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[2011.02] 特集:ウルグアイ音楽 〜その小さくも豊かな国の音楽文化の広がり〜
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[2011.02] 特集:ウルグアイ音楽 〜その小さくも豊かな国の音楽文化の広がり〜

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文●西村秀人 写真●谷本雅世 

 アルゼンチンとブラジルという南米の2大国にはさまれた小国ウルグアイ。この地域の音楽について、アルゼンチン音楽やブラジル音楽のファン、それぞれの立場から関心をもつ人は多い。しかし日本へのCD輸入が難しく(信じられないかもしれないが、隣国アルゼンチンでもウルグアイ盤CDを見かけることは稀なのである)、広く紹介する機会は限られてきた。しかし今回ウルグアイ便の充実を今後期待する意味も含め、ウルグアイ音楽の特集を2回に渡っておとどけする。何より人口300万人のこの国でこれほど多様でユニークな音楽が息づいていることはもっともっと知られていいはずである。

 ウルグアイ音楽の基礎を形づくってきたのは、他のラテンアメリカ諸国同様、移民たちである。先住民族としてチャルーア人などがいたが、独立初期にほぼ全滅しており、その文化的影響は皆無である。したがってスペイン系、イタリア系を中心として、そこにアフリカ系の要素が加わった文化をもっている。今回はウルグアイの音楽の基盤となる部分を分野別にまとめ、1970年以降の現代シーンにつながってくる動きは次号でまとめることとしたい。

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人気チーム1080のタンボール隊。カーニバルは長く、2ヶ月間行われる
(foto por MASAYO TANIMOTO)

◆フォルクローレ~ラプラタの恵み

 ウルグアイのフォルクローレは基本的にアルゼンチン・パンパ地方と共通点が多い。特にパジャドール(吟遊詩人)の伝統はほぼ共通である。今でも毎年両国のパジャドールが参加してコンクールが行われているが、いつもウルグアイ側が優勢であることが誇りとなっている。したがってウルグアイでもミロンガ、エスティロといった形式がポピュラーなわけだが、特にウルグアイで盛んな形式として軽妙なチャマリータ(chamarrita)、黒人ギター奏者のアクセントの影響を受けたミロンゴン(milongón)がある。1950~60年代に商業化したアルゼンチン・フォルクローレのスタイルの影響ももちろん強く、サンバ(zamba)、ガト(gato)などアルゼンチン北西部の形式もフォルクローレ歌手のレパートリーとして一般的である。ウルグアイを代表するフォルクローレ歌手としてまず名前が挙がるのはアルフレド・シタローサ。吟遊詩人のスタイルを受け継ぎつつも寂しげで都会的な語り口は、地方というよりは首都モンテビデオを象徴している。

 ウルグアイ・フォルクローレのスタイルで目立つのは男性デュオである。ロス・オリマレーニョス(ペペ・ゲーラ&ブラウリオ・ロペス)、ロス・スカラ(ウンベルト・ピニェイロ&フリオ・ビクトル・ゴンサレス)、ラルバノア=カレーロなどが特に高い人気を持つ名コンビだが、独特のハーモニーとトーンによる歌唱は個性的で、多くのグループはいわゆる「新しい歌」の流れに属しており、社会性を持った曲をレパートリーとしていた。男性デュオではないが、来日経験もあるワシントン&クリスティーナもこの流れに加えていいだろう。近年は元デュオだったアーティストのソロ活動も目立っている。

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ウルグアイのテレビ局で歌うシタローサ

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名曲「ベーチョのバイオリン」をモチーフにした記念切手

 「新しい歌」の流れはウルグアイでも強く、シタローサの社会的な作品はその先駆といえるし、名曲「鉄条網を切れ」で知られたダニエル・ビリエッティ、パラグアイ式のアルパ奏者であると同時に優れたシンガーソングライターでもあったアニバル・サンパージョ、先日惜しくも世を去ったホセ・カルバハルらがその分野の初期のアーティストで、この世代はフォルクローレの要素が強い。その後はロックの影響が強い世代が登場し、以後は特に「カント・ポプラール・ウルグアージョ」(CPU)と呼ばれ区別されている。

