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[2008.2]《今年はジルに抱擁を!》日本ブラジル交流年に、ジルベルト・ジルの来日決定

 本記事は、ジルベルト・ジルの2008年の来日ツアーの前に半年にわたり特集した中の、月刊ラティーナ2008年2月号に掲載された記事です。今年、16年ぶりに来日することを記念し、本記事を再掲いたします。

文●花田勝暁

「誰彼なく一緒にやろうと持ちかけ、説得してやるのが好きなんだ」というジルベルト・ジルは、まさに40年以上ブラジル音楽シーンをリードしてきた張本人だ。彼程どんなジャンルのミュージシャンと共演しても、しなやかに映るミュージシャンはいない。
 2003年から現在(2008年)まで、労働党ルーラ大統領の下、文化大臣を務める。音楽家としての最新録音作は2004年の『エレトラクースチコ』で、シコ・ブアルキやカエターノ・ヴェローゾという盟友たちが2006年、2007年に、最新作を届けてくれたのに比べ、ジルの音楽家としての活動は限られて、昨年の大きな活動はヨーロッパとブラジルでコンサート・ツアーを行ったのみ。日本のファンには少し寂しい状況が続いていたが……。2008年晩夏、ジルベルト・ジルが来日する。日本人ブラジル移住100周年で、日本ブラジル交流年に認定された2008年。多くの文化交流が行われる予定だが、音楽家である現職の文化大臣の来日コンサートは、その中でも記念となるイベントとなるだろう。来日まで、本誌でも数回に渡りジルベルトのその多様な魅力に多面的に迫っていく。

 MPBを彩る音楽家は層も厚く、豊かだ。しかしながら、ジルベルト・ジルはその中でも常に際立つ存在感で、シーンをリードし続け、ポジティヴな影響を与え続けてきた。ジルは、混血文化の都バイーア州サルヴァドール出身だが、同じくバイーアからリオへ出たジルの大先輩ドリヴァル・カイミは、ジルのことをこんな風に称している。

「ジルベルト・ジルのブラジル音楽における重要さは明白だ。ジルは知っていることとやることにいつも注意深い。メロディーや、詞、サウンドで世界に挑戦している。彼は、完璧で、才能があり、声の音色は素晴らしく美しい。ジルは、創造主のようで、周りに力強さを伝染させ、とてもとてもユニヴァーサルな音を生み出すブラジル人アーティストだ。どんな道を歩く時でも、格式ばらないが、辿り着いた場所で、誰とも異なった、彼自身のスタイルで皆を魅了できる。少しの言葉でなら、こんな風に言うことができる。少なくても四半世紀に一度しか、こんなアーティストは現れない」

 MPBシーンの最重要アーティストが集中するジルの同世代のミュージシャンにあっても、カイミの目にはジルの才能は群を抜いて映っているのだ。

 ジルベルト・ジルは、1942年生まれ。出身は上述のようにバイーア州サルヴァドールで、1980年代後半にはサルヴァドールで文化長官を務めたこともあり、政治家としての活動を文化大臣職以前にも経験している。ジルの世代は、軍事政権下での音楽活動を強いられ、ブラジル音楽が民衆の声を代表し、抵抗の旗を掲げる役割を色濃く担っていた世代にあたるが、ジルは政治家という立場からも環境問題や人種問題などに、直接取り組んできている。

 ブラジルにおいて、大衆音楽は真に生活に根ざしており、大衆音楽家は、掛け値なしに大衆から尊敬されているということはよく指摘されるが、大衆音楽家であり、政治家としても活躍するジルはその最たる例だ。とても問題意識の強い人間で、自らの歌、詞、そして音楽すべてを通じて社会にメッセージを送り、旺盛な活動を続け、強いオーラを発してきた。世界にメッセージを訴えかけるというジルの姿勢は、彼の音楽を一貫して動的で親しみやすいものにしている。ジルの音楽の魅力は、ジルの中の宇宙とも言うべきジル固有の哲学/知性が詰まりながらも、動的で親しみやすいところだ。様々な種類のブラック・ミュージックに急接近したり、ブラジルの伝統音楽に急接近したりしても、知的かつ動的で親しみやすいというジルの魅力は揺るぎない。

