヂ・サンバ(Escola de Samba)の日です。後のポルテーラ(Portela|Grêmio Recreativo Escola de Samba Portela)に繋がるカーニヴァルのブロコの「オウロ・ソブリ・アズール(Ouro sobre Azul)」が、1935年4月11日に結成されたのが由来です。
●ジュニオール・リマ(Junior Lima|1984年4月11日生まれ)のバースデイ。元サンディ&ジュニオール(Sandy & Junior)のジュニオールです。1990年から2007年までサンディ&ジュニオールで活動。その後は、「Nove Mil Anjos」(2008 - 2009)や「Dexterz」(2010 -)といったロックバンドや、音楽プロデューサーとした活躍中。

──

4月10日。「Partilhar」

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 日本でも2018年の2ndアルバム『Casas』が、ブラジル音楽ファンの枠さえも越え異例の広がりをした
ブラジルの期待のシンガーソングライター、フーベル(Rubel)は1991年4月10日生まれ。今日で30才。
 『Casas』は、2018年のブラジルディスク大賞の関係者投票でも多くの異なる音楽的趣味を持つ人々から票を集めて、1位に輝きました。2019年3月には、「THINK! RECORDS」より、国内盤CDとレコードもリリースされました。

 ヒップホップのトラックメイクの感覚を、自然とMPBに持ち込んだ才能で、2019年のインタビューでもこのように話していた。

── 『Pearl』(2013年)と『Casas』(2013年)には、サウンドプロダクションの面で大きな変化がありますが、『Casas』はどのように構想されたのでしょうか?

フーベル 
『Casas』は、ブラジルの伝統的なうたと、ヒップホップ以降のプロダクションの精神をミックスするというチャレンジをしたいというコンセプトから始まっています。どうやってMPBの歌を作り、ヒップホップのビートを作るように曲を組み立てるか? それが、ぼくがアルバムを制作する動機となった音楽的チャレンジでした。

 2018年の『Casas』以降、まだ新しいアルバムは発表されていないが、アドリアーナ・カルカニョットのカバープロジェクト『Nada Ficou no Lugar』(2018年)や、ガル・コスタが初期の代表曲を男性ミュージシャンとのデュエットで再録した『Nenhuma Dor』(2020年〜2021年)などで、しっかり声がかかり、フーベルらしい音楽を聴かせてくれている。

 今日、取り上げる「Partilhar」は、ブラジルの若者から最も人気のあるフーベルの1曲で、『Casas』に収録された後、女性デュオのアナヴィトーリア(Anavitória)と共演したバージョンがシングルでも改めてリリースされた。「シェアしたいんだ/共有したいんだ/君といい人生を」と愛する人に思いを伝えるラヴソング。

Se for preciso, eu pego um barco, eu remo
Por seis meses, como peixe pra te ver
Tão pra inventar um mar grande o bastante
Que me assuste e que eu desista de você
 もし必要なら、舟を手に入れて、6ヶ月間だって舟をこぐ
 君に会いたい魚のように
 あまりに大きな海を作り出してしまって
 それにぼくは驚いて、君を諦めてしまう

Se for preciso, eu crio alguma máquina
Mais rápida que a dúvida, mais súbita que a lágrima
Viajo a toda força, e num instante de saudade e dor
Eu chego pra dizer que eu vim te ver
 もし必要なら、何かマシーンを作って
 疑うよりも早く、涙よりも突然に
 全力で旅行して、サウダーヂと悲しみの瞬間に
 君に会いにきたって言うために、君のところに辿り着くんだ

Eu quero partilhar
Eu quero partilhar
A vida boa com você
 シェアしたいんだ
 共有したいんだ
 君といい人生を

Que amor tão grande tem que ser vivido a todo instante
E a cada hora que eu tô longe, é um desperdício
Eu só tenho 80 anos pela frente
Por favor, me dá uma chance de viver
 こんな大きな愛はどの瞬間もヴィヴィッドじゃないと
 君と離れる時間は勿体ない
 ぼくはこれから80年生きる
 お願いだ、生きるチャンスをくれ

Eu quero partilhar
Eu quero partilhar
A vida boa com você
 シェアしたいんだ
 共有したいんだ
 君といい人生を

Não tem, pra trás, nada
Tudo que ficou tá aqui
 後ろには何もないよ
 全ての過去はここにある

...