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現在ソロ活動をするぺぺ・ゲーラとブラウリオ・ロペスによる
ロス・オリマレーニョス

◆カーニバルの華~カンドンベとムルガ

 ウルグアイの首都モンテビデオにおいてカーニバル文化は重要である。当初ヨーロッパから移送されてきたカーニバルの習慣は徐々に形を変え、現在では複数のジャンルに分かれてパフォーマンスを競うコンクールという形で行われている。そのジャンルの中で長年最も人気あるジャンルであり続けているのが「カンドンベ」と「ムルガ」。カンドンベはもともと奴隷としてアフリカ大陸から連れてこられた黒人たちがウルグアイで宗教儀式として作り出したもので、コンゴの王様の載冠式を模しており、最後には登場人物(王、女王、子守、医師、芸人など)全員がダンスをしていた(名称などブラジルのカンドンブレに似ている点もあるが、現在ではカンドンベはカンドンブレと直接の関連はなく、別個に成立したと考えられている)。その後、黒人人口の減少、混血の進行、黒人居住区の拡散を背景に、宗教儀式としてのカンドンベは消失してしまうが、ほぼ同時にカーニバルの行進に、儀式の最後のパートで行われていた音楽とダンスが取り入れられていく。初めてカーニバルに導入されたのは白人によるパロディとしてだったが、すぐに黒人たちも行進に参加するようになり、やがてカーニバルの正式なジャンルとして認められた。カンドンベにはチコ、レピーケ、ピアノという3種の大きさの異なるタンボールでつむぎだされる基本リズムがあり、さまざまな音楽ジャンルで使われるようになる。それは1940年代からで、タンゴ楽団によるミロンガ・カンドンベ(特に有名な曲に「エスタンパ・デル・800」「モレーノたちのダンス」「タンボリレス」などがある)、ラテンやボサノヴァのスタイルと組み合わせたもの、フォルクローレやカント・ポプラールのアーティストによるもの(シタローサの名曲「ドニャ・ソレダー」など)、ジャズ~ロック系のスタイル(ウーゴ・ファトルーソ、ルベン・ラダ、ハイメ・ロスなど)に広がっている。その意味では「カンドンベ」という一つのジャンルはなく、ウルグアイ独自のリズムとしてジャンルをまたがって使われている形式と考えていいだろう。

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カンドンベの核となってきた二大地区の1つ、モンテビデオ・パレルモ
地区のカンドンベ行進、練習の風景(foto por MASAYO TANIMOTO)

 一方ムルガはスペイン・カディスのパフォーマンス集団「ラ・ガディターナ」による1908年のウルグアイ公演の成功がきっかけとなり、そのスタイルを真似たグループが翌年のカーニバルに登場、徐々にウルグアイ色を強め、独自の「ムルガ」というジャンルになった。その年の出来事などをテーマに取り、パロディや皮肉をこめ、独特のメーキャップで演劇仕立てのパフォーマンスを行うのだが、中心はスネア、大太鼓、シンバルの3人のパーカッション隊によるリズムだけを伴った独自のハーモニーを持った合唱であり、ポピュラー音楽に取り入れられることも、カンドンベほどでないが、ある。ムルガのグループは基本的にカーニバルの時だけに結成される素人のチームだが、近年は「アサルタンテス・コン・パテンテ」「アラカ・ラ・カーナ」「アガラテ・カタリーナ」などの有名チームがCDやDVDを出したり、シーズン外に海外公演を行ったりしており、プロ化の傾向が進んでいる。ムルガの歌手からプロのソロ歌手になった代表的アーティストに一昨年亡くなったワシントン・“カナリオ”・ルナがいる。

