【琉球音楽周遊 ~沖縄本島の島うた②~ 】 近代沖縄民謡を築いた女たち|宮沢和史
文●宮沢和史
*以下敬称略
前回紹介した “マルフクレコード” 創始者普久原朝喜の息子さんであり、ご自身も沖縄を代表する作曲家・演奏家・プロデューサーである普久原恒勇氏の事務所でお話をさせていただいた時の氏の言葉が大変印象的だった。「歌う上で、島言葉の豊かな発音が時代とともに簡略化されていく流れは止められない。しかし、沖縄らしい “発声の仕方” は若い人にも守っていってもらいたい」というものだ。
例えば同じ「い」でも発音の仕方は幾通りかある。しかし、現代では「い」は「い」でしかない。何もこれは沖縄に限ったことではなくて、大和でもかつては「ゐ・ヰ(ウィ)」「ゑ・ヱ(ウェ)」がワ行で使われたが淘汰された。そして、現代であっても地方の方言を聞くと50音では表記不可能な発音がたくさんある。沖縄においては若手唄者が先人たちの発音、発声を学び継承に励んでいるが、身近にお年寄りが暮らしているような環境の人以外、日常ではほぼ日本の共通語で話しているわけで、その傾向は今後さらに加速するであろうから、普久原恒勇氏が言うように将来的に発音が簡略化されていくことは避けられないのだろう。だが、前回紹介した近代沖縄民謡を築き牽引してきた巨匠たちは皆全く違った個性の歌声であるものの、どこか共通する “沖縄らしい声の出し方” というものが感じ取れる。興味深いのは現在の若手唄者の歌を聴てみると、皆それぞれ歌声の個性は違うものの、その奥にそれぞれが影響を受けた先人たちの発声の仕方がうっすら見える点だ。本人たちが自覚しているかどうかは定かではないが、客観的に見て、そのようにしてあたかもバトンが渡されるかのように自然に継承されていくことは大変健全なことだと言える。
琉球古典音楽というものは琉球王府の公の芸能をいくつかの流派が三線の奏法や指使い、正しい旋律、歌唱の仕方や息継ぎなどその全てを変えることなく弟子たちに伝え、今日まで継承されてきたものだが民謡は異なる。もちろん、そこには師弟関係は存在し、師匠の歌を模倣するところから始まるわけだが、いずれ自らの力でそこを超え、自分らしさを確立して開花させるもの。時には師匠を反面教師にして自分の道を見つけ出す者もいるだろう。要するに民謡は “一代限りの芸” と言っても言い過ぎではないように思う。だからと言って、皆勝手に自己流で歌っているわけではなくて、先人に学び、先人を最大限敬った上で自分の立ち位置を探そうとするから、先に述べたようにその者の歌声と佇まいの向こう側に何人もの先人たちの姿が自然と見えるものなのだ。
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