(「Partilhar」作詞作曲:Rubel)
※『Casas』の国内盤の歌詞対訳を花田がやらせてもらっているので、もしよければそちらもよろしくお願いします。

4月10日の、その他のトピック。
●1912年4月10日、タイタニックがイギリス・サウサンプトン港からニューヨーク行きの処女航海に出発した。
●歌手で作曲家のノイチ・イルストラーダ(Noite Ilustrada|1928年4月10日 - 2003年7月28日)のバースデイ。

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4月9日。「Peço a Deus」

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 1994年4月9日、父子三代(※)続くサンバ・パーカッショニストの名門マルサル家の2代目、ニルトン・マルサル(Nilton Marçal|1930年 - 1994年4月9日)が他界しました。彼のことを、人は最大級の尊敬の意を込めて「メストリ・マルサル(Mestre Marçal)」と呼びました。

[※1代目は作曲家としても多くの名曲を残したアルマンド・マルサル(Armando Marçal)。3代目はパット・メセニーのグループでも活躍したマルサルジーニョ(Marçalzinho)]

 ニルトン・マルサルは、9才のときに、父親のアルマンド・マルサル(Armando Marçal)がプレジデンチ(会長)だったエスコーラ・ヂ・サンバ「ヘクレイオ・ヂ・ハモス(Recreio de Ramos)」でタンボリンを演奏し、アーティスト/パカッショニストとしてのキャリアをスタートさせました。インペリオ・セハーノらいくつかのエスコーラ・ヂ・サンバを経て、ポルテーラに参加し、20年以上、ポルテーラに参加しました。そこで、メストリ・ヂ・バテリア(Mestre de Bateria)を長年務めました。
歌手としても魅力があり、1971年頃から録音に参加するようになり、1973年には、ソロアルバムをリリースし、そのあともコンスタントに歌手としてのアルバムもリリースしました。
 1980年に、プレジデンチとの意見の相違から、ポルテーラから抜け、数ヶ月ヴィラドーロ(Viradouro)に参加した後に、マンゲイラ(Mangueira)の一員としてカーニヴァル・パレードに参加しました。ポルテーラから抜けた後も、アルバムの録音には、ポルテーラのバテリアが参加することも沢山ありました。

 1988年に発表した『A Incrível Bateria do Mestre Marçal(メストリ・マルサルのすごいパーカッション)』では、片面(A面)全てがメストリ・マルサル1人による多重録音によるサンバ・パーカッション曲「A Incrível Bateria」でした。
 
 最後のアルバムとなったのは、1993年の『Sambas-Enredo de Todos os Tempos(新旧サンバ・エンヘード)』でした。歌い継がれクラシックとなった15のサンバ・エンヘードを収録しています。

 長年、リオのカーニヴァルの解説者としても活躍しました。当時のミュージシャンの間ではほぼ満場一致で、史上最高のパーカッショニストだと言われていました。
 64才の若さで夭折。肺がんと心臓病を患っていました。

 今日紹介する曲「Peço a Deus」は、メストリ・マルサルが1985年のアルバム『RECOMPENSA』で録音し、18番にしていたサンバの名曲です。
 作詞作曲は、ポルテーラ時代からの盟友、ヂーダ(Dida)とデデー・ダ・ポルテーラ(Dedé da Portela)。
 近年では、マルチナーリア(Mart'nália)も大切に歌い続けています。

※参考文献 https://dicionariompb.com.br/
Peço a Deus um mundo cheio de paz
Peço a Deus que alcance os seus ideais
Peço a Deus que a inveja jamais
Peço a Deus pra sermos todos iguais
 平和な世界になるように神様にお願いします
 あなたの理想に届くように神様にお願いします
 もうこれ以上嫉妬しないように神様にお願いします
 みんなが平等になるように神様にお願いします

Peço a Deus pra te livrar da maldade
Peço a Deus que te dê felicidade
Peço a Deus que se propague a bondade
Peço a Deus amor e prosperidade
 あなたを悪から救い出してくださいと神様にお願いします
 あなたに幸せが訪れますようにと神様にお願いします
 善行が広がるように神様にお願いします
 神様に愛と繁栄をお願いします
 
