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[2022.2]いま最も輝ける存在、サンパウロの女性シンガー、ヴァネッサ・モレーノ(Vanessa Moreno)へのロング・インタビュー

音、沈黙、強烈な感情。世界を感じ、それと相互に作用する歌とインストゥルメンツ。ブラジル音楽の新しい可能性を探るダイビングへのご招待。サンパウロの女性シンガー、ヴァネッサ・モレーノ(Vanessa Moreno)へのロング・インタビュー

インタビューと文●伊藤亮介(大洋レコード

Vanessa Moreno

 サンパウロの新潮流、ノーヴォス・コンポジトーレスから彗星のように出現したスター。ヴァネッサ・モレーノの歌とフィ・マロスティカのベースからなる異色のデュオ作『Vem Ver』で我々の度肝を抜いてからも、デュオ2作目でジルベルト・ジルの歌曲集『Cores Vivas』、フィ・マロスティカがプロデュースした初のソロ・アルバム『Em Movimento』、そしてピアノ奏者サロマォン・ソアレスとのデュオ作『Chão de Flutuar』と意欲的に活動を続け、ゼリ・シウヴァ(b)、エリクリス・ゴメス(p)、ホジェリオ・ボッテール・マイオ(b)、フィ・マロスティカ(b)ら数々の作品に客演。コロナ禍においてもSNSや動画配信サイトに、モニカ・サウマーゾを始めとする名だたる音楽家たちとのリモート・セッションやソロ・パフォーマンスの映像をアップし続け、多くの音楽好きの心の支えとなりました。2021年には、自らのギターと歌、スキャット、ハーモニー、ボディ・パーカッションから成るソロ作第2弾『Sentido』を発表。そして2022年2月28日に、サロマォン・ソアレス(p)とのデュオ第二弾『YATRA-TÁ』のCD発売を控えるヴァネッサ・モレーノ。いま最も輝ける存在とも云える彼女に、音楽との出会いやキャリアの創世記から、新譜の内容についてまで深く掘り下げてもらいました。

Vanessa Moreno『Sentido』
Salomão Soares, Vanessa Moreno『YATRA-TÁ』

⎯⎯ 15才でギター演奏から音楽を始めたとのことですが、家ではどのような形で音楽と触れていましたか? 音楽にのめりこむようになったきっかけがありましたら教えてください。また「Feminina」のMVに娘さんアリシ(Alice)と一緒にポラロイド写真で登場する老婦人はどなたですか、エピソードがありましたらお聞かせください。

Vanessa Moreno まず最初に、私のキャリアについて詳しく話す機会をいただいたことに感謝致します。今ここに辿り着いたきっかけについて話すことができるのはいつだって喜ばしいことです。

 15才の時、ギター演奏から、音楽を演奏することを始めました。
 当時、私はロックを聴くのが好きでした。母は音楽を聴くのが好きで、家で歌ったり踊ったりしていました。彼女はとてもエクレクティックな(折衷的な)人でした。母と一緒にイエス(Yes)、ピンク・フロイド(Pink Floyd)といったグループや、ミルトン・ナシメント(Milton Nascimento)、ギリェルミ・アランチス(Guilherme Arantes)、エリス・レジーナ(Elis Regina)などを聴いていたのを覚えています。
 父はガットギターを弾いていました。正確に言うと、今でも弾いています。リズムの取り方、右手の弾き方など、器用なところが印象に残る弾き方します。父にとって、ギターを弾いている時は、とても神聖な時間だと感じたことを覚えています。彼はいろいろなスタイルで演奏するのが好きでしたが、特にサンバをよく演奏して歌っていました。
 私の祖母は、私を育ててくれた人物の1人で、料理や裁縫をしながら、口笛を吹いたり、ラジオでクラシック音楽やムジカ・カイピーラ(música caipira)を聴いていました。
 主に幼少期に、それらの自分を取り巻く様々な音を、少しずつ吸収してきたのだと思います。

 写真に写っているのは、私の母方の祖母です。彼女の名前はベネヂータ(Benedita)といい、私は親しみを込めてジーニャ(Zinha)と呼んでいました。幼少期に、私は祖母にも大いに育ててもらって、長い間、祖母の家に住んでいました。
 祖母は、去年の初め、アルバム『Sentido』のレコーディングを開始する数日前に亡くなりました。アルバムのビデオクリップの照明や美術を担当したマルコス・ヂグリオ(Marcos Diglio)が、「Feminina」のビデオには、祖母が縫製するために、その時間のほとんどを費やしていたミシンを使うべきだと提案してくれたのです。
 それは、旅立ったばかりの祖母へのオマージュでした。また、私の家族の女性たち、つまり祖母、母、娘へのオマージュでもありました。

