[2008.3]《今年はジルに抱擁を!》カエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジルについて語る
ジルは、特許をとらない偉大な発明家だ。過度の謙遜とともにある巨大な虚無と、自身の偉大さによる悪気ない軽視は、この月の2つの顔だ。半分は黒くて、もう半分は音楽そのもののでできた人あることを隠している月の、2つの顔だ。しかしながら、私の目には苦しみで輝いているように見える。メタ兄弟(meta-irmao)について、「友人(amigo)」という言葉が値しない愛と闘いの同士について、どう言っていいのだろう?」ジルは、サンバ−ジャズ −フュージョンと現代的な歌謡曲を発明したと思っている。これらは彼が興味をもたなかったことだ。彼は、ブラジルのネオ・ロックンロールとアフロ・バイーア音楽の新しい文化を作った。これらは彼がとても興味があったことだ。でも彼はそれらを自分のものだけにせず、彼が後に(後続に)演奏することを許した後、自分の専売特許だと言ったりしなかった。彼は後ろを振り返らない。私がこの文章の中で、「トロピカリズモ」という言葉に言及しない試みを、ほぼ渇望している状態にある理由がそこにある。事実、ジルと 市場の商品としても思うがままだったたくさんの音楽プロジェクトについて議論するのは、より正しくより活気に溢れているだろう。そして、そのプロジェクトは『ヘアルシ』で最高点を迎えた(『ヘアルシ』に僕はすごく刺激を受け、もしなかったら僕は『ヴェロー』ってアルバムを作っていなかったんだ)。彼が政治家になる直前にはじまった、最近の彼の関心にフォーカスした現在のジルの仕事はどんな意味がある? ブラジル文化の中で最重要の文化ムーブメントとしての「トロピカリズモ」の話題に落ち込んでいくよりも、こうやって質問する方がいい。視界のアンバランスさの中で、軽率な人を楽しませて、中庸の人をその気にさせるために、どうってことない会話だけが、機能するんだ。
でも、僕は後ろを振り返る。トロピカリズモは、1967 年に、私たちのブラジルの美的判断基準や、政治や、ポピュラー音楽市場の姿勢を変えようという野心が結果として得た名前だ。私たちは、自分たちを狭小さや偏見さから自由にしたかった。おそらくマーケットと政治を行き来する今の「transmusico(移動音楽家)」なジルの興味についての理解がより深く行えるだろうから、今の時代を見渡すために、ここに(トロピカリズモの時代の話に)戻った。1966年、ジルは私たちが仕事に向かう姿勢に対して不安で、それに我慢しかねていると言い出した。ジルは、ビートルズについてや、北東部の飢え(レシーフェに何ヶ月か滞在していた)、独裁的な軍政府やマス文化の暴力について話しだした。詰るところ、ポスト・ボサノヴァの生温いシーンに居続けることが耐えられなかった。例えば、カピナン、僕(カエターノ)、ガル、トルクアート、ギリェルミ・アラウージョ、ホジェリオ・ドゥ アルチといった親友たちに最初に話した。その後すぐ、普通の友人たちに話した。ジル自身が開いた(複数回あった)ミーティングで、そんな話がされた。彼は、みんなが理解してくれることや、彼のアイデアがみんなを巻き込むムーブメントになることを硬く信じていた。
ジルが言っていることはそれほど理解されなかった。注目は、すごく小さなもので、この種のミーティングのことを一体何人が覚えているものか分からない。でも、ミーティングは確かに行われて、当時の僕が世界を理解するのに大切な時間だった。今、ジルに対して理解していることでもある。彼にとって、音楽家であることはいつも至極当たり前なことだった。(こんな話がある。若いビリー・ホリデーに、バーのオーナーが歌えるかどうかを尋ねるた。彼女は、空腹故にダンサーのような仕事を探していたのだが、「もちろん、歌えない人なんているの?」と答えた。彼女は生まれつき歌えた。だから仕事にならなかった。仕事ではなかった。お金がどうとかということではなかった。)彼は、僕たち仲間たちと、音楽がどんなことができるのかを議論したかった。政治的作戦を計画したかった。ブラジルの地方文化とモダニズムが結果としてマーケットでぶつかりあうような政治的作戦を。非凡な情報処理能力、フィッツジェランドのような才能、ギターマスターとしての才能、それら全てが、もしかしたらあなたの目には、過小評価されてきたかもしれない。(しかしながら、もし誰かがブラジルのギターの歴史を再構築するときに、ジルベルト・ジルの名前を飛ばしてしまうなら、ドリヴァル・カイミやジョアン・ジルベルト、ジョルジ・ベンのような名前を飛ばしてしまうようなことだ。この人物が、ブラジルのこの楽器で起こした歴史的なことを、していないとして。)こんな風に、66 年のそのミーティングの感覚を、67 年のトロピカリズモに見いだせるように、サルヴァドールの市議にジルが立候補している試みのなかに、見いだすことができるだろう。ジルはある日、自分の和声的な認知を向上するより、太鼓を叩いて終わる方がずっと好ましいと、僕に言った。もし僕が音楽で何かを成した人物であるならば、それは完全に彼のおかげなんだけど。自分のメストリ(師)としての立場を一度認識してしまえば、彼には自慢などあまりできないだろうということは、僕にも分かる。でも、事実はそうじゃないんだ。彼は、彼自身に対しても、まるで僕の弟子であるかのように振るまい、僕にはできもしないことまで自慢してくれるんだ。ジルベルト・ジルは、一つの歌でストリートのフィーリョス・ヂ・ガンジーに再び注目を浴びさせた。彼は多くを与え、何も要求しない。もしあなたがどんなコマを捨てて前に進もうが、それはそれでいい。けれど私はこのことははっきり言える。〝彼が進めているビジョンを無視できると考えているなら、現代の最良の発明(に触れる機会)を失っている〟と。(カエターノ・ヴェローゾ、1992)
(月刊ラティーナ2008年3月号掲載)
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