[1998.11]ゲットーの声をラップする90年代のクールなカリスマ 〜マルセロD2インタビュー〜
文:中原 仁
マルセロD2が語るプラネット・ヘンプ、ナサゥン・ズンビ、そして初のソロ・アルバム
リオのストリート世代を代表するグループのひとつが、その名も「マリファナ惑星」と名乗るプラネット・ヘンプ。ハードコアなロックやファンク、ヒップホップを土台にサンバのエッセンスも織りまぜつつ、ドラッグ、貧困、犯罪、政治の不正といったブラジル社会の暗部を鋭くえぐり出してラップする。リーダーにしてラッパーで歌詞も書くマルセロ・D2(デードイス)は、ゲットーの若者から始まって裕福な階層の少年少女の心もとらえ、今やカリスマ的な存在だ。97年に発表したセカンド・アルバム『犬は盗むがキャラバンは進む』が大ヒット。影響力が強まるにつれ、それに恐れをなした警察により昨年、歌詞の中でドラッグを賞賛していることを理由に不当逮捕までされた。
リーダーのマルセロ・D2はつい先日、初のソロ・アルバム『エウ・チロ・エ・オンダ』を発表したばかり。徹底してラジカル路線を行くプラネット・ヘンプの音楽とは趣きを変え、サンプリングとアコースティックな楽器を巧みにブレンドしながらヒップホップとサンバとのミックスに挑んだアルバムだ。 硬派のオピニオンリーダー然としたヘンプでの姿とは異なり、D2の表情はよりクールでプライヴェートで、彼の内面的な部分に触れることができる。そんなD2をリオでキャッチ。休みなく電話が鳴り、活気にあふれたオフィスの一角でインタビューを行なった。
なお、マルセロ・D2の本名はマルセロ・マルドナート・ゴメス・ペイショート。1967年、リオ北部の下町サン・クリストヴァンで生まれた。
── まず、あなたが自分の音楽表現の形としてラップを選んだ最大の理由は?
マルセロ・D2(以下D2) 僕はかれこれ10年以上、ずっとラップを聴いてきたんだ。ラップの良いところは、自分のノリを持ってて、良い詩を書くことができれば、誰でもラッパーになれる点だ。ブルースやサンバを歌うのに適した、ビロードのような声の持ち主ではなくてもいいし、詩を書く際も特別なポエジーの感覚が必要ではなく、普段着の話し言葉で良いからね。だから僕はずっと、自分がラップに向いていると思ってた。
── ということは、歌うより前に、詩を書くことからまず始めたということ?
D2 うん。12歳の頃から詩を書き始めたんだけど、出来には全然自信がなくて、恥ずかしくてとても人に聴かせられるようなものじゃあないと、ずっと思ってたんだ。ところがある時、友人のスカンクがたまたま僕の詩を読んで、「すげえイイじゃん!俺も詩を書いてるんで、一緒に組もうぜ」。それで彼とコンビを組んで、ストリートでラップを始めたんだ。一人がビート・ボックス(注:マイクにかぶさるようにして演じるヴォイス・パーカッション)をやって、もう一人はそのリズムに乗って歌うスタイルでね。これがプラネット・ヘンプの始まりだった。
── それは、いつ頃?
D2 92年の中頃。最初はスカンクと二人だけで、ストリートやバールでやってたんだけど、93年にギター、ドラムス、ベースを入れたバンド編成にした。ブラジルではラップのユニットを組むには困難がある。というのも、ブラジルのような第三世界はテクノロジーが遅れてるから、良いサンプラーやドラム・マシーンやスタジオに恵まれていない。だから僕たちも、バンドの形にしたわけだ(注:スカンクは99年、エイズで死去)。
── 活動を始めた頃、特に影響を受けたアーティストは?
