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【谺する土地、響きあう聲 ⑶】ジェイムズ・ボールドウィンへの手紙(上)

文●今福龍太

今福龍太 :文化人類学者・批評家。1980年代初頭からラテンアメリカ各地でフィールドワークに従事。クレオール文化研究の第一人者。奄美・沖縄・台湾の群島を結ぶ遊動型の野外学舎〈奄美自由大学〉を2002年から主宰。著書に『ミニマ・グラシア』『ジェロニモたちの方舟』『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』『ハーフ・ブリード』ほか多数。主著『クレオール主義』『群島-世界論』を含む新旧著作のコレクション《パルティータ》全5巻(水声社)が2018年に完結。

1月7日
Jimmy,

 数日前、北カリフォルニアに住む友人のカレンからメールがきた。長いつきあいで、いまやお互い姉弟のように感じている、日系三世のアメリカ人女性だ。アメリカ社会が直面する現在の苦境を映し出す、重い内容だった。でも、時や場所を超えて、いろいろな連想を喚起させるメールだった。ジミー、きみにこの手紙のことは伝えておかねばならない、と直観した。
 小説家である彼女自身、このコロナ事態がアメリカ社会を漫然とした怖れと停滞のなかに封じ込めているあいだ、それとはちがう別の厄介な病に身体を冒され、手術と治療ののちに家のなかで安静を求められていた。だから彼女にとって、外出禁止措置は、ウィルスの蔓延によって強いられたものではなく、すでにあらかじめ自らの個としての身体に課された冷徹な掟として受け入れざるをえないものだった。そんな、静かな諦念と覚醒のないまぜになった眼から見たとき、パンデミックによる人々の鬱屈と狂騒の風景は、いったいどのように見えたのだろう。メールの文面から見て、社会に広がるさまざまな不条理にたいし刹那的・感情的に反応するような態度からはきっぱりと離れたところで、彼女の視線はすべてを冷静に観察しているように思えた。

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