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[2021.09]映画『夢のアンデス』公開 ⎯⎯ パトリシオ・グスマンは既に次の5年/次の3部作を見据えている

インタビュー・文●柳原孝敦

柳原孝敦(やなぎはら たかあつ)
スペイン、ラテンアメリカ文学、文化研究。
著書に『テクストとしての都市 メキシコDF』(東京外国語大学出版会)『映画に学ぶスペイン語』(教育評論社から増補改訂版が近刊予定)
翻訳にベニート・ペレス=ガルドス『トリスターナ』(共和国から近刊予定)

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『夢のアンデス』
※2021年10月9日(土)より、岩波ホールほか全国順次公開

©︎ Atacama Productions - ARTE France Cinéma - Sampek Productions - Market Chile / 2019

https://www.uplink.co.jp/andes/

 新作『夢のアンデス』(チリ、フランス、2019年)の公開(10月9日から岩波ホールほか)を控えた9月12日(日)、配給会社アップリンクと宣伝担当のスリーピン(原田徹さん)のご厚意を得てフランス在住のパトリシオ・グスマン監督にオンラインでインタビューすることができた。既に二度ほどのインタビューの後だというので、『夢のアンデス』の細部というよりは比較的理念的なことを質問したつもりだが、何度か現在ポストプロダクションの過程に入っている次の作品に話が及ぶことになった。今も精力的に映画製作に関わっている様子が伝わってきた。

 『夢のアンデス』は『光のノスタルジア』(チリ、フランス、2010年)に始まる3部作の3作目とされるもので、首都サンティアゴで活動する芸術家や作家、ミュージシャンらへのインタビューを通じ、チリ社会に残存する1973年のクーデタ以後の記憶を引き出そうと試みた作品だ。グスマンは73年のクーデタとそれ以前のサルバドール・アジェンデ政権を総括するドキュメンタリー映画『チリの闘い』3部作(1975、76、79年)で知られる映画作家で、インタビューの日はクーデタ起こった9月11日の翌日だった。しかもその前後、つまり9月10日から12日の週末の3日間は、チリではじめて『チリの闘い』がテレビ放送される日だったそうで、迂闊にもそのことを事前に知らなかった私は、それに言及するグスマンの言葉にうまく反応できず、そうした方向に話を広げることができなかったと少しばかり後悔している。けれども、ドキュメンタリー映画についての考え方などを引き出すことができたのではないだろうか。

 最後にまったくの思いつきでマドリードの国立映画学校でビクトル・エリセと一緒だったのではないか、と訊ねたところ、仲が良かったとの答えを得た。これは予想外のことで、他の同世代のシネアストとの関係も掘り下げていきたかったのだが、残念ながら時間切れだった。グスマンが『チリの闘い』を撮っていたころというのは、エリセが『ミツバチのささやき』を撮っていたころでもあるのだった。

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柳原 最新作の話から始めましょう。『夢のアンデス』の冒頭であなたはサンティアゴに着くと「地球外生命体/宇宙人のように」(注:字幕では「異星人」)感じると言っています。この語は「外国人」とか「よそ者」と言うよりもはるかに遠い距離を示しているようで、印象的でした。でも一方で、考えてみたら『光のノスタルジア』『真珠のボタン』『夢のアンデス』の三部作には常に宇宙からの視線、宇宙への視線というのがあって、それがこの三部作をまとめるモチーフかなとも思いました。何しろ『光のノスタルジア』はアタカマ砂漠で天体観測をする人々の話から始まりますから。そういう感覚についてお話しいただけますか?

パトリシオ・グスマン あなたのおっしゃるとおりだと思います。私はもう何十年も外国に住み、たいへんな孤独の中にいます。私はふだん孤独を好み、友だちがいるにはいますがあまり連絡を取ったりしません。私は妻と二人で暮らし、島を作っています。その島の中から1万2千キロ離れた国のことを気にかけています。おかしな話ですが、こんなふうに私たちは人生を構築してきましたし、これからもこうあり続けるでしょう。まったく異なる場所に住みながらもチリとは直接のコンタクトを取っています。チリの情勢には常に注意を払っています。次の映画もサンティアゴでゆっくりと進行中のあることについて語っています。それでも私たちはここ、1万2千キロの彼方に住んでいます。どう説明すればいいのかわかりませんが、こういうことです。