De mãos dadas, peito aberto, rumo certo para o bem
Pra lutar contra a maldade que este nosso mundo tem
Viver uma vida mansa sem ver o tempo passar
Ter sorriso de criança, ver bondade em cada olhar
 手をつないで、胸を張って、優しさに向かう正しい方向へ
 私たちの世界が持つ悪と戦うために
 時の流れを感じさせない静かな生活を送るために
 子供の笑顔があること、すべての視線の中に優しさがあること

(「Peço a Deus」作詞作曲:Dida / Dedé da Portela)

4月9日の、その他のトピック。
●バンド、Charlie Brown Jr. のヴォーカリストで、メインの作詞を担当していたショラォン(Chorão|1970年4月9日 - 2013年3月6日)の生まれた日。もし生きていれば今日で51才。
●建築家のフランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright|1867年6月8日 - 1959年4月9日)の命日。

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4月8日。「Coisa Nº 5 (Nanã)」

 本日は、2006年に80才で脳卒中で亡くなる数年前に再評価されたマエストロ、モアシール・サントス(Moacir Santos|1924年4月8日 - 2006年8月6日)のバースデイです。もうすぐ生誕100年の年が来ますね。
 今日は、カンドンブレの女神の名を冠したモアシールの名曲「Coisa Nº 5 (Nanã)」を聴いて欲しいと思っていますが、モアシールの生涯についても、簡単にまとめたいと思います。上の動画の中で、モアシールは、この曲を黒人の行列を見て作ったと言っています。

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 モアシール・サントスは、1924年4月8日に、ペルナンブーコ州のパジェウ(Pajeú)で生まれました。パジェウは、町に通りが5つしかない小さな町だったそうです。
2才の時に、母親が亡くなり、父親はすでに家を出ていたため、身寄りがなくなり、親族に引き取られました。そこで、モアシールは学校に通うことができただけでなく、音楽のレッスンも受けさせてもらいました。

 サックス、バンジョー、ギター、マンドリンが演奏できるようになっていたモアシールは、14才でその家を出て、仕事を求めてペルナンブーコ州を旅をして暮らしました。ラジオ局のスタジオ・ミュージシャンとしての仕事を得るなどして、スウィング・スタイルのサックス奏者として名が知られるようになりました。

 1948年に、当時の首都で、文化の中心地であったリオデジャネイロに移り、国営放送局であるブラジル国営放送所属のスタジオ・ミュージシャンになりました。すでに読譜できるようになっていたモアシールは、更に指揮やオーケストレーションを学び、最終的には同局の音楽監督となりました。

 1950年代と60年代には、ナラ・レオン(Nara Leão)、バーデン・パウエル(Baden Powell)、カルロス・リラ(Carlos Lyra) 、ホベルト・メネスカル(Roberto Menescal)ら若手のミュージシャンに、個人レッスンを行っていました。

 1965年、初めてのアルバム『Coisas』を録音。当時、広く知られる作品とはなりませんでしたが、素晴らしいアルバムで、ブラジルのポピュラーミュージックの大きな成果の1つです。アフロ・ブラジルのリズム、力強いメロディー、ジャズのシンコペーション、デューク・エリントンのような簡潔で息の長いハーモニーが混ざり合い、ブラジルのさまざまな地域の音楽も連想させるアルバムです。

 『Coisas』に収録された「Coisa No.5」は、「Nanã」というタイトルも呼ばれ、マリオ・テレス(Mario Telles)が作詞して歌のバージョンも生まれました。セルジオ・メンデスやエウミール・デオダートらにカバーされる人気曲となりました。

 1960年代にブラジル映画に音楽を提供していましたが、世界公開される映画『Love in the Pacific』へ音楽を提供することになり、1967年に彼の妻と共に、カリフォルニアのパサデナ(Pasadena)に移り住みました。彼はその後の生涯をパサデナで過ごしました。

 インタビューで、ハリウッドのサウンドトラックの仕事の多くはクレジットされていない、公式にクレジットを得た映画は『Final Justice』(1985年)だけだったと語っています。
1970年代にブルーノート・レーベールで3枚のアルバムを録音、そのうちの『Maestro』はグラミー賞にノミネートされました。

