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[2021.04]『ブータン 山の教室』 『サンドラの小さな家』 『ハウス・イン・ザ・フィールズ』 ─ 人と人を結ぶ歌がある。音楽が重要な役割を果たす、ブータン、アイルランド、モロッコの映画に心打たれる!

文●圷 滋夫(あくつしげお/映画・音楽ライター)

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『ブータン 山の教室』 ※4月3日より、岩波ホール他にて全国順次公開!
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 『ブータン 山の教室』は、タイトルが示すように “世界で一番幸せな国” として知られるブータンが舞台だ。しかし主人公のやる気のない教員ウゲンが暮らす首都ティンプーと、彼が赴任することになった標高4,800メートルの山村ルナナでは、全く正反対の生活様式と文化の中で生きている。本作はそのギャップがもたらすウゲンの心の変化を静かに見つめた、異文化遭遇による成長物語だ。

 ウゲンは辺境の地ルナナへの赴任を告げられるが、歌手を目指すために辞職するつもりだったので、一年だけ適当にやり過ごそうと軽く考えていた。しかしルナナへ向かうと、その思惑はことごとく覆されてしまう。まず村までトレッキングで一週間以上もかかり、目立たないようにするはずがいきなり村人全員で迎えられる。そして村では電気も携帯電話も使えず、トイレットペーパーすらないのだ。到着早々、ウゲンはすぐにでも帰りたいと村長に申し出るが、学校で教え始めると子供たちの屈託のない笑顔と好奇心、そして雄大で美しい自然に触れ、自分の気持ちが少し動くのを感じていた。

 本作は写真家としても活躍するパオ・チョニン・ドルジ監督の長編デビュー作だ。ブータンでは1999年にインターネットとテレビが解禁されて近代化が急速に進み、新しいカルチャーが特に若者に影響を与える中、監督はブータンの独自性が失われる危惧を抱いて創ったという。とは言え昔ながらの質素な生活を手離しに賛美することも、新しい文明生活を貶めることもなく、絶妙なバランスの視座に立ってカメラはウゲンを追いかける。それは国の外から無責任に “幸せの国” と称えるだけでは解決出来ない、ブータンに暮らす人々の問題が内包されているからだ

 印象的なのは村人にとって家族であり、財産でもある家畜ヤクの存在と、村人が大切にしている曲「ヤクに捧げる歌」だ。ウゲンはヤクとその曲から生活の知恵や生死の意味を学んでゆく。そして村一番の歌い手から歌い方を教えてもらい、次第に村の生活に馴染んでくる。はじめは個人主義で、ヘッドフォンで音楽を聴いて接触を拒み、村の習慣や風習にも従わなかったが、人々と交流を深め集団の中で助け合ううちに、次第にそれらを素直に受け入れるようになる。何より子供たちの「学びたい!」という真っ直ぐな願いが溢れ出る、素朴で純真な瞳の輝きを見ていると、この子たちのために何かをしてあげたいと思うのはとても自然なことに思えてくる。それにしても大きなヤクが教室の中で草を食む手前で、ギターを弾き語るウゲンの姿は異様なシュールさを湛え、まるで一枚の写真作品のようで面白い。

 本作は、新たな生活を余儀なくされた主人公が自然と共に暮らす中で新しい価値観に目覚め、本当の豊かさとは何かを掴む物語という点と、雄大な風景描写と琴線に触れる音楽、そしてそこで実際に暮らす人々が役を演じ、それらが作品の空気感を作っているという点で、アカデミー賞の有力候補『ノマドランド』と似ている。ウゲンは放浪こそしないが、思わず “天空のノマドランド” などと呼びたくなってしまう程だ。もっとも『ノマドランド』は人生の折り返し地点を過ぎた人々の物語で、生きることの機微や深みが感じられ、本作は青年と主に子供たちの交流を描いて、未来への希望や愛らしさが心をとらえる。

 村が雪に閉ざされる冬を前にして、ウゲンは山を降りるか、それとも先生を続けるかの選択を迫られる。そして最後は甘くもなく、苦くもない、やはり絶妙なバランスの粋なラストシーンが用意されている。