柳原 その意味では映画の中ではもう一人のチリの外(スペイン)に住む人物、画家のギジェルモ・ムニョスにいちばん肩入れされているのではないかと見ました。冒頭、地下鉄駅のプラットフォームの壁に描かれたムニョス作のアンデスの絵が映し出され、「サンティアゴの住民がいちばん身近にアンデスを眺めるのは地下鉄駅の中だ」とのナレーションが流れます。スペインに住んでハイパーリアリズムの手法でアンデスを描いているムニョスにはご自身がいちばん共感されるところではないでしょうか。そして、にもかかわらず彼はひと言も発さないのですが。

パトリシオ・グスマン 発さないですね。私たちは実はこのことにかんして一度も話をしたことはないのですよ。でも彼が国外に住みつつあれだけリアルにアンデスを描いているというのはとても重要な意味を持っていると思います。やはり1万2千キロ離れた場所に住みながらあれだけ事細かに描いているのですから。そして彼もまた自発的な亡命者です。多くのチリ知識人が亡命して国外に住んでいます。アメリカ合衆国やヨーロッパに住みながら、彼らはチリ文化を作り続けています。現実的に言ってチリはピノチェトのクーデタによって爆発して多くの離れた国々に四散していきました。不思議な、ラテンアメリカの中でもたぐいまれな国である国の文化が、こうして遠く離れた土地に住む人々によってより神秘的なものとして作られているのです。実際多くの芸術家や知識人が外国に住んでいます。ここフランスには例えばホドロフスキーがいます。映画人でパントマイムのアクターでもあります。面白いことにこういう奇人が外国に住んでいるのです。

柳原 私も国外に住んだチリ人作家ロベルト・ボラーニョの作品を翻訳しているので、そうした人々の存在にはとても共感します。一方、映画の中にはチリに残った人々がたくさん出てきます。彫刻家のビセンテ・ガハルドとか映画監督のパブロ・サラスなど。こうした人々に関してはどういう意見をお持ちでしょうか?

パトリシオ・グスマン 現実に向き合うしかたはいろいろあります。家の中にじっとしていた人もいれば、反ピノチェトの運動に乗り出した人、国外に出てそのことを訴えた人、さまざまです。チリに残った人には非常に感心するばかりです。特にパブロ・サラスのような人物はそうですね。ほぼ毎日チリでの時々刻々の出来事をフィルムに収めている人です。チリは本当に多様で、興味深い国です。そういう表に出てこない意見などを作り出しているアーティストがたくさんいます。たとえば今私が作っている次の映画では女性たちが話しています。チリを根本から変革するための条件を作ろうとしている若い女性たちです。新たな憲法を作っているのです。すばらしい活動です。こんなふうに常に動きがあるので、チリは興味深いのです。それに動きのないときでも好きです。それだけ好きな場所から離れて暮らすというのはとても不思議な体験ですけど、でもそれが実情です。

柳原 パブロ・サラス以外にもチリに留まって撮り続けているシネアストもいますが。たとえばイグナシオ・アグエロなどは……

パトリシオ・グスマン もちろんそうですね。もっと若い世代ですね。非常にすぐれた活動をしている人々です。パブロにしてもそうですが、イグナシオも卓越した存在だと思います。いろいろなドキュメンタリーの種類が撮られているからです。ダイレクトシネマもあれば比喩的なのもある。謎に満ちたものもあって、イグナシオなどはそうですね。そして皆、自身の小さな製作会社で仕事を続けている。それなのに国は、テレビ局は彼らにしかるべき注目を払っていません。彼らの映画がテレビで放送されることがないんです。それは『チリの闘い』の場合も同じで、これは今やっとテレビで放送されることになりました。三部を金曜、土曜、日曜と3日にわたって放送したのです。これで多くの人に見られることになりましたが、45年目にして初めてのことです。私が映画を作り終えたのは45年前で、ずっと待っていてやっとです。それがまさに今日なんです。

柳原 それは、いずれにしてもおめでとうございます。フィクションの作家たちはどうでしょう? 最近だとパブロ・ララインなども……

パトリシオ・グスマン それはまったく異なる世界の話なので、私にはよくわかりません。脚本家がどのような闘いを強いられ、どのような検閲にあってきたのかなど、よく知らないのです。少なくとも作品としてはパブロ・ララインのものなどは好きですけども。

柳原 あなたは少なくとも一度、あるインタビューで、マドリードで学校を終えてチリに戻ってきてすぐのころには劇映画というか、フィクションを撮りたいと思っていたとおっしゃっています。もうその世界への未練はないのでしょうか? それともフィクションへの志向はうまい具合にドキュメンタリーの中に溶解しているということでしょうか?