 1965年のアルバム『Coisas』が、復刻される機会のない中で、2001年、ブラジルの気鋭ミュージシャン2人が立ち上がりました。ゼー・ノゲイラ(Zé Nogueira)とマリオ・アヂネー(Mario Adnet)が、ブラジルでのモアシールの録音を企画。『Coisas』の大半を含むモアシールのベスト曲を、ミルトン・ナシメント、ジルベルト・ジルなどをゲストに迎えて、録音し直しました。このアルバム『Ouro Negro』(2004年リリース)で、モアシール・サントスのブラジル国内と世界の評価は、回復しました。新しくファンになった米国のトランペット奏者、ウィントン・マルサリス(Wynton Marsalis)が、モアシールの最後のアルバムとなった『Choros & Alegria』(2005年)に参加しています。

 再評価の渦中にある中、2006年8月6日、脳卒中で亡くなりました。80才でした。

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 「Coisa Nº 5 (Nanã)」は、ナラ・レオンが映画『Ganga Zumba』(1963年)の中で歌い、翌年のアルバム『Nara』にも収録したのが初出。モアシールは、『Coisas』(1965年)で「Coisa No.5」として録音。作詞したマリオ・テレスもアルバム『Mario Telles』に収録しました。
 他にも当時、インストverで、セルジオ・メンデス、 ミルトン・バナナ、 エヂソン・マシャード、 ボッサ・トレス、 ヴォーカルverではウィルソン・シモナルがカバーするなど、数多くのカバーされました。

※英語verの歌詞より

She's Nanã, my Nanã
It's Nanã, my Nanã
She's Nanã, my Nanã
It's Nanã, my Nanã
 彼女がナナン、私のナナン
 それがナナン、私のナナン

Through the night out I have seen Nanã 
Passing by the water that binds her
Paint the day bright, I have seen Nanã
Now my past has faded behind her
 夜中中、ぼくはナナンを見ていた
   彼女は、彼女を覆っていた水を通り過ぎていった
 明るい日を描いて、ぼくはナナンを見ていた
 ぼくの過去はもう彼女の後ろに消えてしまった
 
As the eucalytus shade a stream
Life is only what love makes it seem
And I have seen her, I have seen Nanã
Fortune rode a moonbeam to find her
 ユーカリの木が小川を覆うように
 人生では愛がそうさせるだけだ
 そして、ぼくは彼女を見た、ぼくはナナンを見ていた
 幸運は月の光に乗って彼女を見つけた

Beat the drums, sing to my Nanã
Tell her I am waiting to hold her
Ring the cymbals, pray to my Nanã
Flowers on the water console her
 太鼓を叩いて歌うんだ、ぼくのナナンに
 抱きしめるために待っていると伝えよう
 シンバルを鳴らして 祈るんだ、ぼくのナナンに
 水面に浮かぶ花が彼女を慰める

...

(「Coisa Nº 5 (Nanã)」作詞作曲:Moacir Santos / Mario Telles)

4月8日の、その他のトピック。
●パブロ・ルイス・ピカソ(Pablo Ruiz Picasso, 1881年10月25日 - 1973年4月8日)の命日。
●1820年の4月8日、エーゲ海に浮かぶミロス島の洞窟でヴィーナス像(愛と美の神様|古代ギリシャの神々の王・ゼウスの娘)が発見された。発見された像は「ミロのヴィーナス」として知られており、紀元前130年頃に作られたとされている。現在はパリのルーヴル美術館で展示・管理されている。(ヴィーナスは愛と美の神様)
●アントニオ・アヂネーの娘で音楽家のアントニア・アヂネー(Antonia Adnet|1985年4月8日)のバースデー。
●シコ・ブアルキ(Chico Buarque)のグループで長年ドラムを叩く名ドラマー、シコ・バテーラ(Chico Batera|1943年4月8日)のバースデー。今日で78才。

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4月7日。「Pra Sonhar」

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 マルセロ・ジェネシ(Marcelo Jeneci|1982年4月7日 - )は、今日で39才。珠玉のメロディーを生み出してきたMPBの中堅シンガーソングライターです。サンパウロ出身で、サンパウロを中心に活動しています。
 サンパウロは大都会で尖がった音楽も多いですが、マルセロの場合は、音楽的な目新しさに注目というタイプというより、時が経ってもその魅力が変わらない「いい歌」を作って歌い続けてくれているタイプの才能です。

