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【追悼】[2001.8] -ジョビンへの募る想い……- モレレンバウム夫妻と坂本龍一の友情が構築させた、扉に鍵の無い家、『CASA』

  音楽家の坂本龍一さんが2023年3月28日、他界されました(公表されたのは、4月2日の夜でした)。享年、71歳。 YMOや映画音楽で知られる坂本龍一さんは、NY出身で少年期の15年間をブラジル北東部で過ごしたアート・リンゼイを通じ、ブラジル音楽に接近し、00年代前半にはボサノヴァの再解釈に真正面から取り組みました。その時の共作パートナーでもあったブラジル・リオデジャネイロ出身のチェロ奏者、ジャキス・モレレンバウムは、以降、坂本龍一の最高の音楽的パートナーの1人となりました。ジャキスとのストーリーは、以下の記事に詳しいです。
 この記事は、月刊ラティーナ2001年8月号に掲載されたものです。筆者の中原 仁さんにご協力いただき、追悼の意を込めここに再掲致します。ご逝去を悼み、ご冥福をお祈り申し上げます。

文●中原 仁 text por JIN NAKAHARA

 〝教授〟こと坂本龍一の口からアントニオ・カルロス・ジョビンの音楽に対する熱い思いを初めて聞いたのは、今から10年前のことだった。
 当時の彼は、80年代からの音楽仲間であるアート・リンゼイがプロデュースしたカエターノ・ヴェローゾの『シルクラドー』、マリーザ・モンチの『マイス』のレコーディングに参加し、ブラジルのアーティストとの交流を深めつつあった。10年前に会った時も最初はそのへんの話をしていたのが、そのうち教授が真剣な表情でボソッと語った言葉を、僕は今でもハッキリと覚えている。
「昔からずっと尊敬し、憧れている作曲家がアントニオ・カルロス・ジョビンなんです。ぜひ一度会ってみたい。夢のような話だけど、もし共演できる機会があったら、なんてことも考えてます」。

 その願いは、ジョビンが94年12月に亡くなったために夢物語となってしまった。しかし、小学生の時にジョビンの音楽と出会ってから40年近く抱き続けてきた熱い思いは、形を変えて美しく豊潤な果実を産み落とした。今年1月、リオデジャネイロでレコーディングした、ジャキス(チェロ)とパウラ(ヴォーカル)のモレレンバウム夫妻とのトリオ「モレレンバウム2 / サカモト(略称:M2S)」による、ジョビンの作品集『CASA(カーザ)』。しかも、亡きジョビンの家に機材を持ちこみ、坂本龍一がジョビン愛用のピアノを弾く傍らでモレレンバウム夫妻が歌い演奏するという、ホーム・レコーディング・スタイルで収録した曲が中心になっている。
 まさに夢のような企画が実現した背景には、坂本龍一とモレレンバウム夫妻が10年近くにわたって築いてきた不動の友情、そして3人のジョビンに対する思いの深さがある。そこでまずは教授の口から、ジャキス・モレレンバウムとの運命的な出会いを語ってもらうことにしよう。

「9年前だったか、ニューヨークでカエターノ・ヴェローゾのコンサートがあった時に、ステージでチェロを弾いてるジャキスを初めて見た瞬間、もう度胆を抜かれました。 こんなにウマいチェリストがいるのか。もちろんクラシックがベースですけれど、カエターノがやってる音楽でも自由に即興的に弾いてるのを見て、こういうことをできるチェリストは世界に一人しかいない、僕はこの人と一緒にやらなければいけないと思いました。コンサートが終わってすぐ楽屋に駆けこんでカエターノに紹介してもらったんです。なんとジャキスも以前から僕の仕事、映画音楽とかを聴いていてくれたそうで、しかも話していてわかったのは、僕と彼には共通点がいっぱいある。子供の頃からずっとクラシックを勉強してきて、でもビートルズが大好きで、大衆音楽をやっていることとか。だからもう会った瞬間にお互い兄弟のような感じを持ちました」。

 初対面で意気投合した2人は、93年にコンサートで初共演。教授の95年のアルバム『スムーチー』にはジャキスと共に、パウラもバック・ヴォーカルで参加。その後、教授、ジャキス、ヴァイオリン奏者の室内楽トリオを結成してアルバム『1996」を発表し、世界各国をめぐるコンサート・ツアーを行ない、現在に至っている。今や教授にとってジャキスは欠かすことのできないパートナーだ。

「ジャキスは僕の音楽をすぐ理解して、譜面に書いてなくても、耳で聴いてすぐ自由に弾ける。 チェリストとして素晴らしいだけでなく音楽を理解し、表現する特別な能力を持った、ミュージシャンの中のミュージシャンです」。