 そんな音楽を生み出すジルのパーソナリティーも、一瞬で場の雰囲気を変えられる程に陽気で博愛的なものだが、盟友カエターノはジルのその〝不思議なまでに〟完成されたパーソナリティーを『アラサ・アズール』収録の「ジルベルト・ミステリオーゾ」(カエターノ・ヴェローゾ/ソウザンドラーヂ)という曲で詩的にミステリアスに、こんな風に表現している。

ジルは 生み 出す
ジルの中にナイチンゲールを(國安真奈訳)

 ここでのナイチンゲールは看護婦のナイチンゲールではなく小鳥の方だ。心優しき歌手としてのジルの天性の才能を讃えている。また、ジルは強い好奇心があり、敏感に新しいものに積極的に向かい合っていく面もある。インターネットの登場に敏感に反応したブラジル初のネット配信された曲「ペラ・インテルネッチ」が発表されたのがもう10年以上前の1997年だ。現在も、コンピュータの普及が世界を良い方向へ変えるという考えに変化はなく、現在行っているツアーの名前は「バンダ・ラルガ」。〝ブロードバンド〟という意味の言葉だが、そのツアーの中で、コンサートの「録音や撮影を禁止」するのではなく、「自由に録音、撮影してしてもいい」という今までの肖像権/著作権の考え方に捉えられない姿勢を打ち出し、一つのコンサートからはじまる、ブロードバンド時代の無尽蔵なコミュニケーションの広がりを実験する試みがされた。その結果はジルの同ツアーのオフィシャル・サイトにしっかりと結実している。本年のジルベルト・ジルの来日も、このツアーが基本となったものになる予定だ。ジルの絶え間ない軌跡の中でも、一歩踏み込んだ問題提起を実践しているのが、最新ツアーのバンダ・ラルガだ。時代の先を行くジルだが、ジルの歩む道の正確さを讃えたカエターノの言葉がある。

「ジルベルト・ジルは、一つの歌でストリートのフィーリョス・ヂ・ガンジーに再び注目を浴びさせた。彼は多くを与え、何も要求しない。もしあなたがどんなコマを捨てて前に進もうが、それはそれでいい。けれど私はこのことははっきり言える。〝彼が進めているビジョンを無視できると考えているなら、現代の最良の発明(に触れる機会)を失っている〟と」

 ジルの陽気で博愛な性格がよく現れた「アケーリ・アブラッソ」という曲がある。ジルの代表曲のひとつだ。

世界を歩く道は
僕自らが描いていく道
バイーアはくれたよ
定規とコンパスを
自分を一番知っているのは僕だ
抱擁を
僕をもう忘れてしまった君にも
抱擁を
リデジャネイロのみんなに
僕からの抱擁を
ブラジル中のみんなに
僕からの抱擁を
 (國安真奈訳)

 来日公演を通して、日本にも抱擁をくれるジルに、私たちからも抱擁を返さないといけない。

 次号から毎月、来日まで、年代別やテーマ別に分けてジルの音宇宙に迫っていく。本稿をもって、「ジルベルト・ジル研究」第一弾としたい。次ページにジルのディスコグラフィーをまとめたが、1stアルバム『ロウヴァサゥン』を発表してからキャリア45年で、約50枚のジル名義(或は複数名義)のアルバムを発表している。ジルの膨大だが魅力ある作品群を通じて、その実像に迫っていくことで、私たちからジルへ抱擁を返す年にしたい。アクティブな歴史の生き証人のジルの作品を振り返ることは、近年のブラジルの歴史を振り返ることでもある。そこからブラジル文化の未来も垣間見えてくるはずだ。

 今年はジルに抱擁を!

◆ジルベルト・ジル ディスコグラフィー

(月刊ラティーナ2008年2月号掲載)




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