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[2021.03]【ピアソラ~生誕100年】超実用的ピアソラ・アルバム・ガイド on Spotify Part 7

文●斎藤充正 texto por Mitsumasa Saito

[著者プロフィール] 斎藤充正 1958年鎌倉生まれ。第9回出光音楽賞(学術研究)受賞。アメリカン・ポップスから歌謡曲までフィールドは幅広い。世界のピアソラ・ファンがピアソラのバイブル本として認めている『アストル・ピアソラ 闘うタンゴ』の著者であり、ピアソラに関する数々の執筆や翻訳、未発表ライヴ原盤の発掘、紹介などまさにピアソラ研究の世界的第一人者。
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1974年

 1973年10月25日に心臓発作で倒れたピアソラは、病床でそれまでの慌ただしい音楽生活を振り返り、閉鎖的で自分の音楽の真価をなかなか認めてくれないブエノスアイレスを離れて、何度か訪れる中で自由な雰囲気を感じ取った海外へと拠点を移す決心をした。ピアソラが選んだ場所は、父祖の地でもあるイタリアだった。アメリータ・バルタールと共に旅立ったのは、1974年3月のことである。
 ローマに落ち着いたピアソラは、以前から打診してきていたアルド・パガーニとマネージメント契約を結び、そのパガーニがプロデューサーを務めるカローゼッロ・レーベルと契約した。そしてその第1弾として、5月にミラノのモンディアル・サウンド・スタジオで録音されたのが『リベルタンゴ』である。

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Libertango

 「アディオス・ノニーノ」1曲を除いては、いずれもイタリアに渡ってから書き下ろした新曲ばかり。リベルタ(自由)+タンゴで「リベルタンゴ」、メディテーション(瞑想)+タンゴで「メディタンゴ」など、いずれもピアソラの考えた合成語のタイトルが付けられている。今やすっかりお馴染みになった「リベルタンゴ」は、やはり全体を象徴する作品と言えるだろうが、ここでの演奏は短く、かなりそっけない。
 従来のピアソラは、ごくわずかな例外を除いては、常にキンテートなど自分のアンサンブルを率いてレコーディングを行って来た。タンゴに精通した気心の知れたミュージシャンたちとの丁々発止の熱い演奏が、それまでのピアソラの大きな魅力だった。だが『リベルタンゴ』は違っていた。スペイン人1名(フルートのウーゴ・エレディア)以外はすべて、恐らくはタンゴを演奏するのは初めてだろうイタリア人スタジオ・ミュージシャンとのセッションでアルバム1枚が録音されたのである。楽器編成自体も、それまでのピアソラのどのアンサンブルとも大きく異なっていた。曲によって多少違いがあるので整理してみると、「アンダータンゴ」「ビオレンタンゴ」「ノビタンゴ」はバンドネオン、ピアノ、ハモンド・オルガン、フルート×2、バス・フルート×2、ギター(エレキまたはアコースティック)、エレキ・ベース、ドラムス、パーカッションの11人編成。「リベルタンゴ」「メディタンゴ」は、この11人にストリングスが加わった編成。そして「アディオス・ノニーノ」「アメリタンゴ」「トリスタンゴ」は、ピアソラのバンドネオン4重録音+オルガン、エレキ・ベース、ドラムス、パーカッションという編成である。ハイハットが16ビートを刻むドラムスが象徴しているように、ここでは従来のタンゴ独特のニュアンスはあえて捨てて、ロックやジャズに大胆に接近した音作りが試みられている。それだけに従来からのタンゴ・ファンの間での評価は低かったが、ヨーロッパを中心にピアソラのリスナーを大幅に増やしたことは、紛れもない事実である。
 パガーニが、当時イタリアに滞在していた米国ジャズ界のバリトン・サックス奏者、ジェリー・マリガンに『リベルタンゴ』を聴かせたところ、マリガンは驚きの声を上げた。興味を示したマリガンに対し、パガーニが共演アルバムの企画を提案し、そのアルバム『サミット』は9月から10月にかけて録音された。