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『サンドラの小さな家』
※4月2日、新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて全国公開 ©Element Pictures, Herself Film Productions, Fís Eireann/Screen Ireland, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute 2020

 サンドラは暴力的な夫ガリーから逃れ、まだ幼い2人の娘と仮住まいで暮らし始めるが、必死に働いても稼ぎは少なく公的支援も僅かで、苦しい日々に追い詰められていた。ある日、娘が話す神話の物語を聞いて、サンドラは自分で小さな家を建てることを思い付く。しかしそれを実現するには世間の常識を打ち破ることと、大勢の人の協力が必要だった。サンドラは多くの困難に直面しながら周囲の人々を粘り強く説得し、少しずつ手を差し伸べてくれる人が集まってきたが、些細なことでガリーから訴えられ、裁判で娘の親権を争うことになってしまう……。

 アイルランド映画『サンドラの小さな家』は、物語も演出のスタイルもオーソドックスで特に目新しさはない。しかしそれでも登場人物が抱える怒りや悲しみ、希望などの想いがスクリーンから滲み出るとても力強い、そして分かりやすい見事な人間ドラマになっている。それは本作の企画者である女優クレア・ダンの切実な想いが関わった全ての人にしっかり伝わり、そのまま大きな実を結んだからだろう。

 ダンは親友からホームレス状態になったことを聞いて衝撃を受け、システムが崩壊してしまった社会に対する怒りを映画にしようと思い付き、その衝動を初めて脚本にしたのだ。そしてプロデューサーや旧知の監督フィリダ・ロイドを巻き込んで企画を推し進め、遂には監督の要望を受けて初めて主演も務めることになる。一人の想いが少しずつ周囲の共感を得て大きくなってゆく様は、そのまま本作にも重なり、終盤の怒涛の展開と相まって観る者に静かな勇気を与えるだろう。

 もう一つ、本作の表現に確かな説得力をもたらしているのが、サンドラに協力する人々を緩やかに繋いでいるアイルランドの伝統で、そのカケラが全編に埋め込まれている。まず家を建てるアイディアは、アイルランドの神話に登場する女神ブリジッドがきっかけだ。建築の指導をするエイドは、サンドラを手伝うのは “メハルの精神”、つまり人が集まって助け合いその結果自分も助けられる、というアイルランドに昔から伝わる考え方だと話す。そしてパーティーの最初で交わす乾杯の挨拶は、アイルランドでイギリス支配以前に使われていたゲール語の「スローンチャ!」だ。

 さらに重要な役割を果たすのが音楽だ。パーティーでアイルランドを代表するロックバンドだったクランベリーズのデビュー曲「ドリームス」(フェイ・ウォンの歌唱で『恋する惑星』の主題歌としても知られる)が流れ、国民的なトラッドバンド、ザ・ダブリナーズや伝説的なロックバンド、シン・リジィによるカバーでも有名な民謡「ウイスキー・イン・ザ・ジャー」を皆で楽しく合唱する。何よりサンドラがアイルランドの伝統的歌唱法シャーン・ノスのスタイル(ゲール語による無伴奏独唱)で、やはりアイルランド民謡の「オーグリムの乙女」を歌い(ゲール語ではないが)、皆の心を一つにするのだ。

 自分で家を建てるという行為の背景には、貧困や家庭内暴力、住宅問題、そして詳細は描かれないが環境問題も浮かび上がる。しかし最も驚かされたのは敵対するガリーの母親の存在だ。彼女の行動には血縁を超えた個人として自分の過去の問題と向き合い、同じ立場の女性として連帯しようとする強い意志が感じられる。またサンドラに協力する仲間もそれぞれが人種や障がい等について悩みを抱え、社会的に弱い立場でもがきながら自己実現を目指していることが伺える。そしてサンドラ自身のコンプレックスに打ち克ち自分を認めようと行動するその姿は、日本でも広がりつつあるボディ・ポジティヴの運動とも共振する。