 子どもの頃から様々な楽器や電子楽器に親しんできて、プロとしてのキャリアは、2000年に、シコ・セーザル(Chico César)のバックバンドでのサンフォーナで参加したことから。その後、アルナルド・アントゥニス(Arnaldo Antunes)やエラズモ・カルロス(Erasmo Carlos)のバンドでも演奏し、キャリアを重ねてきました。アルナルド・アントゥニスや、ゼー・ミゲル・ヴィズニキ(Zé Miguel Wisnik)、ルイス・タチ(Luiz Tatit)ら、MPBの屋台骨とも言える才能たちの共作パートナーともなりました。
 チャンスが来たのは、2008年。ヴァネッサ・ダ・マタ(Vanessa da Mata)と共作した楽曲「Amado(愛されること)」が、連続テレビドラマに採用され、注目されました。
 2010年にファースト・ソロアルバム『Feito pra Acabar(終わるために作られる)』をリリース。若い音楽ファンからも、批評家筋からも、非常に高く評価され、マルセロ・ジェネシの才能は音楽ファンの中ではっきりと認められました。同作に参加した女性Voのラウラ・ヴァリエリ(Laura Lavieri)も注目され、後にソロアルバムを発表しました。
 2013年にセカンドアルバム『De Graça(可愛らしい/無料 )』、2015年にトゥリッパ・フイス(Tulipa Ruiz)とコラボ曲を発表し、ダブルヘッダーで全国ツアー。最新作は、2019年に発表したサードアルバム『Guaia(彼の出身地のGuaianazesより)』です。何の作品でも、彼はその才能を発揮してきました。末長く追いかけたく、そして必ず期待に応えてくれるだろうブラジルの中堅の才能です。

 紹介するのは、彼の人気曲「Pra Sonhar(夢見るために)」。
 このクリップは、ブラジル中のカップルから送られてきた実際の結婚式の映像で作られているそうです。

Quando te vi passar fiquei paralisado
Tremi até o chão como um terremoto no Japão
Um vento, um tufão
Uma batedeira sem botão
Foi assim, viu
Me vi na sua mão
 あなたが通り過ぎるのを見たときに、私は動けなくなって
 震えて、日本の地震のように、地面まで震えさせた
 風、台風
 ボタンのない調理ミキサー
 そんな風だったのよ、わかった?
 あなたの手の中に私は私を見たの

Perdi a hora de voltar para o trabalho
Voltei pra casa e disse adeus pra tudo que eu conquistei
Mil coisas eu deixei
Só pra te falar
Largo tudo
 仕事に戻る時間のことを失念してしまった
 自分の家に帰ってきて、私がこれまで手に入れたものに別れを告げた
 1000のものに別れを告げた
 それはただあなたに
 私の全てを捧げると言うために

Se a gente se casar domingo
Na praia, no sol, no mar
Ou num navio a navegar
Num avião a decolar
Indo sem data pra voltar
Toda de branco no altar
Quem vai sorrir?
Quem vai chorar?
Ave Maria, sei que há
Uma história pra sonhar
Pra sonhar
 日曜に私たち結婚したらどうかしら
 浜辺で、太陽の下で、海の中で
 あるいは航海中の船の上で
 離陸する飛行機の中で
 帰る日も決めずに行ってしまうの
 教会では全員が白い服を着てる
 誰が笑うでしょう?
 誰が泣くのでしょう?
 ねえ、マリア様、
 夢のようなお話ってわかってるのよ
 夢のようなお話よね

O que era sonho se tornou realidade
De pouco em pouco a gente foi erguendo o nosso próprio trem
Nossa Jerusalém
Nosso mundo, nosso carrossel
Vai e vem vai
E não para nunca mais
 夢だったことが現実になった
 すこしづつ私たちは自分たちの電車を作っていった
 私たちのエルサレム
 私たちの世界、私たちのメリーゴーランド
 行ったり来てはまた行って
 決して止まらないの

De tanto não parar a gente chegou lá
Do outro lado da montanha onde tudo começou
Quando sua voz falou
Pra onde você quiser eu vou
Largo tudo
 ずっと止まらずに、私たちはたどり着いた
 全てが始まった山の向こう側に
 あなたの声がする
 あなたの望むところならどこへでも
 私の全てを捧げる

...