⎯⎯ 経歴を見ると、サンパウロ市立音楽学校、ULM、ソウザ・リマ、それぞれ音楽の専門学校にて勉強されていたそうですが、それぞれの専攻コースといまのパフォーマンスに役立っていると思うこと、印象深い講師や現在同じシーンで活躍する音楽家の同級生などいますか?

Vanessa Moreno 私は、サンパウロ市立音楽学校で、1年間クラシック音楽の歌唱を学びましたが、そこでクラシックの歌唱に触れて、私が深めたいのは、この歌い方でないと分かりました。その後、ULM(現在はEMESPと呼ばれています)に通い、ブラジル音楽の歴史や、作曲家や演奏家についての知識を多少増やして、その後、ソウザ・リマ音楽学校で、ポピュラー音楽の歌唱を学び、卒業しました。そこで、即興演奏についての研究を深めました。
 音楽を学校で習い始めてすぐの頃、私は住んでいる家の近くの教室でもガットギターと歌を習っていましたが、私にとってとても重要な存在の先生がいました。彼女の名前は、 アリーニ・トラヴェルサ(Aline Traversa)と言います。彼女は私に、音楽の授業をやってみないかときいてくれ、その教室で私はレッスンをすることになりました。また、イベントなどで一緒に歌ったり演奏したりするのに誘ってくれました。それらのことは、私のその後のキャリア全てにとって重要で、基本的な学びをたくさんもたらしてくれました。
 私が学んだすべての場所で、必要不可欠な学びと人生経験ができたからこそ、私は今ここで、自分にとって意味のある方法で最も好きなことを行うことができているのです。

⎯⎯ Tratoreの在庫カタログから貴女が参加していたヴォーカル・グループ、『Karallargá / Por Natureza』を発掘しました。このカララルガ(Karallargá)ではどのような活動を行っていましたか?同僚のラリッサ・フィノシアーロ(Larissa Finochiaro)との共作曲「De Lua Cheia」が『Sentido』に収録されていますね。カララルガ時代に書かれたものですか?

Vanessa Moreno 自宅の近くの教室に通ったり、サンパウロ市立音楽学校に通っていた頃、私は、「プロジェット・グリ(Projeto Guri)」というソーシャル・プロジェクトに参加して、バイオリンとアコースティックベースを少し学びました。
 そこで、私は、私の人間的成長、歌手としての成長にとって、非常に重要な3人の人物に出会いました。ラリッサ・フィノシアーロ、カイオ・メルセギル(Caio Merseguel)、ヴィクトール・メルセギル(Victor Merseguel)に出会いました。彼らと私は、カララルガ(Karallargá)というグループの一員でした。一緒に歌ったり、ボディ・パーカッションするのがの好きな仲間4人でした。
 ボディ・パーカッションを演奏して遊んだり、クラスとクラスの間で、曲や可能性を試していました。そうしているうちに、その最初のCD『Karallargá / Por Natureza』を一緒に録音することになったグループがスタートしました。私たちは、自分たちの持っていた資金で、インディペンデントとして録音しました。そのプロセスから、多くのことを学びました。
 私とラリッサは何曲か一緒に作曲してきました。彼女は今日まで、私の最大の共作者です。グループが解散した後も、一緒に作曲を続けてきました。
 「De Lua Cheia」は、このパンデミックの時期に、窓から満月を見ながら書いたものです。私が曲の構成とメロディーを作り、ラリッサが歌詞を書きました。彼女と一緒に音楽を作るのは、いつも楽しいです。


⎯⎯ 関連作の多くでフォトグラファーとしてダニ・グルジェル(Dani Gurgel)が関わっています。また、ダニとは楽曲「Zimbadogûe」で共作し、共演シングルのほか双方のアルバムにも収録されています。Daniとの、また「Zimbadogûe」のエピソードをお聞かせください。

Vanessa Moreno はい、ダニは私の大切な友人で、尊敬するプロの芸術家で、これまでの私のポートレイトやアルバム・ジャケットのほとんどを手がけてくれました。『Chão de Flutuar』と『Sentido』の写真だけは彼女のものではありませんが、あとは全部です!