 ところで坂本龍一との交流が始まった当時、モレレンバウム夫妻はジョビンのレギュラー・グループ、バンダ・ノヴァのメンバーとしても活動していた。当然、3人の間でジョビンに関する会話が交わされる機会も多かったに 違いない。そしてジョビンが亡くなって間もない95年、リオとサンパウロで開催されたフェスティヴァル「ハイネケン・コンサート」の中にジャキスがプロデュースする日があり、教授も出演。この時のブラジル訪問を通じて、後に『CASA』という果実を結ぶことになる種がまかれたようだ。

「リオに行った時、ジャキスとパウラがジョビンの未亡人のアナに連絡をとって、アナが家に招待してくれたんです。 そこでジョビン先生が愛用していたピアノを見て、僕は破廉恥にもアナに頼んで弾かせてもらった。 当時は部屋にピアノが2台あって、ピアノの上に広げてある楽譜が、1台はショパンの前奏曲、もう1台がドビュッシーの作品でした。2人とも僕の大好きな作曲家だし、あーやっぱりジョビンはショパンとドビュッシーが好きだったんだなあと、深く納得するものがありましたね。ジョビンの音楽に対してね。
 で、その時は夜だったんですけど、開け放たれた窓の外から昆虫や鳥の声、風の音が聞こえてきて、その中でピアノをポロポロ弾きながら、こういう空気の中でレコーディングできたらと思ったんです。ジョビンの音楽の中にも、自然からインスピレーションを受けたものがたくさんありますからね。
 その後ぐらいからかな、ジョビンの音楽でアルバムを作るという話が出てきたのは。いちばん熱心だったのがパウラで、彼女はクアルテート・ジョビン・モレレンバウムでもジョビンの曲を歌ってますが、それとは別にこの3人でもやりたいと言い続けてました。ただ、僕もジャキスも忙しくて、その間パウラからはずっと “いつやるの?” って責められ続けて、やっと具体化したのが去年の夏のヨーロッパ・ツアー中。だから、この企画のリーダーはパウラです」。

 ここに 『CASA』の伏線となる記録がある。 去年の7月、教授とジャキスらのトリオによるツアー終了後、ロンドンのホテルのロビーで行なわれたシークレット・セッションのライヴ・アルバム『イン・ザ・ロビー』。その中にジョビンの「ファランド・ヂ・アモール」が収録されている。ツアーに同行し、この日バースデーを迎えたパウラが教授とジャキスをバックに歌い、途中からモレレンバウム夫妻の娘ドーラ(4歳)の可愛らしいリード・ヴォーカルも聞こえてくる。この、友情と家族愛をよりどころとするアット・ホームなプライヴェート・ライヴこそ、『CASA』の精神の原点と言えるものだろう。
 ジョビン作品集といっても、『CASA』にはボサノヴァの定番曲はほとんどない。一般的な知名度こそ低いが、自然との共生を願うジョビンの精神を反映した曲や、室内楽的な趣を備えた曲が中心で、いずれもこの上なく美しく、そして時には胸をナイフで切り裂くような悲しみもたたえている。選曲は主にパウラが行ない、インストでレコーディングした2曲はジョビンが85年のTVドラマ『時と風』のサントラ用に作った、非常にレアな作品。これはジョビンの長男パウロのリクエストを受けて、とのこと。
 それでは、ジョビンの家(カーザ)でのレコーディングの様子を話してもらおう。

「リハーサルを含めて1週間、 ジョビンの家のピアノを弾きましたが、6年間も触れられずにいたピアノだから調律が大変でした。でも、生前のジョビンが指紋が残るぐらい弾きこんで黒くなった鍵盤に触れた時は、熱いものがこみあげてきましたね。 家の使用人もジョビンが生きていた頃からずっと働いている人たちで、 “この家に6年ぶりに音楽がよみがえった” と言って喜んでくれました。
 いちばん最初に「アス・プライアス・デゼルタス」をレコーディングしている時、僕がピアノのパートのメロディーを弾き終える瞬間、窓の外で鳥が鋭い声で鳴いたんです。 もう身震いするようなタイミングの良さで。 ジョビンは生前、“自分は鳥だ” “死んだら鳥や動物がたくさんいるユートピアで暮らすんだ” と話していたそうですが、僕もジャキスもパウラも、今の鳥はジョビンだと思いました」。

 たしかに耳を澄ませて聴くと、ピアノ・ソロが終わる瞬間に遠くで鳥の声が聞こえる。ジャキスの話によれば、ジョビン自身も霊的な面が強い人だったというし、その鳥がジョビンの化身だったとしても不思議はない。
 その瞬間だけでなく『CASA』の全編に、ある種の “気” が流れているのを感じる。ホーム・レコーディング特有の空気感もあるが、3人がジョビンとその音楽に寄せる深い愛が紡ぐピュアな詩情とも言えるだろうか。純粋に一人のピアニストとしてジョビンの音楽と向かい合った坂本龍一の飾らない素顔も見え、また彼ならではのジョビンに対するアプローチも感じとれる。