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 主導権は完全にピアソラが握り、マリガンは慣れない曲展開に苦戦。それでも完成したこの話題作はSpotify上にはなく、カローゼッロ音源から編集された次のコンピレーションに「目を閉じてお聞き」「孤独の歳月」の2曲が収められているのみだ。

The Golden Collection

 ジェリー・マリガンに続く異色のコラボレーション相手は、両性具有的なイメージをもってブラジルMPB界にて異彩を放った歌手、ネイ・マトグロッソ。派手なメイクでも話題になったロック・バンド、セコス・イ・モリャードス解散後、最初のソロ・アルバム制作にあたり、ピアソラとの共演による「島々」(作詞はジェラルド・カルネイロ)「1964(II)」(ホルヘ・ルイス・ボルヘスの詩にピアソラが曲をつけたもの)の2曲が1974年11月22~23日にミラノのモンディアル・サウンド・スタジオで録音された。プロデュースはパガーニで、ピアソラ以外のメンバーは『リベルタンゴ』『サミット』同様イタリアのスタジオ・ミュージシャンたち。

Água Do Céu - Pássaro / Ney Matogrosso

 ブラジルとアルゼンチン混合メンバーがサポートし、サンパウロのスタジオでビリー・ボンドのプロデュースで録音されたアルバム本編と当時は完全に分けられ、付属のシングル盤に収録される形で、1975年にリリースされた。なお、ピアソラとの2曲は3月3日にユニバーサルミュージックからリリースされた編集盤『コラボレーションズ』にも収録されている。

 マトグロッソとの録音との前後関係は不明だが、アメリータとの最後の録音となった「マティルデへの小さな歌」「みんなのビオレータ」もほぼ同時期の制作。

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 この2曲は、前回も紹介した次の編集盤で聴ける。

Piazzolla & Amelita Baltar

 この録音のあと、ピアソラはアメリータと12月に一時帰国、テレビ番組出演のほか、コリセオ劇場で公演を行っている。ゲストにバンドネオンのロドルフォ・メデーロス、フアン・ホセ・モサリーニ、ダニエル・ビネリを招き、前半はエレクトリックな編成で『リベルタンゴ』の世界を再現、後半はキンテート(ピアノはダンテ・アミカレリ)という豪華な内容で、アメリータも前半・後半ともに数曲ずつ歌った。

1975年

 1月、ザールブリュッケンでようやく『若き民衆』の制作が再開され、1971年12月に録音されていた音源に、朗読とコーラスがオーヴァーダビングされた。ドイツの俳優、チャールズ・ウィルツが朗読したドイツ語のテキストは、スペイン語によるフェレールのそれを忠実に翻訳したものだった。そして完成された音源に合わせて、スタジオでの演奏シーン(口パクや当て振り)が収録されたが、完成したテレビ放映版は、アルゼンチンに(本人たちのもとにも)届けられないままに終ってしまった。
 3月にはフランスの個性派俳優で歌手のギ・マルシャンが、ピアソラ自身の率いるスタジオ・オーケストラをバックに、「リベルタンゴ」「アンダータンゴ」に自分で歌詞を付けた「私はタンゴ (Moi je suis tango)」「ミスター・タンゴ (Mister Tango)」をシングル盤でリリース。フランスではかなりのヒットを記録したという。

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 パガーニは制作には関与せず、フランスのミュージシャンたちの演奏は、同じピアソラのアレンジであっても、イタリアのスタジオ・ミュージシャンたちの演奏と響きやニュアンスが異なるのが面白い。これも、マルシャン自身による最近の再録音はあるが、当時のものはSpotifyには上がっていない。この後、アメリータとは5月に最終的に訣別した。

 9月にはミラノでアルバム4枚分の音源をまとめて録音した。『リベルタンゴ』以降の諸作同様、イタリア人のスタジオ・ミュージシャンが中心だが、それまでと異なるのは、ブエノスアイレスからアントニオ・アグリ(ヴァイオリン)と息子のダニエル・ピアソラ(シンセサイザー、パーカッション)を呼び寄せたことである。特に長年のパートナーであるアグリの参加は、作品に大きな付加価値をもたらした。

