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[2020.09]創刊記念特別インタビュー:グスタボ・サンタオラージャ

文●フアンホ・カルモナ Text by Juanjo Carmona

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グスタボ・サンタオラージャ(GUSTAVO SANTAOLALLA)

 オスカーを2度受賞したアルゼンチンの音楽家、プロデューサーで、現代アルゼンチン音楽の最重要人物。1951年ブエノスアイレス生まれ。70年にアルコイリスのリーダーとしてデビュー。アンデスフォルクローレとロックをフュージョンさせた先駆者。80年代からはロサンゼルス在住。アルゼンチン音楽の古代からのコンピレーションとなった『ウシュアイアからラ・キアカまで』をレオン・ヒエコとともに作成。90年代にはプロデューサーとしての芽を開花させ、カフェ・タクーバ、モロトフ、フリエタ・ベネーガス、フアネス、ラ・ベラ・プエルカらをプロデュースしラテンアメリカのロックを再興してきた。21世紀にはサンプラーを駆使したエレクトリック・タンゴグループであるバホフォンド・タンゴ・クラブを結成し世界をツアー。ドキュメンタリー映画『カフェ・デ・ロス・マエストロス』をプロデュースし再び音楽遺産を復活させる仕事に携わり、オラシオ・サルガンやラグリマ・リオスとの録音を果たしてきた。プロデューサーとしては数百のアルバムを手がけ、15度のグラミー賞受賞、『バベル』、『ブロークバック・マウンテン』のサントラでオスカーを2度受賞。近年ではプレイステーションの大ヒット作『The Las of Us 2』の音楽を手がける一方、「Desandando el Camino(デスアンダンド・エル・カミーノ)」とマルチ奏者の集団サンタバンダで世界ツアーの再開を予定している。TIME誌により米国におけるスペイン語圏文化において最も影響力のある人物の一人に選定されている。

−外出自粛はいつから?

グスタボ・サンタオラージャ ソーダステレオのカムバックツアーにゲストとして参加していました。3月の最初の週、リマで3万5千人の観客を集め、数日後にはメキシコシティで5万人入りました。3月15日には米州大陸で最も重要なフェスであるVIVE LATINOでの公演が予定されていましたが、外出しても問題ないと主張していた米大統領の政治とは一線を画しているカリフォルニア州とメキシコの国境が閉められてしまう可能性がありました。その時点で同伴者のアレハンドラとともに自粛することを決めたので、早く「Desandando el Camino」をフェスで披露したいという気持ちを持ち続けています。


−カリフォルニア州ではどういった対策が?リモートでの活動はできていますか?

グスタボ・サンタオラージャ カリフォルニアでも外出自粛は出されていましたが、他国ほど厳格なものではありませんでした。30年間、常に引っ越ししていたので、レコーディングスタジオとプールがある場所に引っ越しました。外出自粛例は家財を動かしている時に出されましたが、僕の家とアニバル・ケルペルのスタジオは1ブロックほどの距離なので気にせずに続けました。

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