「Zimbadoguê」は、数年前にギターを弾きながら、シラブル(音節)を繰り返して、メロディーとリズムの実験をしている時に生まれました。その曲を「ジンバドゲ」と名付けて、その数年後に、ダニ・グルジェルに送ると、見事な歌詞を付けてくれました。
「ダニはその曲で私が言いたいことを全部歌詞にしてくれたんだけど、私だってそれが言いたいことだとは知らなかったよ!」って冗談を言うのが好きなんです(笑)。変なことだけど、そうなんです。
 ダニはとても巧みに言葉を使い、同じタイトルを残して、私が歌うのが1番好きな曲のうちの1つであるこの曲に、とてもユニークな意味を持たせてくれました。


⎯⎯ 2017年に制作された『Em Movimento』まではフィ・マロスティカ(Fi Maróstica)のベースや、自身のギターといった弦楽器が中心でしたが、2019年に制作されたサロマォン・ソアーレス(Salomão Soares)との『Chão de Flutuar』でピアノとのデュオに挑戦しますね。きっかけはどのような形でしたか? ヴォーカリストとしてピアノとのアンサンブルにどのような印象を持ちますか?

Vanessa Moreno ベーシストのフィ・マロスティカと一緒に、ベースと声の編成で歌うことは、大きな喜びであり、同時に挑戦でもあります。このような小さな編成で歌うことはとても楽しいです。音と音の間の沈黙から学ぶことがたくさんあるからです。「空っぽ」の空間がたくさんあって、その空間で遊べるというのは、演奏している双方にとって、冒険となります。フィと一緒に歌うのは、いつだって魅力的な時間です。

 私とサロマォン・ソアレスとは、10年ほどの付き合いですが、以前はデュオというスタイルで演奏したことはなくて、より大きな編成の中で演奏したことがあるだけでした。
 2019年のある日、スタジオ・ガルゴランヂア(Gargolândia)で同じ時に居合わせたのですが、ふとサロマォンがピアノを弾いている部屋に入って、彼のピアノに合わせて鼻歌を歌い始めました。
 それを聴いたスタジオのオーナーであるハファエル・アルテーリオ(Rafael Altério)が、「この邂逅は録音すべきだ」と私たちに言い、アルバムのレコーディングとCDをプレゼントしてくれるというのです。私たちがレパートリーを選び、アレンジをするために1ヶ月間を準備期間として。そうして実際に録音しました。ハファエル・アルテーリオとスタジオ・ガルゴランヂアの支援によって、私たちのデュオは誕生して、私の音楽の旅の大きな果実の1つであるこのデュオの1stアルバム『Chão de Flutuar』が誕生したのです。

Vanessa Moreno, Salomão Soares

 ピアノとのアンサンブルについてですが、私はピアノだけで歌うのが好きで、特にサロマォンのように多才で、創造的で、リズミカルなピアニストと一緒に歌うのが好きです。それは、双方向的に構築していくことで、お互いが自由と創造性を発揮し、お互いの音楽性を信頼して、耳を傾け、創作することです。演奏している間ずっと、自分の中で音楽が脈打つのを感じることができ、歌手としての自分のベストを追求することを可能にしてくれます。その瞬間、その音楽との出会いの中で、どうすれば自分という楽器で最高の貢献ができるかを常に考えています。同じ演奏は決してありません。
 私たちが行うどのパフォーマンスも、即興の自由度が高いので、以前とは違うものになります。そして、即興によって、双方の魅力が引き出されていると思っています。そうやって魅力が引き出されていくことは、とても健全で不可欠なことだと考えています。
 どんな音楽的な状況でもそうだと思います。少なくとも、誰かと一緒に歌うときは、そうするように心がけています。それぞれが役割を持って貢献し、最後には一緒に美しい軌跡を作り上げていくのです。

⎯⎯ 『Chão de Flutuar』発表と時を同じくした2019年、ヴァネッサ・モレーノ(vo)、サロマォン・ソアレス(p)、ミカエル・ピポキーニャ(Michael Pipoquinha|b)、ジョナタス・サンサォン(Jonatas Sansão|drs)という編成でスイスへツアーに出かけています。これはサロマォン・ソアレス・トリオへのゲスト・ヴォーカル、またミカエル・ピポキーニャ・トリオへのゲスト・ヴォーカルというクレジットになっているようです。このクアルテートになった経緯も教えてください。

