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[2021.04]1968年の5月に『Tropicália』がリリースされました。名曲「Baby」を紹介します【ブラジル音楽の365曲】[4/26〜5/2]

面白くてタメになる1日5分の音楽鑑賞「ブラジル音楽の365曲」[4/26〜5/2]

文:花田勝暁(編集部)

3月1日から「ブラジル音楽の365曲」をスタート。
 ブラジル音楽やブラジル文化についての情報を盛り込んで、面白くてタメになる1日5分の音楽鑑賞の場を提供できたらと思っています。毎日更新で、この投稿から9週間目に入ります。これまで紹介した曲のリストがあると良さそうですね。ぼちぼち用意します。
 平日は、毎日午前中の更新を予定しています。休日分は、遅い時間のこともあるかもしれませんが、ご容赦ください。

先週の分↓

5月1日「Baby」

Você precisa saber da piscina
Da margarina, da Carolina, da gasolina
Você precisa saber de mim
 あなたはプールについて知るべき

 マーガリンについても、カロリーナについても、ガソリンについても

 あなたは私のことを知るべき

Baby, baby, eu sei que é assim
Baby, baby, eu sei que é assim
 ベイビー、ベイビー、私はそんな風なことなんだなってわかっています
 ベイビー、ベイビー、私はそんな風なことなんだなってわかっています

Você precisa tomar um sorvete
Na lanchonete, andar com a gente, me ver de perto
Ouvir aquela canção do Roberto
 あなたは軽食屋さんでアイスクリームを食べるべき
 
私たちと一緒に歩いて、私のことを近くで見るべき

 あなたはホベルト(・カルロス)のあの歌を聴くべき

Baby, baby, há quanto tempo
Baby, baby, há quanto tempo
 ベイビー、ベイビー、久しぶりだね

 ベイビー、ベイビー、久しぶりだね


...

(「Baby」 作詞作曲:Caetano Veloso|1968年)

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 1968年の5月に(何日かは不詳)、トロピカーリアのマニフェスト・アルバム『Tropicália ou Panis et Circensis』がリリースされました。有名なジャケットには、運動の2人の象徴的なアイコン、カエターノ・ヴェローゾ(Caetano Veloso)とジルベルト・ジル(Gilberto Gil)の他、カピナン(Capinam)、ムタンチス(Mutantes)、トン・ゼー(Tom Zé)、ホジェリオ・ドゥプラ(Rogério Duprat)、ガル・コスタ(Gal Costa)、トルクアート・ネト(Torquato Neto)が写っています。

 この中から今日はカエターノ・ヴェローゾ作「Baby(ベイビー)」を聴きたいと思います。



トロピカリア時代のカエターノ・ヴェローゾの最重要作品は、「トロピカリア」「アレグリア・アレグリア」。しかし美しい旋律に乗って開かれた感性の必要性を訴えるこの曲が、もっとも心に残る。もともとマリア・ベターニアに書いた曲で、68年、タンバ・トリオとの共演でライヴ録音したが、同年、『トロピカリア』でのガル・コスタの名唱がベスト。ガル97年のライヴも30年の歳月を感じさせない。ヒタ・リーが歌うムタンチス・バージョンも可愛らしい。(中原仁『ブラジリアン・ミュージック2001』)

 昨年、国安真奈さんの翻訳で待望の邦訳が発売されたカエターノ・ヴェローゾ著『熱帯の真実』にもこのアルバムにまつわるアレコレが書かれています。カエターノがこのアルバムの制作の意図と「Baby」に端的に触れている箇所を引用します。はて、マリア・ベターニアは、この曲をカエターノに依頼したとき、誰かに「I love you」を伝えたかったんでしょうか...