 本作の原題は「Herself(彼女自身)」だ。つまりサンドラ個人の物語が語られているのだが、そこには現在進行形の様々な社会問題と高次元で融合した社会的視点があるからこそ、人間ドラマとしてより一層強度が増し、日本を含む多くの国とも共通する普遍的で優れた作品になっているのだ。

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『ハウス・イン・ザ・フィールズ』 ※4/9(金)より、アップリンク渋谷、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開

 『ハウス・イン・ザ・フィールズ』は、何百年間も変わらない暮らしを送るアマズィーグ人(一般的に使われていたベルベル人という呼び名は他称で今は蔑称とされる)の家族を、モロッコの高アトラス南西地域の人里離れた山奥で記録したドキュメンタリー作品だ。監督は写真家でもあるタラ・ハディド(世界的建築家ザハ・ハディドの姪)で、7年に渡って現地に通いながら家族と寝食を共にし、特に10代の姉妹の視点を通して、個人の内面から家族、コミュニティ、そして国が抱える問題や変化の兆しを浮き彫りにする。

 勉強が好きで頭が良く、将来弁護士になることを夢見る妹ハディージャは、仲の良い姉ファーティマがラマダン明けに学校を辞めて結婚してしまうので、今からとても寂しく思っている。そしてファーティマは「結婚は怖いけど義務だから」と、まだ会ったこともない男性と一緒になることを運命として受け入れている。映画はそんな二人を縦糸として姉の結婚式までを追いながら、横糸として家族や村の日常の暮らしを淡々と描写してゆく。

 水汲みに始まり食事の支度、パンと菓子作り、機織り、家畜の世話など、あらゆる家事は女性が担っている。男性は農作業や市場への行商、そして宗主国だったフランスに出稼ぎに行き、時には死にも至るような炭鉱などの厳しい仕事について語る。その合間に敬虔な祈りの時間や子供たちの友人同士の他愛ないお喋りと素朴な遊び、そして祖父母との微笑ましい語らいが映し出される。これらの描写は、既に近代化が進むモロッコの伝統的な生活様式の記録としても、とても貴重なものだろう。

 モロッコでは2004年に、男女平等に向けて家族法が様々な項目で改正されている。ハディージャはそのことについてもよく知っていて、親友との会話からも女性の権利に対する意識の高さが伺え、それがファーティマとの結婚観の違いをより一層鮮明にしている。そしてその違いが象徴するような、日常生活の中のいくつもの対比が通奏低音として本作を貫いている。

 先に述べた男女の役割の対比だけでなく、男性の中でも特に若者は経済格差の違いから、田舎を出てカサブランカなどの都会に出ることを夢見て悩んでいる。そして本作の終盤ではハレとケ(非日常と日常)の対比としてファーティマの結婚式が描かれ、ユーユー(主にアラブ〜アフリカ圏の女性が舌で高音を震わせる歓喜の叫び声)を合図に、3日間に渡る村中総出の大掛かりな祝宴が映し出される。

 映像的にもそれまでは日々の営みを詩情溢れる美しさで叙情的に切り撮っていたが、ここからは人々の躍動を情熱的に捉えている。音楽的にもそれまでは劇伴をほんのわずかしか入れず(ナレーションは一切入らない)、川のせせらぎや風のそよぐ音、鳥や牛の鳴き声などの環境音を心地よく自然に響かせていたからこそ、夜を徹した祝宴の怒涛の音楽に心躍らせられる、見事な構成だ。

 実際に様々な民族楽器がいくつも打ち鳴らされ、白装束の長老や鮮やかに着飾り隊列を組んだ女性陣が炎を前に歌って踊り、それを大勢の手拍子が煽ってユーユーも響き渡る光景には、誰もが興奮しない訳にはいかないだろう。そして夜明けとともに静寂が訪れ、熱狂の終焉はハディージャにとって大好きなファーティマとの別れを意味する。そんな彼女の寂しさと切なさが、深い余韻となって伝わってくる。

 本作はモロッコを舞台に、アトラス山脈からカサブランカを通って国境を越えるまでの3部作の第一弾なので、続く第二弾と完結編を楽しみに待っていようと思う。

(ラティーナ2021年4月)

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