Vanessa Moreno 彼ら3人は以前から一緒に演奏していて、ある時、ここサンパウロでのライヴで、私に歌で参加する機会をくれました。すでにお互いを知っていましたが、4人で一緒に演奏したことはありませんでした。最初に一緒に演奏した後、私たちはその成果をとても気に入って、改めて一緒にライヴをすることになりました。
 当初は、ミカエル・ピポキーニャ・トリオという名前でやっていましたが、ある時から、全員の名前でやることにしました。

 私たちは、スイス-ブラジルのNGOの「カーザ・ドス・クルミンス(Casa dos Curumins)」に招かれてスイスに行きました。私たちがとても好きな団体です。彼らは、ここサンパウロのコミュニティでも、とても素晴らしいソーシャルワークを行っています。私たちは、スイスで何度か公演を行いましたが、私たちの経験の中でも、非常に特別な時間でした。


⎯⎯ 前述のクアルテートで2020年9月に82ª Edição PlayJazz に出演し、その模様はYoutubeにアーカイヴが残っています。『Yatra-Tá』に収録されている「Vicente Chegou」(Salomão Soares)、「Leão do Norte」(Lenine, Paulo Cesar Pinheiro)が登場しています。『Yatra-Tá』のレパートリーはこのようにライヴ共演するなかで絞り込まれていったものですか? またクアルテート編成のアレンジから、デュオ編成のアレンジへアジャストする作業で気をつけている点などありますか?

Vanessa Moreno 『YATRA-TÁ』に収録された楽曲のいくつかは、以前から試していました。私とサロマォンは、新しい曲をレパートリーに加えるのが好きで、まだ『Chão de Flutuar』の曲でライヴでやっている時にも、すでに新しい曲を加えたり、新しいアレンジを試したりしていました。
 その時のライヴをする時には、私とサロマォンは『YATRA-TÁ』を録音し終わっていましたが、「Vicente Chegou」や「Leão do Norte」を4人編成で演奏して、どんな音楽的可能性が生まれるかを試してみたいと思ったのです。とても楽しかったです!
 サウンドチェックの時に曲を持っていき、クアルテート編成での演奏をテストしました。本番前にリハーサルをする時間はなかったのですが、すでに音楽的な親和性が高かったので、結果的にいい流れになりました。 
 今回の場合、クアルテート編成のためのアレンジのアジャストですが、一緒に演奏して、それぞれが創造性を発揮させたその瞬間に生まれたものでした。


⎯⎯ YouTubeやSNSで発信していたソロ演奏やミュージシャンとのセッション映像ですが、日本でも本当の音楽好きが見ていて、リモートワークや外出自粛を強いられるなか、励みになったという感想を耳にします。レパートリーの選択や、共演者はどのように決められていますか? また、リモート・セッションは、同時(ライヴ)で収録しているのですか?

Vanessa Moreno 自然と決まっていきました。このような共演は、それぞれのスケジュールの都合でそう簡単に出来ないことが多いので、今回、皆さんと一緒に音楽を作ることができて、とてもよかったと思っています。共演した人の中には、以前から憧れていた人も多いです。また、この隔離の時期に知り合った人たちとの共演も、とても豊かなものでした。演奏するレパートリーは、話しながら選びました。つまり、共演者と一緒に決めました。

 共演者一人一人が考え方が違うので、そうするのが誠実なやり方だと考えました。収録の順番も、まず、歌をアカペラで録って、それからハーモニーを付けるという考えの人もいたし、まず、事前の決まり事を決めずに、共演者が自分の感じたままにトラックを録音して、それを送ってもらい自分がその上で歌うというケースもありました。とても楽しくて、この隔離の時期に私にとって、とても大事なものでした。


⎯⎯ 『YATRA-TÁ』のレコーディングは、スタジオで一緒に行いましたか?