 「レコーディング中に、けっこう3人のバトルもあってね。 ジャキスはジョビンの音楽を忠実に継承しようとしているから、僕の演奏に対して “ここはジョビンだったらこう弾く” みたいなことも言いました。「サビアー」は特に大好きな曲で、原曲はボサノヴァですが、僕は印象派のような感じで演奏しました。ボサノヴァをああいうふうに変えてしまうっていうのは、ジャキスやパウラや世界中のジョビン・ファンには納得しがたいことかもしれないけど、僕には僕のジョビンへの思い入れがあったんで、最初は抵抗していた2人も僕が説明したらわかってくれました。
 というのも、ジョビンのピアノの上にショパンとドビュッシーの楽譜が置かれていたことからもわかるように、僕にとって作曲家としてのジョビンはショパンやドビュッシーの音楽家族で、その中にはラベルもガーシュインも入ってるかもしれない。で、生意気を言いますと、僕もその家系の端っこに入ってないかなあ、みたいな気持ちがあります。
 ジョビンの中でもクラシックに近い曲は、ひとつの音形を繰り返し使って、そこにいろんなハーモニーとか色彩の変化を加えていくものが多いんだけど、そこにフランス的って言ったらいいのか、同じ家系を感じるんですね。ジョビンの曲作りは、モチーフはどんどん出てくるんだけど、そこから長い時間をかけて熟考して作ったものが多いと、ジャキスが言ってました。でも出来上がった時には熟考の跡がなるべく聞こえないような、そういう努力もしてますね。それから、非常に華麗なハーモニーが最初にあって、メロディーも書きこもうと思えば書きこめるんだけど、そこからひき算してそぎ落としていって二音か三音で表現して、一見、鼻唄に近いものにしてる、そういう面もあります。
 あと、ジョビンを生んだリオの文化の土壌ね。ジョビン自身、もしかしたら建築家になっていたかもしれないし、ヴィニシウス・ヂ・モライスだって、ちゃんとした文学者でありながら大衆音楽の詩人としてあれだけの作品を残したでしょ。ものすごく知的な層が厚い、そういう雰囲気がありますよね、リオには。寒いヨーロッパの知性じゃなくて、リオという自然にあふれた暖かい場所の知性っていうか、快楽と結びついた知性。 ジョビンの音楽も、知的であり快楽的でもあり、それが全然矛盾してない。そこが本当にうらやましいし、そういうリオの独特の厚みのある土壌が、もちろんジョビンだけじゃないけど、ジョビンを育てたと思います」。

 8月には、M2Sにギターのルイス・ブラジルを加えた編成でのコンサート・ツアーも行なわれる。それに先立ち5月下旬、坂本龍一はサンパウロに飛び、モレレンバウム夫妻、パウロ・ジョビン、ジルベルト・ジルとのジョイント・コンサートに出演した。今回、ニューヨークの教授のホーム・スタジオを訪れた際にライヴの音を聞かせてもらったが、パウロ&モレレンバウム夫妻との共演によるジョビン作品あり、ジャキスとのデュオによる「エナジー・フロウ」あり、ジルとの共演でバイアゥンやアフォシェーも演奏、というマルチ・パフォーマーぶり。一回限りのスペシャル・プロジェクトで終わってしまうのはもったいない、ゴージャスなライヴだった。

「実は僕、今までジルはあまり聴いたことがなかったんですが、彼の曲を一緒に演奏して感じたのは音楽性の高さ。曲がきれいだから聴き流そうと思えば出来ちゃうんだけど、実はものすごい高度なハーモニーを使っている。カエターノの曲もそうで、ジョビンとジョアン・ジルベルトが確立したボサノヴァの財産が、彼らの音楽にも抜きがたく染みこんでいる。それでいて、ジルはアフリカ系でバイーアの人だから当然だど、アフリカの土臭い要素も同時にあるところが面白いですね。アンコールで「シェガ・ヂ・サウダージ」をやりましたが、あんなに洗練された難しいメロディーとハーモニーの曲を、お客がみんな一緒に歌えちゃう。これは僕から見たら奇跡ですよ。つくづくブラジルって不思議というか、面白い国だなあと思います」。

 ジョビンへの積もる思いを『CASA』で遂げた坂本龍一の視線は今、ブラジル全体へと広がっている。 長時間、彼の話を聞いていて、すでに頭の中には次なるステップに向けての青写真が描かれている……、そんな印象を受けた。しかしその前に、なんといっても『CASA』だ。ここにはジョビンの音楽を21世紀に受け継ぐにあたっての鋭い示唆があり、ジョビンと教授を結ぶ家系図も見える。 ジョビン自身がそうであったように、戸籍上の血縁だけで終わらない大きな意味での “家族の肖像” がある。そしてこれは、同じ心根を持った人間なら誰もが一員になれる、扉に鍵のない家(カーザ)だと思う。

(月刊ラティーナ2001年8月号掲載)


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