Il pleut sur Santiago

 最初の1枚は、エルビオ・ソート監督の映画『サンチャゴに雨が降る』のサウンドトラック。映画は、1970年9月のチリ人民連合政府樹立から、1973年9月の軍事クーデターによるアジェンデ政権崩壊までを描いたドキュメンタリー・タッチの力作。

Lumiere

 続く『リュミエール』は、ジャンヌ・モローから依頼を受けて書かれた、彼女の初監督による同名映画サウンドトラックと、5月に死去したアニバル・トロイロに捧げた『トロイロ組曲』のカップリング。ここでは曲順が変更されているが、バンドネオンのカデンツァありとなしの2ヴァージョンが存在する『トロイロ組曲』の第1曲「バンドネオン」は、ここではカデンツァありのフル・ヴァージョンで収められている。

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Le voyage de noces

 続く『新婚旅行』も映画(ナディーヌ・トランティニャン監督・脚本によるフランス映画)絡みだが、音楽を依頼されたものの実際には使用されなかった、残骸のアルバム化である。「迷子の小鳥たち」以外はピアソラとアグリのデュオやバンドネオン多重録音などで構成された、地味な作品。

Balada para un loco

 この後コンフント・エレクトロニコに参加することになる男性歌手、ホセ・アンセル・トレージェスをフィーチャーした1枚。トレージェスのヴォーカルは10月以降にブエノスアイレスでオーヴァーダビングされている。『サンチャゴに雨が降る』や『新婚旅行』に収録されていた曲目を再利用したトラックが多いが、要するに本来歌の曲として書かれていたものがインストとして先の2枚に流用されていたということである。
 この一連のレコーディングを終えたピアソラは、ライヴ演奏のためにブエノスアイレスのミュージシャンたちによるコンフント・エレクトロニコを結成する。メンバーは以下の通り。

 アストル・ピアソラ(バンドネオン、編曲)
 アントニオ・アグリ(ヴァイオリン)
 オラシオ・マルビチーノ(エレキ・ギター)
 フアン・カルロス・シリリアーノ(ピアノ、エレキ・ピアノ)
 アダルベルト・セバスコ(エレキ・ベース)
 サンティアゴ・ジャコーベ(オルガン)
 エンリケ・ロイスネル(ドラムス)
 ダニエル・ピアソラ(シンセサイザー、パーカッション)
 ホセ・アンヘル・トレージェス(ヴォーカル)

 ほとんどがタンゴやフォルクローレ、ジャズ、ポップスなど幅広いジャンルに精通した、ピアソラも旧知の演奏家ばかりである。このメンバーによる演奏で残されているものは、11月にブエノスアイレスのテレビ局、テレオンセで収録されたスペシャル番組『ピアソラ75』のモノクロ映像(観客を入れない舞台での演奏)のみだが、YouTubeなどで観ることができるものをかき集めても全曲は揃わない。

1976年

 年が明け、アグリがコンフント・エレクトロニコから脱退、代わりにフルート/アルト・サックスのアルトゥーロ・シュネイデルが参加した。ブエノスアイレスのライヴ・ハウス、ラ・シウダーでのライヴ音源が、ピアソラの死後パガーニによって各種発売された。

Piazzolla & El Conjunto Electronico

 これもそれと同じ音源。音のバランスも良くないし、演奏もイマイチだが、貴重なものなので仕方がない。このメンバーでスタジオ録音を残しておいてくれればよかったのだが、レコーディングではスタジオ・ミュージシャンを使うというのは、契約上の縛りか何かがあったのだろうか。コンフント・エレクトロニコは、5月のカーネギー・ホール公演をもって解散した。

 3月に生涯の伴侶となるラウラ・エスカラーダとの出会いを果たしたこの年、ピアソラは自身のアルバムの録音は行っていない。ラウラとの新生活のため、ローマからパリに居を移したこの年は、フランスのアーティストとの共演が続いた。その中でも、1972年以来交流のあったジョルジュ・ムスタキ(アルジェリア生まれのギリシャ人シャンソン歌手)のパリ在住25周年記念アルバム『ムスタキ(詩人の叫び)』への参加は話題となった。

