【チック・コリア追悼】[1980.12]パコ・デ・ルシアがスパニッシュ・フュージョンに火をつけた −マイルス・デイビスが、チック・コリアが、アル・ディ・メオラがスペインから吸収している音とはいったい何だ!−
文●池上比沙之
巨匠チック・コリアが2021年2月9日、癌のために79歳で亡くなりました。
パコ・デ・ルシアも2014年、滞在先のメキシコで亡くなっています。
チックまで失った今、二人の偉業を再確認するために....以下の記事は、中南米音楽1980年12月号に掲載されたものをそのまま再掲載しています。
8年ぶりにフラメンコ・ギタリスト、パコ・デ・ルシアが来日することになっている。前回の日本公演は、フラメンコという伝統スタイルにおけるパコの天才的なスケールを誇示するものだったが、今回の来日は、もうひとつユニバーサルな視野でパコを捉えるきっかけとなることだろう。ここで、ジョン・マクラフリンとラリー・コリエルとの共演によるステージだからといって“パコはフラメンコを離脱し、フュージョンに走ったのでは?” などと見るのは、もしかしたらいらぬ心配なのでないだろうか……
間もなく、8年前とはかたちの異なるステージで、パコ・デ・ルシアの生の演奏に触れることができる。そのパコの来日を前にして、私たちはもう一度、はっきりとパコの存在を確認したいと思う。そのために、2か月にわたるパコ・デ・ルシア特集を組んだ。今月は、パコを含めたフラメンコ(スペイン音楽)が、他のジャンルのミュージシャンに及ぼした影響、またそれに対する逆影響にアプローチする!《編集部》
新たなムーブメントの予感!
想像するだけでもスリリングな3ギター・コンサート
この1〜2年、日本のコンサート・シーンは少しずつ変わってきている。その変化はミュージック・ジャーナリズムが騒ぎたてるほど大きなものではない。だが、流行の波間に見えかくれしながら、ひっそりと進行しているだけに、気になるのだ。いつか、うわべだけの流行を一気に押し流してしまうようなムーブメントとなりそうな予感さえ感じるのである。
例えば、夏の恒例行事となった“ライブ・アンダー・ザ・スカイ”。昨年はエルメート・パスコアールやエリス・レジーナのブラジル勢が、中心となるジャズ・ミュージシャンを食ってしまったし、今年はマクラフリン=コリエル=クリスチャン・エスクデによるギター・バトルのプログラムが組まれた。チック・コリア・ナイトやスタンリーリー・クラーク・ナイトにくらべ客の入りこそ劣ったものの、演奏内容では聴衆に十分な満足感を与えてくれたものだ。
△80年夏、満足感を与えて暮れたギター・バトル(左からラリー・コリエル、ジョン・マクラフリン、クリスチャン・エスクーデ)
このスリー・ギターによるスペシャル・バトルを聴いている時、友人がおもしろい話を聞かせてくれた。
「マクラフリンにインタビューしたんだけれど、彼、CBSとの契約やめたって言ってたよ。 アメリカのメジャー・レーベルのビジネス志向に対するささやかな反抗らしいんだ。だいぶ前にね、マクラフリンはヨーロッパですばらしいミュージシャンを発見して録音したんだって。で、そのテープをアメリカに持ち帰ってCBSに示したら、こいつはスゴイ、発売しようってなったらしいのネ。でも、いつになっても発売されないんで、その理由を聞いたらビッグ・セールになりそうもないからってオクラになったらしいんだよ。それでマクラフリンはこの会社はよい音楽を発表する気がないって考えて、契約を更新しなかったんだってさ」
ビジネスが最優先される今日、まれにみる暖かい話である。もちろん、マクラフリン側だけの話を聞いて、世界最大のレーベルCBSを悪者にするつもりはないが近ごろあまり聞けなくなったストーリーだけに“がんばれ、マクラフリン”と声をかけたくなる。
ぼくはこの話を聞いた時、何の理由もなく、マクラフリンがヨーロッパで見つけたミュージシャンというのは天才フラメンコ・ギタリストのパコ・デ・ルシアのことではないかと思った。パコならばマクラフリンをして利益をかえりみずに行動を起こさせる何かを持ったミュージシャンだという直感であった。史上最年少でマスターズ・ゴルフトーナメントのチャンピオンとなったスペインの星、セベリアーノ・バレステロスが、まるで闘牛士のような直線的かつ攻撃的ゴルフで、アメリカの確率のゴルフにショックを与えたように、生命力の強いパコ・デルシアの音楽がいつの間にかアメリカ音楽産業の方法にたちむかうエネルギーに変わっていたらこれほど愉快なことはない。ぼくの直感にはそんな希望が含まれていたのである。
そしてどうやら、この直感は当たっていたらしい。10月15日をふり出しに、約2か月にわたる。“3ギター、3ブラザース・コンサート”がヨーロッパ各地で行われたのだ。実はこのコンサート、78年末から79年にかけて、初ツァーを行なった。この時のメンバーはジョン・マクラフリン、ラリー・コリエル、パコ・デ・ルシアという顔ぶれで、ライブ録音されている。アメリカ、カナダ、日本はマクラフリンが契約するCBSがそしてヨーロッパはパコが契約するフォノグラムが発売する権利を持っていた。ヨーロッパでの反響の大きさにもかかわらずレコードは発売されないまま今日に至っている(このいきさつは本誌79年6月号航空便のページに書かれている!)。今回のツアーはラリー・コリエルに替わってアル・ディ・メオラが参加しているのだが、コンサートの内容は圧倒的にパコが主導権を持ち、マクラフリン、ディ・メオラがパコに敬意を表しながら展開されているということだ。想像するだけでもスリリングなコンサートだが、12月の中旬にはオリジナル・3ブラザースで日本にやってくるという。ぼくはいまから、その日を指折り数えて待っているつもりである。
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