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カーニバルのステージにおけるムルガの1シーン

◆ジャズ、ボサノヴァなどの外国音楽

 同時代の中南米諸国と同じく、ウルグアイでもジャズ、ラテンなど世界的な流行の流れの中で親しまれてきた外国音楽もたくさんある。ジャズ〜ラテン系のビッグバンド・スタイルの先駆者としてはワシントン・オレイロとパンチート・ノレーの楽団が有名で、より本格的なジャズではベニー・グッドマン・コンボのスタイルを忠実に踏襲し1960年代に人気絶頂となったトレス・パラ・エル・ジャズ(初代クラリネットはサンティアゴ・ルス、ピアノはタンゴ界でも知られるワシントン・キンタス・モレーノ)、ウーゴ・ファトルーソがベーシストとして参加していたデキシーランドジャズのホット・ブロワーズなどがある。バップ系のモダン・ジャズを指向するアーティストもいたが少数派で、一般的なジャズ人気はスウィングとデキシーに偏っていた。

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パンチート・ノレーのビッグバンド

 また全般的にブラジル音楽の影響はブエノスアイレスよりモンテビデオの方が強かったといえる。ウルグアイのレーベルでは1950年代から結構な数のブラジル音楽が出ており(ソンドールはコンチネンタル原盤を発売していた)、特にボサノヴァは大きな影響を残し、ファトルーソ兄弟、後にカメラータ・デ・タンゴのリーダーとして名をはせるマノーロ・グアルディア(ピアノ)、同じくカメラータの初期メンバーでもあり、後にモンテビデオ市立交響楽団の指揮者となるフェデリコ・ガルシア・ビヒル(コントラバス)ら当時ボサノヴァへアプローチしていたアーティストは多い。同時代にはラウンジミュージックの名グループとして知られたハモンドオルガンのアルマンド・ティレリ率いるセステート・エレクトロニコ・モデルノ、文字通り海外の人気グループのコピー・バンドからスタートしたパペル・カルボニコ(カーボン紙の意)などのバンドも活躍した。

◆ウルグアイ・ロックの黎明期

 ウルグアイでテレビ放送が始まったのは1956年だったが、1961年に2つ目のチャンネルが開局、以後62年、63年とさらに新しい局が開局し、本格的なテレビ時代に入ったのは1960年代半ばであった。ウルグアイ・ロックのスターが登場するのもその時期で、最初の花形はRCA専属のロス・イラクンドスと、オデオン専属でファトルーソ兄弟を中心にしたロス・シェイカーズであった。イラクンドスはビートルズ以前のスタイルを指向し、時にギター中心のインストやボサノヴァなどもレパートリーに取り入れていた。一方、ロス・シェイカーズは明確なビートルズ路線。いずれのグループもアルゼンチンでも大変な人気を獲得し、その後特にビートルズ系の流れの方でロス・ブルドッグス、ロス・デルフィネス、ロス・モッカーズなどの人気グループが登場する。詳しくは次回に記すが、これらのグループからその後のウルグアイ音楽シーンで活躍するアーティストが多数出ているのだ。パーカッションのチチート・カブラル、カノ・アロンソ、新しい歌系のホルヘ・ボナルディ、ホルヘ・ラサロフ、ディーノ、ベラ・シエンラ、ブラジルの要素を大きく取り入れたピッポ・スペラなどはみな10代後半にロックで音楽活動をスタートさせ、それぞれウルグアイ・ポピュラー音楽の重要アーティストとなったのである。

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アルゼンチンでも高い人気を誇ったロス・イラクンドス

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ファトルーソ兄弟を中心にしたロス・シェイカーズ

 そして当時最も早くウルグアイ独自の要素をビートルズやボサノヴァなどと結びつけ、個性あふれる音楽性でウルグアイのポピュラー音楽界をリードしていったのがエドゥアルド・マテオであり、彼とルベン・ラダらが結成した名グループ、エル・キントであった。(以下次号)

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数少ないエル・キントのアルバムの一つ『シルカ1968』(Clave)

(月刊ラティーナ2011年2月号掲載)

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