(「Pra Sonhar」作詞作曲:Marcelo Jeneci|2010年)

4月7日の、その他のトピック。
●ビリー・ホリデー(Billie Holiday|1915年4月7日 - 1959年7月17日)の生まれた日。
●フランシス・フォード・コッポラ(Francis Ford Coppola|1939年4月7日 - )の生まれた日。今日で82才。
●歌手のマリーナ・デ ・ラ・リーバ(Marina de La Riva|1973年4月7日 - )の生まれた日。

──


4月6日。「Arrastão」

 1965年の4月6日、テレビ局の「TV Excelsior」が最初の歌謡音楽祭「Festival de Música Popular Brasileira」 を開催しました。音楽祭といっても、曲の良さを競うコンテストのスタイルの音楽祭でした。
 映えある第1回大会の優勝曲は、エドゥ・ロボ(Edu Lobo)とヴィニシウス・ヂ・モライス(Vinícius de Moraes)による「Arrastão」。もちろん、誰が歌うかも重要です。「Arrastão(引き網漁)」を歌ったのは、まだ大スターへの階段を登り始めたばかりのエリス・レジーナ(Elis Regina)でした。動画にあるように、この曲での腕を大きく回すパフォーマンスも印象的です。

 「曲の良さ」を競うということで、音楽としての独創性や、歌詞の内容もしっかり吟味されました。「Arrastão」で歌われるのは、如何にも北東部の海岸らしい光景で、「jangada」というイカダによる漁の様子が描写されています。

 TV での音楽番組のヒットが続いており、イタリアのサンレモ音楽祭(イタリアのサンレモで開催されているポピュラー音楽の音楽祭。1951年より毎年開催。「歌」に焦点が当てられている)のようなコンテストを行いたいというのが、この歌謡音楽祭が始まったきっかけでした。

 歌謡音楽祭「Festival de Música Popular Brasileira」 は、第1回目は「TV Excelsior」が配信しましたが、2回目からは「TV Record」が配信し、1969年まで5回行われました。

 更にややこしいですが、歌謡音楽祭の1年後の1966年からは、リオのテレビ曲の「TV Globo」が、国際歌謡祭「Festival Internacional da Canção」をスタートさせ、1972年まで計7回開催しています。

 1964年4月に軍事政権が始まり、1968年12月には「ブラジルの軍事政権史上、最悪の悪法」と呼ばれた「軍政令第5条(AI5)」 により表現の自由が大きく奪われる...という状況下で、歌謡音楽祭〜国際歌謡祭を通じて、多くの若い才能が世間に認知されました。その中には、現在まで第一線で活躍する才能が数多く含まれています。ブラジルのポピュラー音楽史の中で、とても重要な役割を果たしました。

 歌謡音楽祭〜国際歌謡祭に関する次の機会では、どんな人たちが受賞してきたかをまとめたいと思います。
 ちなみに、最初の歌謡音楽祭の2位は、既に広くその才能が認められていたエリゼッチ・カルドーゾ(Elizete Cardoso)が歌ったバーデン・パウエル(Baden Powell)とヴィニシウスによる、「Canção (Valsa) do Amor que Não Vem」でした。いきなり? エリゼッチに勝ったとも言えるエリス、すごすぎる。

Hei! hei! hei!
Hoje tem arrastão
Eh! todo mundo pescar
Chega de sombra, João...
 海の上にイカダが見える
 今日は引き網漁が行われる
 皆が漁をする
 日陰はもう沢山ね、ジョアン

Jovi, olha o arrastão
Entrando no mar sem fim
Eh! meu irmão me traz
Yemanjá prá mim...(2x)
 ねえ、ジョヴィ、網を
 深い海に投げ込んでいるよ
 私の兄が、私のためにイエマンジャー(海の守り神)を連れてきてくれる

Minha Santa Bárbara
Me abençoai
Quero me casar
Com Janaína...
 サンタ・バルバラ(キリスト教の聖人)よ、私にご加護を
 ジャナイ-ナ(海の守り神イエマンジャーの別称)と結婚したい

Eh! puxa bem devagar
Hei! hei! hei!
Já vem vindo o arrastão
Eh! é a Rainha do Mar
Vem!
Vem na rêde João
Prá mim!...
 ゆっくりと引きあげる
 もう網が見えてきた
 海の女神よ、
 さあ、
 ジョアン、輪の中に入ってきて
 私のために...