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 このアルバムはSpotifyには上げられていないので、ピアソラが関わった5曲が収録された『コラボレーションズ』の元になったこちらを挙げておく。

Piazzolla Completo En Philips Y Polydor - Volumen IV (1975-1985)

 最初の2曲が前述のネイ・マトグロッソとのもの。次の5曲がムスタキとのコラボレーション。その次の曲は、次に紹介するマリ=ポール・ベルとの共演。CD1の最後の2曲は、次回以降に紹介するアンドレ・ヘラーとのもの。CD2はこれも後述する『オランピア ‘77』である。ムスタキとの5曲だが、アルバムの約半数にあたり、関わり方も様々。「創る喜び」「ラ・メモワール」は作曲・編曲とバンドネオン、「僕の神」は編曲とバンドネオン、「太陽と音楽の恋人」はジャン・ミュジーが編曲したムスタキ作品にバンドネオンのみで参加。「コンドルは飛んで行く」にはムスタキが「我々には時間がある」という歌詞を付け、ピアソラはバンドネオン抜きの奇抜なアレンジを施した。

Heritage - Maman, J’ai Peur - (1976) / Marie-Paule Belle

 1973年のボビノ座出演を契機に人気を獲得したシャンソン歌手、マリ=ポール・ベルの4枚目のアルバム。ピアソラが提供した「私は瞬間ごとに私の死を生きる」は、殆ど自分で作曲した曲しか歌わない彼女が珍しく録音した他人の作品。ピアソラはバンドネオンは弾かずに楽団を指揮し、マリ=ポールはそれに合わせて歌を録音した。

1977年

 2月、ミラノのスタジオで久々のアルバム『ペルセクータ』が録音された。

Persecuta

 従来通りの、イタリアのスタジオ・ミュージシャンたちとの大きめの編成での録音。フランスやアルゼンチンなどでは『ピアソラ77』のタイトルでリリースされた。
 これと同じ頃、アラン・ジェシュア監督、アラン・ドロン主演の映画『アルマゲドン』のサウンドトラック盤も録音されている。

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Armaguedon

 きちんと曲の体裁をとっているものから、効果音的トラック、フレーズの繰り返しなどの断片、と細かいトラックが並んでいる。マニア向けの内容と言えるだろう。

 3月からはムスタキとの2枚看板でパリのオランピア劇場に出演することになり、そのためにコンフント・エレクトロニコを再結成する。ダニエル以外は新しいメンバーを起用することになり、ロック世代のミュージシャンたちが集まった。メンバーは以下の通り。

 アストル・ピアソラ(バンドネオン)
 トミー・グビッシュ(エレキ・ギター)
 ルイス・フェレイラ(フルート、アルト・サックス)
 リカルド・サンス(エレキ・ベース)
 グスタボ・ベイテルマン(エレキ・ピアノ)
 オスバルド・カロー(オルガン)
 ダニエル・ピアソラ(シンセサイザー、パーカッション)
 ルイス・チェラボロ(ドラムス)

 22日間に及んだオランピア劇場出演のうち、4月に入ってから録音された3公演から編集されたのが『オランピア'77』である。

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 3月に待望の単独初CD化が実現したが、Spotifyで聴くなら前述の“Piazzolla Completo En Philips Y Polydor - Volumen IV”のCD2である。実は“Olympia ‘77”のタイトルとジャケット写真でもSpotifyに存在しているが、中身はスタジオ・ヴァージョンという紛いものなのでご注意。
 この第2期コンフント・エレクトロニコもほどなく解散、12月にこの時期最後のスタジオ録音が行われる。

Mundial ‘78

 1978年にアルゼンチンで開催されたサッカーのワールドカップ協賛レコードである。ただし肝心のアルゼンチンでは『ピアソラ78』のタイトルでリリース。その後CD時代に入ってリミックスされ、『チャドル』のタイトルで再発売された。

(ラティーナ2021年3月)


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