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[2021.01]【太平洋諸島のグルーヴィーなサウンドスケープ⑥】チューク環礁の恋の歌、青春の歌 ―その甘くてエモい、日常のサウンドスケープ―

文●小西 潤子(沖縄県立芸術大学教授)

 チューク(旧トラック)環礁の人々は、ミクロネシアでは「歌や踊りが上手い」と評判。今ではあまりなじみがないかも知れませんが、1922年に現・パラオ共和国のコロール(2020年12月号で紹介)に南洋庁が設置される前、1914年日本海軍が司令部を置いたのがチューク環礁の Dublon島(Tonoas または夏島)でした。さらにそれに先立つ1892年2月、Weno島(Moenまたは春島)に上陸して単独で貿易を始め、首長Manuppisの長女と結婚して11人(男6人、女5人)の子どもをもうけた伝説の人物が、土佐出身の森 小弁(1869〜1945)です。その子孫は、今や3,000人以上。ミュージシャンも輩出していますし、高知県との交流を推進した第7代ミクロネシア連邦 Emanuel Mori 大統領(在任期間 2007〜2015)もその曾孫です。

地図

チューク環礁

 私が初めてチューク環礁に向かったのは、2002年。いつもながらお土産に悩み、1978年からチューク在住の末永卓幸さんに尋ねると、「ヨウカンがいいんじゃない。」って。「えっ、あの羊羹ですよね?」「うん。日本の甘いものは、こっちのお年寄り大好きだから…」と。これまで、ヤップやパラオでは羊羹を求められたことはありません。「じゃあ、数が多くて、小さい方が便利だな」と、個包装のお手頃な羊羹を仕入れて旅立ったのでした。

 末永さんと共に、まずお訪ねしたのは森 小弁の六男 Rokuro(1926〜2011)ご夫妻。1934年、音楽学者・田辺尚雄(1883〜1984)が南洋群島での調査でチューク環礁を訪れた時も、森 小弁が世話役でした。何でも、官吏に内密でチューク環礁の青年たちに「挑発的な踊り」付きの歌をうたわせて見せたそうですよ。戦後、田辺の調査記録は『南洋・台湾・沖縄音楽紀行』(東洋音楽学会編 1968)、LPレコード(田辺尚雄・秀雄 1978)として出版されています。LPレコードには、森 小弁の掛け声に Tol島(水曜島)の男性が応答する「木遣り歌」も収録されています。当時8歳だったRokuroさんも、その時のことを覚えていました。

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