パトリシオ・グスマン フィクションとドキュメンタリーはまったく異なるふたつの道なのでどちらかを選ばなければなりませんでした。ふたつは撮り方も異なります。ドキュメンタリーは狭くて込み入った道で、フィクションはもっと開かれて、完全に確立された道です。どこの国でもそうでしょうけど、ドキュメンタリー作家はもっと小さな世界に住んでいます。もっとつつましい世界。配給も限られています。ドキュメンタリーはいわば三つの楽器だけで成り立つ室内楽みたいなものです。オーケストラとは大違いです。

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©︎ Atacama Productions - ARTE France Cinéma - Sampek Productions - Market Chile / 2019

柳原 なるほど。でも室内楽だからこその可塑性みたいなのがドキュメンタリーにはあるのではないかとも思います。『チリの闘い』は5、6人の小さなグループで撮り始めたということですが、そうした撮影のプロセスを伺うに、それは一種集団的創作だったのだろうと思います。ゴダールのジガ=ヴェルトフ流だったのでしょうか?(グスマン、にやりと笑う)詳しくは分かりませんが、最新作の『夢のアンデス』では例えばあなたがパブロ・サラスを撮影の対象にしつつサラスの撮ったフィルムをも利用するというしかたで、あなた自身の映画でありながらも集団的でもあるという、以前とは違った集団性を獲得しているような気がします。

パトリシオ・グスマン そのとおりですね。ドキュメンタリーは何人かで作られるものです。監督し、カットして編集する人物がいます。が、一方でドキュメンタリーは多くの流れを取り入れることになります。多くの意見を取り入れます。友人たちからいろいろと集めて回るようなものです。彼らを招いて話すようにと促すわけです。ドキュメンタリーは開かれたジャンルと言えます。そして実験しながら前に進むジャンルです。後ろ向きにバラバラになってしまうことも恐れずに進みます。ドキュメンタリーは目の前にいる人に自分の言葉を提供するようなものです。非常に心地良いものです。他者の意見に開かれた窓みたいなものです。集団的で個人的、同時に多くの人から成り立ち、同時代の空間を満たすジャンルです。たとえフィクションほどの大きな配給がないときでも、日々、新たに作られるジャンルです。今日ではドキュメンタリーは非常に盛んで、一方でフィクションは小さな危機に瀕しています。中身やシナリオ、アイディアの危機です。逆にドキュメンタリーは増大してきました。だから今日では多くのドキュメンタリーがテレビで放送され、映画館で上映されているのです。もちろん、ドキュメンタリーとルポルタージュの違いというのもはっきりしておかなければならないでしょう。ドキュメンタリーと名乗りながらテレビの記録映像に過ぎないものもあります。ドキュメンタリーはひとりもしくは複数の作家のしるしが刻まれていないといけません。明瞭なスタイル、形式を持っていなければ。私たちはそのことに努めているわけです。

柳原 作家のしるしということでいうと、あなたの場合、語りがとても印象的だと思います。語り口も声も。

パトリシオ・グスマン ええ。私は映画に自分の声で方向づけするのが好きです。それが同時に映画内容のナレーションにもなっている。そんなふうにアプローチするのが私は好きなんです。以前は他の人に語ってもらったこともありますが、そのときでも原稿は私が書いていました。

柳原 とりわけ『光のノスタルジー』からの三部作を見ていると、エドゥアルド・ガレアーノの『ラテンアメリカの開かれた血脈』(注:邦題『収奪された大地——ラテンアメリカ五百年』大久保光夫訳、藤原書店)を思い出します。きっとあなたもお読みになったと思います。

パトリシオ・グスマン 何度も読みましたよ。灯台の光となった本です。それはラテンアメリカをただひとつの国民として語った最初の本です。ラテンアメリカの文化を、創造を、政治を前景に掲げた本です。出版されたときはまるで地震が起こったような信じられないような衝撃でした。その後私はガレアーノと面識を得る機会がありました。私たちにとっては『ドン・キホーテ』なみの古典で、道を示してくれたし、その先に広がる広い地平を見せてくれた本です。美しい本です。

柳原 それにチリには「血脈」が、つまり銅や硝石の鉱脈だとか水脈だとが豊かに流れていますからね。それであなたの映画を観ると思い出す次第です。

パトリシオ・グスマン ガレアーノ以後、チリで起きていること、それに関連してアメリカ合衆国で起きていること、周辺国、ペルーやアルゼンチンで起きていることについて分析した本もたくさん出されていて、ドキュメンタリー作家としてはとても助かっています。

柳原 ところでさっきアレハンドロ・ホドロフスキーの名を挙げられました。ホドロフスキーは日本でも人気がありますし、最近も翻訳が出たばかりですが(注:『サイコマジック』花方寿行訳、国書刊行会)、彼とは面識はありますか? 彼についてはどうお思いでしょうか?