D2 僕はデファーラという、80年代からやってたバンドの大ファンで、彼らの影響は大きかった(注:デファーラはサンパウロのロック&ラップ・バンド)。同時に僕の場合、サンバの影響もとても大きいんだ。カンディア、マルチーニョ・ダ・ヴィラ、ベゼーハ・ダ・シルヴァといった人たちのね。サンバからは、特に僕が詩を書く上で影響を受けた。なぜならサンバの語法にはストリートの感覚があって、表現もストレートで、道端で友人と話してるような感じがある。これってラップの発想にとても近いんだよ。
── じゃあ、子供の頃からサンバにも親しんでいたの?
D2 そのとおり。というのも僕の父はサンバのバンドをやってて、日曜や休みの日になると必ず、家の裏庭でシュハスコ(注:バーベキュー)をやりながら演奏してたんだ。いつも大勢の人が集まってね。僕が育ったリオのスブルビオ(注:中心部からやや離れたリオ北部の庶民的な下町)では、これはもう伝統的な習慣だ。サンバ、シュハスコ、フェイジョアーダにビール(笑)。僕もそんな、サンバの地の環境で育ったのさ。
── プラネット・ヘンプがファースト・アルバムからずっとサンバっぽい曲もやってたのは、そういうわけだったのか。ところでセカンド・アルバム『犬は盗むがキャラバンは進む』は、ビースティーボーイズのプロデューサー/エンジニア、マリオ・カルダートJrとの共同プロデュースだったよね。これはどういう経緯で?
D2 ちょうどファースト・アルバム『ウズアーリオ』を出した頃、ビースティー・ボーイズがブラジル公演に来て、僕らがコンサートのファースト・アクトをつとめたんだ。その時マリオと知り合って、すぐ友人になった。彼は小さい頃からアメリカ育ちだけど、ブラジル人だし、僕と音楽的な趣味もすごく近いんだよ。ジョルジ・ベンが大好きとかね。プロデューサーとしてはもちろん、エンジニアとしてのマリオも素晴らしい。ブラジルにはすぐれたエンジニアが少ないってこともあって、セカンド・アルバムを作る時にロサンゼルスの彼の家に電話して頼んだんだ。「やあマリオ、元気?僕らのアルバムをプロデュースしてくれない?」「いいとも!」なんて感じでね、シンプルに話が決まったんだ。
── そのアルバムに入っている「ヘンプ・ファミリー」という曲の歌詞の中で、あなたはファンク・ファッカーズ、オ・ハッパ、ブラック・エイリアン、ナサゥン・ズンビ、ムンド・リヴリといったグループの名前をあげているけど、ヘンプ・ファミリーというのは、どういう意味の「ファミリー」なの?
D2 曲の中にこんなフレーズがある。「ファミリーは血ではなく、波長のことだ」。僕らのファミリー意識って、カルチャー・ムーヴメント的にとらえられがちなんだけど、実際はもっとシンプルな、ノリの合う仲間って感じだね。僕らはしょっちゅう会う仲で、ビールを飲みながら音楽のことやブラジルの実情なんかを話し合っている。もちろん、互いに音楽家として尊敬しあう同志でもある。ファンク・ファッカーズ、オ・ハッパ、スピード・フリークス、ブラック・エイリアン、ナサゥン・ズンビ……。この連盟は大規模だ。
── すでにファースト・アルバムのジャケットに、ナサゥン・ズンビらレシーフェのマンギ・ビート連中へのエールをクレジットしていたけど、その時点でもうあなた方と彼らとは直接的な関係があったの?
