[2022.11] 【アントニオ・カルロス・ジョビンの作品との出会い㉜】アメリカ生活での出来事を3か国語でユーモラスに表現 - Chansong
文と訳詞●中村 安志 texto e tradução por Yasushi Nakamura
60年代に入ってからのボサノヴァの世界的ヒット、シナトラなどの著名アーティストとの共演・レコード録音など、華麗な舞台を得たジョビンは、米国で生活する日々も長くなっていきます。そのような中、本人も異国の環境によく適応し、一部作品の英訳詞は自らが制作するなど、芸術と実務の両面で才能を発揮していきますが、あくまで自分はリオっ子であり、ブラジルに帰って暮らしたいとよく語っていたジョビン。海外での生活は決して快適な日々だけではなかったようで、「外国暮らしは素敵だが、最低だ。ブラジルで暮らすのは最低だが、やはり良い」といった、ジレンマを含むジョークを言い残してもいます。
今回ご紹介する歌は、ジョビンが長く過ごした米国での生活・滞在中のエピソードや気持ちを織り込み、英語をメインにしつつ、途中フランス語やポルトガル語を交ぜて歌うChansongというタイトルの作品です。このタイトルは、仏語のchansonと英語のsongを混ぜた造語になっています。
1979年に完成したとされますが、1985年、ジョビンが新しいバンドメンバー(Nova banda)で活動を開始し、3月に録音を終え、ゆっくり休むいとまもなく渡米し、カーネギーホールで3月29~30日に行ったコンサートで、アメリカの聴衆を前にこの歌を披露し、人気を博しました。レコーディングとしては、87年制作のアルバム「Passarim」の中に収められています。
ジョビンが過去に語った中には、 例えば、米国の街中では、誰も自分のことを呼び止めないのに、リオ市内を散歩していると「あなたは、あのトン・ジョビンに似ている」と、何度もたずねられると漏らす話があります。あまりに有名となり、顔を知られているから当然とはいえ、ジョビンはそうした声に対し、「よくそう言われるんです」と、サラリとかわすこともあると、ユーモラスに語っています。
逆に、アメリカでは、ニューヨークで借りたアパートの管理人が、なかなか自分の名前を正確に憶えてくれず、いつまで経っても「Jobim(ジョビン)」と言うべきところを、「Joe Bim(ジョー・ビン)」と2語に分けて呼ぶのだと、冗談めいてジョビンが語った話もあります。そして、この「ジョー・ビン」の寸話は、ふとしたとき、この彼の作品で、異なる形で引用されることになりました。
↑ジョビンが歌う「Chansong」
この歌は、ジョビンがニューヨークの空港に到着した際の入国審査官が、ジョビンに向かって「Mr. Joe Bim」と呼びかけ、質問をする場面から始まります。上記の経験談が、舞台が変わった格好で用いられているようです。
なお、Where have you been?というフレーズとMr. Bimが語末で韻を踏んでいるのも面白く、また、こうした言葉の使われ方は 、語末の文字がmで終わるJobimも、発音はジョビ「ム」ではなくジョビ「ン」であることをうまく示す良い証左となります(ファーストネームの愛称Tomが、トムではなくトンであることも同じ理由。)。
また、あるときジョビンは、「ニューヨークに着くと、例によってすぐ何かのパーティーに呼ばれる。これは、その種のパーティーの1つで起きたことだ。」と言いながら、こんな出来事を語ったことがあるそうです。
当時ジョビンが関係の深かった米国音楽業界の要人の1人に、ワーナー・ミュージックの社長だったネスヒ・アーティガンがいます(駐米トルコ大使の子息として、18歳で米国に移った。後にサッカーチームのニューヨーク・コスモスを共同で創設した1人でもある)。このアーティガンは、あるパーティーの最中に、70年代に後部ポケットに白鳥のデザインを付したジーンズで有名となっていた女性デザイナーのグロリア・ヴァンダービルト(Gloria Laura Vanderbilt、1924年~2019) がこの席に来ているのだが、彼女に君(ジョビン)を紹介していいか、とオファー。ジョビンは、これに対して、英語で、By all means(ぜひお願い)ときれいに返答したそうですが、これは、当時ヴァンダービルトのジーンズがバスの車内広告などでBy all jeans(ジーンズを全部買って)と掲げていた宣伝文句を文字った、駄洒落でもありました。これも、この歌Chansongの中にうまく引用されています。
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