パトリシオ・グスマン すばらしい人物です。サンティアゴに住んでいるころに既に知遇は得ていました。彼はパントマイムのアクターでマイムの劇団を持っていました。チリでは特異な存在で、パントマイムのひとつの潮流を産みだした人物です。それからフランスに移住後は別のタイプの本を出し始めました。特にコミックです。それでかなりの人気を獲得しましたね。ラテンアメリカ全土で。先日彼についてのドキュメンタリー『ホドロフスキーのDUNE』を見ました。実に目を見張るべき映画製作についての映画でした。奇妙だけどもすばらしい人物です。残念ながら直接のつきあいはありません。かつて同居していた娘が彼に相談を持ちかけたことがあります。彼は自分の将来を知りたがっている人にアドバイスするための場所を持っていたんです。あるいは今でも持っているかもしれません。それはわかりません。娘はそれで彼に会い、彼からいろいろと未来について教えてもらうというかなり幻想的な体験をしました。魔法のようなすばらしいひとときだったそうです。

柳原 次の作品のことも何度か言及されましたが、女性たちを撮るということですね?

パトリシオ・グスマン もう撮影はしました。半分くらいは終わっています。編集も1時間分以上は終えました。最後の30分かあるいはそれ以上分がまだ残っています。現在起こりつつあることをフィルムに収めました。現在チリでは新しい憲法を制定するための会議が開かれています。それがどの程度進展しているか、映画を仕上げるにあたってそこに興味があるわけです。この映画が来年公開されると思いますが、そうなったとしても、それは全体の第1部にしかならないでしょう。今チリで起こっていることは複雑で、長い話になるからです。少なくともあと5年はかかるでしょう。それは題材として非常に興味深いものです。まるでまた『チリの闘い』を違う形で繰り返すようなことになりそうです。

柳原 そしてまた彼女たちの映像を使うのでしょうか?

パトリシオ・グスマン 彼女たち自身が撮り溜めたものを気前よく提供してくれたので、それを使っています。

柳原 楽しみですね。

パトリシオ・グスマン 私自身もとても期待しています。映画はきっと面白いものになると思います。チリで起こっていることが大いにやる気を起こさせてくれるからです。国全体で行進を始めたという感じです。みんなが熱狂してそれに参加していますが、食い違いもたくさんあります。だから否定的なこともたくさんあるかもしれませんが、少なくとも現実は動いているし、現実が動いていれば万事OKです。

柳原 最後に青春時代の話を伺いたいのですが、あなたは60年代後半マドリードの国立映画学校で学んでいるわけですが、そのころはいわゆる「新スペイン映画」などといううねりのあるころだったと思います。当時のスペインの印象というのはどんなものですか?

パトリシオ・グスマン もちろん、いい時代でした。「新スペイン映画」の時代、カルロス・サウラはもう世に出ていて、フランスではゴダールやトリュフォーの絶頂期でした。ヨーロッパ全体の映画が面白い時期でした。イギリスでもフリー・シネマやニュー・ウェイヴなんてのがありました。すばらしい時代でした。フランコはそろそろ凋落途上にあって、モダンな、新しいスペインが生まれつつありました。すばらしい時代です。そこからチリに戻ってきたら、別のものが爆発していた。社会的な新時代が来ていました。実にいい時代でした。

柳原 他の映画人、たとえばビクトル・エリセとは一歳違いですが、学校では一緒でしたか?

パトリシオ・グスマン もちろんです。われわれはとても仲が良かったし、学校では一緒でした。あるときには生活費を稼ぐためにコマーシャル・フィルムを一緒につくったりしました。それはまだ彼がデビューする前でした。私がチリに戻ってきてからも、ちょうど『チリの闘い』を撮っているころには手紙のやり取りもしていましたよ。向こうは「独裁にはうんざりだ……、検閲が……」と書いてくれば、こっちはこっちで「革命が起きてるぞ」と書き送ったりしていました。そんな仲でしたよ。

柳原 それは興味深い話ですね。でもそこを掘り下げると別に一冊本を書くことになりそうです。

パトリシオ・グスマン まとまりのない本になってすばらしいと思います。(笑)

グスマン監督写真02

パトリシオ・グスマン(Patricio Guzmán)

(ラティーナ2021年9月)

映画『夢のアンデス』
2021年10月9日(土)より岩波ホールほか全国順次公開
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