D2 すでにあった。『ウズアーリオ』を出す2年前、93年にプラネット・ヘンプがリオでコンサートをやった時に、ナサゥン・ズンビのメンバーが聴きに来て、それで知り合ったんだ。なんと彼らはレシーフェに居た時からアンテナを張ってて、すでに僕らの活動をキャッチしてたんだよ。これにはビックリしたなあ。しかもレシーフェとリオという離れた場所で、彼らと僕らは同時進行で同じ意識と目的で音楽をやり始めていたわけだ。だからすぐにファミリーの関係になったんだ。僕はナサゥン・ズンビの2枚のアルバム(『アフロシベルデリーア』『CSNZ』)に参加している。シコ・サイエンスが亡くなった時には、ナサゥン・ズンビ&マルセロ・D2として追悼コンサート・ツアーも行なってきた。
── ナサゥン・ズンビの新作『CSNZ』では、ジョルジ・ベンジョール、ムンド・リヴリのフレッド、オ・ハッパのファルカゥン、そしてあなたといったゲストが揃った曲のほかに、プラネット・ヘンプとしてシコの曲「サンバ・マコッサ」を録音したよね。これもシコへのオマージュ?
D2 それももちろんあるし、この曲自体が好きで、プラネット・ヘンプのステージでもやったんだ。それで彼らから「ぜひ録音してほしい」って言われてね。あるバンドのアルバムで、他のバンドがゲストで入って共演するのではなく、単独で1曲やるというのは、ほとんど今までになかったケースだ。だからこの申し出を聞いて、ますます彼らが好きになったよ。これからもナサゥン・ズンビとはいろんな形で組んでいくことになる。
── では次に、できたてホヤホヤのファースト・ソロ・アルバムについて。ヒップホップとサンバのミクスチャーが基本コンセプトであることはすぐわかるけれど、その意図は?
D2 僕はずっと、ヒップホップやラップとサンバとは関係が深い音楽だと考えてる。最初にも話したように、どちらも日常の出来事、ありふれた平凡なことを題材として生まれる歌詞が多い。サンバもヒップホップも僕にとって大切な音楽だし、ブラジル音楽そのものにとってもサンバは重要だ。そこで僕はこのアルバムで、サンプラーを使ってサンバのスピリットを自分の音楽の中に取り入れていこうとしたんだ。ブラジルの顔を持ったヒップホップ・アルバム、ブラジル音楽のアルバムとして。プラネット・ヘンプはもっとロック寄りの音楽だからね。このアルバムを聴いたマルチーニョ・ダ・ヴィラが嬉しいことを言ってくれたよ。「これはサンバの新しい語法で、サンバの新しい表現だ」ってね。
── アス・ガタスのコーラスをフィーチャーした、フンド・ヂ・キンタルの「バトゥカーダ・ドス・ノッソス・タンタンス」を下敷きにした曲もある。
D2 最初に話したような子供時代の体験を振り返っている時に、この曲のフレーズが頭に浮かんだんだ。 ズバリの歌詞だからね。アス・ガタスの女性たちの歌声はブラジルの魂そのもので、だからぜひ歌ってほしいとお願いしたんだ。この曲に、僕のサンバに対する想いが端的に現れている。
── 他にもいろんなゲストが参加しているけど、ジョアン・ドナートが2曲でピアノを弾いてるのには驚いた。これはどういう経緯?
D2 僕はボサノヴァもずっと好きだったんだよ。ただ僕の世代は、ボサノヴァのコンサートに行く機会はなかったんだけど、去年ドナートのライヴに行ったら、彼が客席にいた僕を見つけてね。それでステージから「今日ここに、私よりもずっと若いマルセロ・D2が来ている。次の曲を君に捧げる」って言ってくれた。毛が逆立つぐらいビックリしたよ。だって、それまで僕たちは会ったことも話したこともなかったのに。それでドナートに、ぜひ僕のアルバムでピアノを弾いてほしいってお願いしたんだ。ドナートの他にも大勢のミュージシャンが参加している。アジムス出身のベルトラミ。彼は「バトゥカーダ・グルーヴィ」というプロジェクトをやってて、ベルトラミのピアノ、DJ、僕のラップという組み合わせでやったこともある。ドラムスのドン・ウン・ホマンは、あらためて説明するまでもないほどの存在の人だ。そしてパーカッションのマルサルジーニョ。彼らと共演したことは、唯一といっていいぐらい素晴らしい経験だった。このことを、これからも僕の人生の中でずっと大切にしておきたいと思う。
── このアルバムを聴いた時に、グールー(注:ニューヨークのヒップホップ・アーティスト)がジャズのミュージシャンと一緒に作ったアルバム『ジャズマタズ』を思い出したんだ。音楽の種類は違うけれど姿勢に共通点があるように感じたのと、あとどっちもすごく「クール」な感覚があって。
D2 うん、わかるよ。そもそも僕は80年代のアメリカのヒップホップから影響されてるし、もちろんグールーのことも、彼がギャングスターにいた時代から好きだった。そういう意味での共通点もある。あと彼はジャズを、僕はサンバを、シンプルな形で取り入れている。僕はこのアルバムで、細かいアレンジを施さずにシンプルに仕上げたから、そういうあたりが確かに「クール」と言えると思うよ。
── ジャケットのブックレットを開くと1ページに1曲づつ載っていて、そのページのデザインは、もろにブルーノート・レーベルの雰囲気だ。これもあなたのアイディア?