Valha-me Deus
Nosso Senhor do Bonfim
Nunca jamais se viu
Tanto peixe assim...(2x)
 ああ、なんてこと、神様
 ボン・フィン様(ノッサ・セニョール・ド・ボンフィン)
 誰もこんなにも多くの魚をみたことはない
 
(「Arrastão」作詞作曲:Edu Lobo / Vinícius de Moraes)

4月6日の、その他のトピック。
●1896年に、初めての近代オリンピックがアテネで始まった日。
●ウィルソン・シモナルの息子で歌手のウィルソン・シモニーニャが生まれた日。1964年4月6日生まれ。
●サンバの歌手/作曲家のジャイール・ド・カヴァキーニョ(Jair do Cavaquinho|1922年4月26日 - 2006年4月6日)の命日。亡くなって15年。
●歌手で作曲家のマルク・ヒバス(Marku Ribas|1947年5月19日 - 2013年4月6日)の命日。亡くなって8年。

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4月5日。「Pelo Telefone」

 1890年4月5日、ドンガ(Donga)という愛称で知られるエルネスト・ドス・サントス(Ernesto dos Santos)は生まれました。

「最初に録音されたサンバ」として知られる「Pelo Telefone(電話で)」の作者として知られる、ドンガですが、この曲にも色々エピソードがあります。

 まず、「最初に録音されたサンバ」なのかという点に関して。まず、サンバというよりもマシシ(maxixe)だという人もいますが、1916年の12月に、バイアーノ(Bahiano)やバンダ・ダ・カーザ・エヂソン(Banda da Casa Edison)が録音したレコードのラベルには「サンバ」とラベリングされていました。

 研究者によると、生まれたばかりの「サンバ」というジャンルが記載されたレコードが他にも同時期に2枚ほど見つかっているそうですが、その2枚は歴史に見過ごされ、「最初に録音されたサンバ」という功績は、「Pelo Telefone」が独占しました。

「最初に録音されたサンバ」という冠も議論の余地のあるところですが、その作者がドンガなのかという点では、もっと色々な論点があります。

 当時、リリースから瞬く間にヒット曲となった「Pelo Telefone」ですが、この曲は、リオのプラッサ・オンゼ (オンゼ 広場)近くのチア・シアタ(Tia Ciata)の家の庭でのホーダ(演奏の輪)で生まれた曲でした。その時、この曲は「Roceiro(田舎者)」というタイトルで呼ばれていました。
 その時の即興のホーダに参加していたのは、ジェルマノ・ロペス(Germano Lopes)、ジョアン・ヂ・バイアーナ(João da Baiana ※ブラギーニャ)、ピシンギーニャ(Pixinguinha)、ジョアン・ダ・マタ(João da Mata)、カニーニャ(Caninha)、イラリオ・ジョヴィーノ・フェヘイラ(Hilário Jovino Ferreira)、マウロ・ヂ・アルメイダ(Mauro de Almeida)、シニョー(Sinhô)に、ティア・シアタ(Tia Ciata)らも参加していたとされています(知ってる名前もありますよね?)。また、少なくとも1916年の8月頃から、ノルデスチ地方のフォルクローレをテーマにした詩や即興や、警察の賭博行為について言及するというスタイルが、プラッサ・オンゼのホーダへの常連参加者の間で、人気になっていました。

 しかし、1916年11月に、ドンガは国立図書館に、自分個人の名前で、この曲の楽譜を登録しました。自ら「サンバ」と分類して登録しました。もちろん、当初、仲間たちは、ドンガの知恵が気に入りませんでしたが、(ホーダにも参加していた音楽家仲間の)シニョーの「音楽は鳥のようなもの。最初に掴まえた人のもの」という言葉を後ろ盾に、そのまま進みました(冒頭の仲の良さそうな動画で推測するに、仲直りはしているようですね)。

 多くの人の反対を押し切りましたが、歌詞の編集作業をドンガと共同で行ったジャーナリストのマウロ・ヂ・アルメイダ(Mauro de Almeida)のクレジットは、後に加えられました。

 サンバ以前のリオのカーニヴァルの中心は、マルシャでしたが、「Pelo Telefone」を先陣にサンバが登場すると、以降、サンバがカーニヴァルの主役の座を譲ることはありませんでした。
 「最初に録音されたサンバ」がリリースされてから100年以上たちましたが、今ではスマホから流れる「Pelo Telefone(電話で)」を聴くのがあたり前になりました。

参考文献:Nelson Motta「101 canções que tocaram o Brasil 」 他
O chefe da folia
Pelo telefone manda me avisar
Que com alegria
Não se questione para se brindar
 お祭り騒ぎ中のボスが
 電話で私に警告してきた
 喜びの乾杯に
 疑問を持たないようにと
 