Vanessa Moreno アルバム『YATRA-TÁ』の曲の場合、サロマォンと私はスタジオで一緒に、同時にレコーディングを行いました。可能な限り、皆んなと一緒に録音したいのですが、今回はパンデミックの影響でそれができず、スタジオも少し離れたところだったので、モニカ・サウマーゾとヘナート・ブラスはその後、別々に録音をしました。


⎯⎯ 『YATRA-TÁ』では先行シングルとして、「YATRA-TÁ」が配信され、多くのブラジル音楽好き、ジャズ好きが感銘を受けました。このタニア・マリア(Tânia Maria)の書いた楽曲をデュオで解釈してみようと思ったきっかけを教えてください。1981年発表とあるので、おそらく貴女も、サロマォンも生まれる前の楽曲だと思うのですが……。
 また、『YATRA-TÁ』のレパートリー選択の場面で、この歌は絶対に収録したかったというものはございますか? 理由もお聞かせください。

Vanessa Moreno 私たちは、タニア・マリアをとても尊敬しています。私は、21才くらいの時に、タニアの音楽に出会って、魅了されました。彼女は優れた作曲家であり、歌手であり、ピアニストでもあるので、私たち2人とも、大きな影響を受けました。私たちは、彼女の作品や作風がとても好きで、この曲は、私たちが一緒に演奏しているときのリズムの遊び方と共通するところがあるんです。 

 『Chão de Flutuar』でも『YATRA-TÁ』でも、サロマォンと私は、一緒にレパートリーを選びました。『YATRA-TÁ』に収録した多くの曲は、『Chão de Flutuar』から『YATRA-TÁ』に向かう途中で出会った曲です。出会った曲のいくつかを試しに演奏してみると、アレンジが現れてきます。そして、演奏するのも楽しくなり、歌詞も自分たちの言いたいことを一致していると分かったとき、レコーディングすることに大きな意味があると気づくのです。収録した楽曲はどれも特別な存在です。でも、確かに、「YATRA-TÁ」は、欠かすことのできない1曲の1つです。


⎯⎯ 時は前後しますが、2020年11月にエリオポリス交響楽団(Orquestra Sinfônica Heliópolis)と一緒にエリス・レジーナのトリビュート・ショーを行っていますね。YouTubeでアーカイヴを見ましたが、フィ・マロスティカの編曲と共に、偉大なエリスにオマージュを贈るだけでなく、自身のスタイルを貫いた見事なパフォーマンスだと思います。ステージで歌っている間、どのようなことが頭をよぎりましたか?

Vanessa Moreno 私に声を掛けていただいたのは本当に特別なことでした。エリスが歌うレパートリーを歌うのはとても楽しいですし、いつも多くのことを学びます。大きな挑戦であると同時に大きな喜びでもあります、というのも、エリスは私が最も影響を受けた音楽家の1人なので。
 フィは、以前に、クアルテート編成で演奏するためにエリスのレパートリーをアレンジをしていて、今回、オーケストラと演奏するという機会でも、私に声を掛けてくれて、とても嬉しかったです。
 あの時、ステージの上では、愛する共演者であるフィ・マロスティカ(b)、チアゴ・コスタ(Tiago Costa|p)、ジョナタス・サンサォン(drs)、そしてオーケストラを構成する全てのミュージシャンたちと共に、大好きなレパートリーを歌うためにそこにいるということに、ただただ感謝するのみでした。

⎯⎯ 最後に『YATRA-TÁ』を通じて伝えたかったこと、音を聴けば解ることかも知れませんが、この記事を読んでヴァネッサ・モレーノを聴こうと思ってくれた皆さんに向けてお言葉をお願いします。

Vanessa Moreno 「Yatra」は、サンスクリット語で「変容の旅」という意味ですが、このアルバムでもそれを伝えたかったです。最初のアルバム以降に、私たちの軌跡で起こったすべての変化。今の私たちの演奏方法は、より自由で、お互いを信頼し、創造性を重要な音楽の柱として探求しています。音楽的な成長を求めると、その成長は内面にも及ぶと感じています。この内面的な成長を求める変容が今の私の根底にあります。それを求め続けています。
 ブラジル性、明るさ、熟考、即興、自由が詰まったこのアルバムを聴いた皆さんと一緒に、音楽を通じてより良い道を切り開いていきたい。いつも愛情を注いでいただき、本当にありがとうございます。日本のファンは本当に特別です。是非、アルバムを楽しんでください。

(ラティーナ2022年2月)
(翻訳 花田勝暁)

↑ヴァネッサ・モレーノのYouTubeチャンネル


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