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[1983.04]1983年“リスボンの春”

文●井上 憲一

  《カーネーション革命》から9年、「犬もほえない」と陰口をたたかれていた ポルトガルも、政策の成功 失敗 で右へ左へ揺れ動くバイタルな国へと変化してきた。「西欧の片田舎」が長い眠りから覚め、動き出したのである。ところで、音楽はいつもそんな動きを反映するもの。ファドの国ポルトガルで はどうだろう。
革命からちょうど9年後の4月9日、総選挙の真只中 のリスボンに足を向けた。 やはり聴こえてきた、新しい歌が…

「ファドの国」へ

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 空港出発ロビーのテレビが、フリオ・イグレシアス来日記者会見の模様を映しだしている。「フリオ狂騒曲」とは無縁のまま、約4週間の取材旅行に出発したのは、4月もなかば過ぎのことだった。

 今回の旅行では、パリを基点にリスボン、バルセロナを回ることになっている。取材のメインは、ポルトガルのリスボンである。そうすると、テーマは《ファド》ということになる。

 去年10月のスペイン・カタルーニャ取材以来、次の取材先はポルトガルと決まったも同然だった。友人たちから「次はドコへ行くの?」とたずねられるたびに、「ファドを聴きにポルトガルへ」と、ちょっと気取った返事をしていた。

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 友人の何人かは、「さてはポルトガルで何かあるな?」と察してくれたが、大抵は「優雅でイイネー!」と皮肉の一つも返してよこすのだった。ギリシャやスペインの場合もそうだったが、「ヨーロッパの片田舎」ポルトガルの現在に関心を持っている者など、そうはいないのだ。それどころか、ボルトガル→ファド→アマリア・ロドリゲス〉という、音楽好きには常識を通りこしてステレオタイプにまでなったイメージでさえ、通じないことが多いのだった。各種観光ガイドブックを眺めてみても、ポルトガルという国は、同じイベリア半島の国家でありながらスペインのオマケでしかない。

 4月中旬、東京にやりかけの仕事を残しながらも急ぎ出かけたのは、《4月25日》に間にあわせるためである。ポルトガルの現在について、次のような状況認識をおこなっていた。《カーネーション革命》と呼ばれた、1974年4月25日の、サラザール独裁体制打倒から9年。革命後、右への振り戻りが絶え間なく続き、79年には、新体制後初めて保守政権が誕生するまでになっている。しかし右への揺り戻しも行くところまで行きつき、ポルトガル社会は再び新しい道を模索し始めている。

 では、そうした中で、ファドは今いったいどんな有り方をしているのだろう。私たちの知らない新しい音楽状況というものが生まれているのではないか、こう考えていた。そして、革命記念日 《4月25日》には総選挙がひかえていた。

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