Ai, ai, ai
É deixar mágoas pra trás, ó rapaz
Ai, ai, ai
Fica triste se és capaz e verás
 ああ、ああ、ああ
 これは今後に不満を残すぞ、男よ
 ああ、ああ、ああ
 もしそうできるなら悲しくなってみたら
 
Tomara que tu apanhe
Pra não tornar fazer isso
Tirar amores dos outros
Depois fazer teu feitiço
 2度とやらないように
 あなたはお尻を蹴られて欲しい
 魔法をかけたあとで
 他人の愛する人を奪わないように

Ai, se a rolinha, sinhô, sinhô
Se embaraçou, sinhô, sinhô
É que a avezinha, sinhô, sinhô
Nunca sambou, sinhô, sinhô
Porque este samba, sinhô, sinhô
De arrepiar, sinhô, sinhô
Põe perna bamba, sinhô, sinhô
Mas faz gozar, sinhô, sinhô
 ハトが困ってしまったのは、小さい鳥がサンバをしないから
 なぜなら、このぞっとするサンバが
 足を怪我させるから
 でも、気持ちのいいもんだ
(sinhô は senhor(英語のMr)と同義)

O peru me disse
Se o morcego visse
Não fazer tolice
Que eu então saísse
Dessa esquisitice
De disse-não-disse
 七面鳥が私に言うには
 もしコウモリが
 愚かなことをしないようになったら
 そうしたら私は
 言った言わないの
 この異常な世界から
 抜け出せるだろうって

Ah! Ah! Ah!
Aí está o canto ideal, triunfal
Ai, ai, ai
Viva o nosso carnaval sem rival
 ああ、
 そこには理想的な歌がある、勝利の歌
 ああ、
 他に類を見ないカーニヴァルに万歳

Se quem tira o amor dos outros
Por Deus fosse castigado
O mundo estava vazio
E o inferno habitado
 もし他人の愛を奪うものが
 神に罰せられるならば、
 世界は空っぽで
 人は地獄に住んでいただろう

Queres ou não, sinhô, sinhô
Vir pro cordão, sinhô, sinhô
É ser folião, sinhô, sinhô
De coração, sinhô, sinhô
Porque este samba, sinhô, sinhô
De arrepiar, sinhô, sinhô
Põe perna bamba, sinhô, sinhô
Mas faz gozar, sinhô, sinhô
 あなたが来たいと思うかどうかは別として、
 カーニヴァルの輪の中に入ることは、
 心の底から馬鹿騒ぎすることだ
 なぜなら、このぞっとさせるサンバが
 足を怪我させるから
 でも、気持ちのいいもんだ

Quem for bom de gosto Mostre-se disposto
Não procure encosto
Tenha o riso posto
Faça alegre o rosto
Nada de desgosto
 センスのいい人は
 ハッチャけてください
 椅子を探さず
 笑顔でいて
 嫌なことなどないような
 幸せそうな顔でいて
 
Ai, ai, ai
Dança o samba
Com calor, meu amor
Ai, ai, ai
Pois quem dança
Não tem dor nem calor
 ああ、ああ、ああ、
 愛する人よ、熱を持って、
 サンバを踊って
 ああ、ああ、ああ
 だって、踊る人は
 痛みもないし、暑さも感じない

(「Pelo Telefone」作詞作曲:Donga / Mauro de Almeida|1916年 )
...歌詞は訳してみましたが、状況がよくわからない...ですが、警官が違法賭博に当たった場面と、カーニヴァルのお祭り騒ぎを描いているんだと思います...

4月5日の、その他のトピック。
●サンバ歌手で作曲家、モアシール・ルス(Moacyr Luz)の生まれた日。1958年4月5日生まれ。代表曲、「Saudades da Guanabara」(Aldir Blanc / Paulo César Pinheiro との共作), 「Mico preto」(Aldir Blanc との共作) e Som de prata (Paulo César Pinheiro との共作)。
●カポエイラのメストリ、メストリ・パスチーニャ(Mestre Pastinha | 1889年4月5日 - 1981年11月13日)の生まれた日。
●MPBの若き鬼才、アントニオ・ロウレイロ(Antonio Loureiro)の生まれた日。1986年4月5日生まれ。

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