D2 僕と友人のデザイナーで考えた。そもそもアルバムでサンプリングした音源は、全部アナログ・レコードから取ったもので、CDは使ってない。だからアートワークにも、アナログ時代へのオマージュをこめたんだ。ブルーノートのジャズはそうした時代の象徴だからね。それと、1曲づつ違ったアルバム・ジャケット風にすることで、曲ごとにそれぞれのストーリーがあることも表現したかった。
── ところでアルバムの途中で、突然日本人の女性が登場して日本語でシャべってるのには仰天したけど、なんでまた?
D2 その前に、彼女がどんなことを話してたのか教えてくれないかな。(説明を聞いて)ああ良かった。悪口は言ってなかったんだな。これにはちょっとしたストーリーがあってね。ちょうど僕がドナートのピアノを録音している時に、隣のスタジオで日本のグループの録音をジャキス・モレレンバウムがやってたんだ(注:ゴンチチの新作)。スタジオの入り口で、トム・ジョビンのアルバムを抱えた日本人の女性とすれ違って、彼女に話しかけたんだよ。彼女はポルトガル語は全然話さないし、僕はもう最低の英語しか話せないんだけど、そこで会話が始まって、ふとアイディアが浮かんだんだ。よし、日本語の声をアルバムに入れちゃえってね。で彼女に「何でもイイからマイクに向かって日本語で話してよ」って頼んだわけさ。たとえばフランス語だったら僕でも少しはわかるけど、日本語って、ブラジル人からすればまったく理解できない言語だから、逆に面白いと思ったんだ。
── じゃあ、一種のサウンド・エフェクト的な効果を狙ったってこと?
D2 そうだね、ラヤラヤーってコーラスと同じようなものだ。ただ、僕はぜひ自分のアルバムを日本でも出して欲しいと思っているので、そのへんの狙いもあったけど。
── ではまたプラネット・ヘンプについて。一貫して歌詞の中でマリファナのことや社会問題を取り上げ、権力と戦い続けている。そこには使命感のようなものがある?
D2 僕は機会があるたびに言ってるんだ。ブラジルは盗人の国だって。ひとにぎりの金持ちや権力者が民衆を食い物にしている。僕自身、スブルビオの貧しい家庭、つまり盗人に支配された民衆の側に育った。そして今は、いろいろな問題を取りあげ、多くの人々に対して語りかける機会を得ることができた。だから僕は民衆に対して、自分の子供たちの世代に対して、現実と真実を伝え、それについて考える機会を与えなければいけない。僕らはマリファナを賞賛しているけれど、同時に暴力や犯罪や政治の不正といった今ブラジルがかかえている問題を取り上げる。だから僕らのファンの中は、マリファナは全然やらず、僕らの姿勢そのものに共感する人も大勢いるんだ。
── あなたは今や、ブラジルの90年代を代表するオピニオン・リーダーの一人だけど、近い立場にいるニュー・ジェネレーションのアーティストの中で、さっき話してくれたヘンプ・ファミリーの他にあなたが特に共感して
いる人というと?
