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[2019.10]Adeus, nossa Praça Onze, adeus!!! 日本の《プラッサ・オンゼ》38年史を辿る ― 2019年11月末をもって幕を閉じる、ブラジル音楽の拠点へ捧げるオマージュ― 第1回

文●佐藤由美/写真●ラティーナ・アーカイブ

text by YUMI SATO / photo by LATINA's archives

本稿は、月刊ラティーナ2019年10月号に掲載されたものです。佐藤由美さんのご協力で e-magazine LATINA に再掲させていただきました。

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プラッサ・オンゼの終わりとともに、エスコーラ・ヂ・サンバも絶えてしまうんだね。タンボリン、全ファヴェーラが涙し、サルゲイロやマンゲイラのモーホ(丘)も泣いている。エスコーラが出て来ないというから、もうパンデイロは仕舞ったよ。さよなら、我がプラッサ・オンゼよ、さようなら……


 1942年のヒット「プラッサ・オンゼ」は、道路拡張工事で失われゆく歴史的広場への強い愛着をサンバに託している。作者は〝ブラジルのエノケン〟こと喜劇王グランヂ・オテロと、人気コンポーザーのエリヴェルト・マルチンス。トリオ・ヂ・オウロ&カストロ・バルボーザの歌、コンジュント・ベネヂート・ラセルダの演奏で前年録音され話題を呼んだ。

 通称プラッサ・オンゼ、正式名称〝6月11日広場〟は、パラグアイ戦争のブラジル勝利記念日にちなむ命名。サンバ史にとって極めて重要な場所だ。市の中心部に位置し、サンバ揺籃の集会所〝チア・シアタの家〟が隣接しており、32年に初めてエスコーラ・ヂ・サンバがパレードを披露した広場でもある。

 拡張工事に伴い、いったんは会場を移すも、47年には12車線のヴァルガス大統領大通りに姿を変え、エスコーラのパレードを再開。広場は大幅に縮小されたが、やがて地下鉄の駅名に刻まれ、奴隷制廃止100周年の88年にはズンビ像を建立。つまりパレードの形が変わろうと、エスコーラ・ヂ・サンバは現在まで途絶えることなく発展してきたわけだ。

 シンボリックなリオの広場名を冠する店が都内の北青山に誕生したのは、今を遡ること38年前。81年10月に青朋ビル地下1階で営業を始めたようだが、後日、本誌の前身・中南米音楽誌が取材したところ、正規オープンは「81年12月18日」と明言された。

 事ほど左様に、オーナー浅田英了氏と共同経営者で厨房・カウンター内担当の奥田兄弟=芳夫氏(愛称よっちゃん)&淳夫氏(あっちゃん)は、ことごとく乗り一発タイプ。計画性とは無縁で、お世辞にも商売上手とは言い難い。当時すでに四谷《サッシ・ペレレ》、四谷三丁目《イパネマ》といったブラジルに特化した老舗店があり、少し前に表参道《XANGO(しゃんご)》もライヴハウスとしてスタートを切っていたが、《プラッサ・オンゼ》は他店と張り合う気概すらみせず、ひたすら自分らの遊び目的でショバを構えてしまったのだ。

 というのも、78年に始まる彼ら仲間内のお祭り騒ぎ「ラスト・サマー・カーニバル」は人の噂にのぼるほど評判だった。全員仮装の無礼講、酒とサンバ&マルシャ大会が数百人を集めて行われ、規模はどんどん膨らんでいた。ブラジルで言うところの、サロンのカーニバルだ。当初、場所は青山ベルコモンズだったが、確か3年で締め出され、新宿のディスコ、恵比寿のホールと流転の運命を辿る。盛大なこのイベントの主犯格が、スタジオ・ダバ所属カメラマンで、ブラジル帰りの浅田英了氏。同スタジオの2階にアブリュー事務所を設け、奥田兄弟はその共犯メンバーだった。

 なお、店名決めに頭を抱え、腕組みして唸る浅田氏に《プラッサ・オンゼ》案を推したのは、日本在住ブラジル人ミュージシャン、フランシス・シルヴァ氏だったらしい。第2回浅草サンバ・カーニバル優勝に輝いたチーム、クルゼイロ・ド・スールの創立リーダーだ。

 さて、バブル時代の真っ只中、いくら恒例イベントで集客力に自信があったとはいえ、いささか無謀に過ぎはしまいか。スタート時、なんと年中無休で、18時30分~午前2時の営業。出演トップバッターはエリオ・セルソ(key)+吉田和雄(ds)+坂井紅介(b)、当時アルバムもリリースしていた〝ココナツ・クルー〟のトリオだった。一晩5ステージの演奏で、チャージ600円。日曜・祝日限定で「ホリデイ・スペシャル・サンバ・ライヴ」と銘打ち…… 多少プロ・ゲストも招いたろうが、経営陣自ら〝アブリュー・バンド〟と称し、歌や演奏に興じていたことは想像に難くない。

 82年春からは、名うての古川東秀率いる〝コンボ・トウシュー〟連日出演と、旧本誌が報じる。メンバーはリーダーの古川東秀(fl・vo・per・key)、服部正美(ds)、中村功(per・vo)、細谷清俊(per・vo)、井上満(g・cav)、賀来まさえ(vo)。また単発で、〝サンバ・ヂ・ソフィア〟(上智大のバンド)、〝アバンドナーダ〟(正体不明)、ボサノヴァ・ギターの大ベテラン伊勢昌之、後に東洋一のサンビスタと謳われる森本タケルらが登場した。

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中村善郎

 大手レコード会社と契約した〝コンボ・トウシュー〟が、82年10月より《XANGO》へ拠点を移すと、プラッサでは新バンド〝オンゼ〟、もしくは〝ミリオナリオ〟が出演。それまで《XANGO》で演奏していたギター弾き語りの達人、中村善郎が入れ替わる形でバンドを率い、84年2月頃までレギュラーを務める。主な参加メンバーは網代幸男(ds)、生方ノリタカ(key)、越智幸彦(b)、アンジー鈴木→八尋知洋(per)。

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ココナツ・クルー

 しかしまぁ、次号でも露呈するけれど……〝億万長者〟とか〝貴石採掘人たち〟とかのバンド名って、どーなのよ! 命名者の顔を思い浮かべ、ついニヤケてしまうではないか。 (次号に続く)

(月刊ラティーナ 2019年10月号掲載)


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