D2 本物だと思える人はそんなにいないけど、まずハシオナイスMC's。やってることに筋が通っていて、僕は大好きだ。プラネット・ヘンプはソニーという大きな会社に所属しているけれど、彼らはインディペンデント・レーベルでありながら50万枚もCDを売った。これはすごいことだよ。それからイヴォ・メイレリス。彼も本物だ。パヴィリャゥン9も、僕らと少し方向性は違うけれど、とても良いと思う。最近彼らのレコーディングに呼ばれて、それで友人になった。そしてさっきも言ったけど、ナサゥン・ズンビは僕にとってブラジル最高のバンドだ。
── 彼らとあなたとの共通点は?
D2 90年代のブラジル音楽シーンには、良い傾向が出てきた。80年代は中流から上流階層の出身で、ギターとかの機材を買える裕福な連中だけがアーティストとして成功したけれど、今はプラネット・ヘンプにしても、ハシオナイス、ナサゥン・ズンビ、パヴィリャゥン9にしても、みんなゲットー出身なんだ。ブラジルの人口の最大多数である下層階級の出身者、すなわち僕たちが、世の中に対して発言する機会を得たことが大きい。
── 最後に、プラネット・ヘンプとしての今後の活動プランは?
D2 来年2月までには、次のアルバムを出そうと思っている。今年はヨーロッパに行ったけれど、来年もう一度、もっと大規模な形で行ってみたい。そして、僕は真剣に、日本に行きたいと思っているんだ。遠いし行くのに金もかかるけれど、僕は日本の文化が大好きでとても興味がある。日本の街を歩いて、日本人の若者がどんな考えをしているのか、ぜひ知りたいな。だから僕らの音楽が多くの日本の人たちに届くことを期待してるよ。
●
プラネット・ヘンプのアルバムを聴いて想像していた「ラジカルな闘士」のイメージとは裏腹に、素顔のマルセロ・D2はもの静かな青年だった。もちろんカリオカ特有のオープンなノリは持っているのだけれど、ギラついたところやガツガツした感じがまったくなく、澄んだ瞳には一点の曇りもない。ブラジルの誰かと比較するよりも、むしろ元アレステッド・ディヴェロップメントのスピーチと会った時に感じたのと同じ種類のヴァイブの持ち主、といった佇まい。何か暖かいものを分けてもらったような気分に包まれた僕は、嬉しい余韻を感じながらオフィスを後にし、夕闇迫るリオの街へと舞い戻っていった。
マルセロ D2(Marcelo D2)『エウ・チロ・エ・オンダ(Eu Tiro ê Onda)』
意外なゲストが豪華に参加したD2のもう一つの側面を見せる初ソロ作。サンバとヒップホップがどう料理されているかは聴いてのお楽しみ。
プラネット・ヘンプ(Planet Hemp)『ウズアーリオ(Usuário)』
故スカンクの録音も収録されたデビュー作。ファンク・ファッカーズのB・ネガゥンも正規メンバーとして加わっている。
プラネット・ヘンプ(Planet Hemp)『犬は盗むがキャラバンは進む(Os Cães Ladram Mas a Caravana Não Pára)』
本誌読者なら既にお馴染み!?の問題作。フェルナンダ・アブレウをフィーチャーした1曲目が衝撃的。
シコ・サイエンス&ナサゥン・ズンビ(Chico Science & Nação Zumbi)『CSNZ』
シコ・サイエンス存命中のライヴ音源に加え、アート・リンゼイ、デヴィッド・バーン〜ドラムンベースなアーティストたちがリミックスを手がけた入魂の2枚組。
(月刊ラティーナ1998年11月号掲載)
ここから先は
世界の音楽情報誌「ラティーナ」
「みんな違って、みんないい!」広い世界の多様な音楽を紹介してきた世界の音楽情報誌「ラティーナ」がweb版に生まれ変わります。 あなたの生活…