 ……自分たちの活動のムーヴメントとしての特徴を明確化させるグループ・アルバム、マニフェスト・アルバムを作るべきだと決めたのは、僕だったように思う。いずれにせよ、アイディアが生まれるとすぐに、僕はリーダーシップをとった。ジル、トルクアット、ガル、ベターニア、ドゥプ ラと、それぞれ話し合った。ジルは、自身の最初のトロピカリスタ・アルパムをドゥプラおよびムタンチスと制作したばかりだった[一九六八年にリリースした『1968(日曜日の公園で Gilberto Gill (Frevo Rasgado)』]。それは、僕のものよりもずっと統一感のあるアルバムで、(期待された通り)楽曲の歌い手兼作者の音楽的な掌握度も高いものだった。しかし、僕のものの方が、「コンセプト的に」は強い印象を残した。たんに先に出たからかもしれない。あるいは、それこそ自分の音楽面での不足を補うために、常に僕はもっと「コンセプチュアル」にならねばならなかったのかもしれない。僕はジルのアルバムが示す集中力と脈動感が大好きだった。彼は、ブラジルの伝統的な要素と電化された音楽の円熟した組み合わせによって、高度に示唆に富んだ豊かなサウンドに到達していた。……
 共同アルバムを制作することは、グループのメンバーにとって、より正確な結果を出すための力を集結するこの上ない機会になるだろうと、僕は信じていた──し、そう信じることは間違ってはいなかったと思う。とりわけ、そうすればジルの、ドゥプラ の、ムタンチスの、音楽についての造詣の深さを、僕のアイディアを運ぶ媒体にできるだろうと期待していた。つまり、彼らの持つ力に僕は便乗したかった。おこぼれに与りたかったのだ。ジルのアルバムの仕上がりレベルが羨ましかった。一方でジョルジ・ベン、他方でホべルト・カルロスのアルバムに比べれば、まだ十分だとは考えていなかったが、 自分のものよりはずっと優れていると認めていた。
 ベターニアから僕は、曲を書いてほしいと頼まれていた。タイトルはすでに決まっており、歌詞の大部分についても彼女はアイディアを持っていた。彼女はその曲を「ベイビーBaby」と名付けたいと考えていた。そして、英語で「I loveyou」と書いてあるTシャッについて、どうしても歌詞で言及してほしいと言った。さらに、歌詞のラストは「僕のシャッに書いてあるのを読んでくれ。ベイビー、アイ・ラヴ・ユーと」で終わらないといけないのだと言った。それは、普通の人たちがふだん耳にする歌の中──そして、普通の人々が着ている服──に英語の表現が出てくることを、愛情とユーモアを込めて叙述する方法だった。ベターニアのことだから、これほど厳密な指定をするには、現実的でとても個人的な理由があったに違いない。僕はこの曲を、カンソネッタ文化とTシャツ文化を再現しつつ、同時にベターニアの個人的な雰囲気を表現しようとしながら書いた。結果は、完壁にトロピカーリアの美学(ならびに、ベターニアの協力があったので、その歴史)を体現するものになったと、僕は判断した。そこで、共同アルバムに彼女の歌でこの曲を収録しようと、僕らは申し合わせた。
(『熱帯の真実』p288)
 僕は「パニス・エ・シルセンシス Panis et circensis」[パンとサーカス。古代ローマの詩人ュウェナリスが当時の世相を揶揄して詩篇中で使用した表現。愚民政策の意]と名付けた歌詞をジルに預け、曲を書いてもらっていた。アルバム・タイトルは、ムーヴメント全体の名称でもある、オイチシッカの作品から拝借した『トロピカーリア』にするとして(むろん「〜イズム」というのは避けた)、僕はこの「パニス・エ・シルセンシス」を、サブ・タイトルに使おうと考えていた。……
(熱帯の真実』p293)
 僕らのマニフェスト・アルバムである『トロピカーリア・オウ・パニス・エ・シルセンシス Tropicália ou Panis et circensis』は、六八年にリリースされた。ナラとトン・ゼーに加え、当然ジル、ガル、ムタンチス、ドゥプラと僕から成る中心グループが参加したが、ベターニアはいなかった。グループやムーヴメントと自身を混同されたくないと心中で考えていた彼女は、注文していた曲「ベイビー」を、ガルが録音するようにと残した。これはガルの最初の大ヒットになった。まさに正当なヒットだったといっていい。ガルの歌声とドゥプラのアレンジにょって、この曲はトロピカリズモのマスターピース(という表現に絶対的な矛盾がないとすればだが)であり、ガルに対するギリェルミ の夢(とホジェーリオに関する僕の計画)を真に実現したものでもあったからだ。……
(熱帯の真実』p294)

 ガル・コスタは、この記念碑的名曲を、今年のアルバム『Nenhuma Dor』では、オ・テルノ(O Terno)のチン・ベルナルヂス(Tim Bernardes)とのデュエットで再録音しました。また、昨年は、フーベル(Rubel)とデュエットしたライヴ・バージョンをシングルとしてリリースしています。ガルにとっても、キャリア屈指の大事な曲であることがうかがえます。



Você precisa aprender inglês
Precisa aprender o que eu sei
E o que eu não sei mais
E o que eu não sei mais
 あなたは英語をマスターすべき
 私が何を知っていて
 何をもう知りたくないかを
 あなたは理解すべき
 
Não sei comigo vai tudo azul
Contigo vai tudo em paz
Vivemos na melhor cidade
Da América do Sul, da América do Sul
Você precisa, você precisa, você precisa
Não sei, leia na minha camisa
 私といると全てがブルーになってしまうのか
 あなたといると全てが平和なのか、それはわからない
 私たちは南アメリカで
 1番いい街に住んでいます
 あなたは必要なの...
 もう私はわからないけど、私のTシャツの文字を読んでよ

Baby, baby, I love you
Baby, baby, I love you
 ベイビー、ベイビー、アイ・ラヴ・ユー
 ベイビー、ベイビー、アイ・ラヴ・ユー

(「Baby」 作詞作曲:Caetano Veloso|1968年)

5月1日のその他のトピック
●F1ドライバーのアイルトン・セナ(Ayrton Senna|1960年3月21日 - 1994年5月1日)の命日。

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4月30日「As Rosas Não Falam」

Bate outra vez
Com esperanças o meu coração
Pois já vai terminando o verão
Enfim
 私の心よ

 もう一度希望に高鳴ってくれ

 ついに夏も
 もうすぐ終わってしまうよ

Volto ao jardim
Com a certeza que devo chorar
Pois bem sei que não queres voltar
Para mim
 必ず泣いてしまうのがわかっているのに

 庭に戻る

 あなたがもう

 私のところに戻りたくないと知っているのに

...

(「As Rosas Não Falam」作詞作曲:Cartola)

 2019年4月30日、日本でサンバに親しむファン、歌と演奏を志す人々に絶大な影響を与えた1番のシンボル、ベッチ・カルヴァーリョ(Beth Carvalho|1946年5月5日 - 2019年4月30日)が72年の生涯を閉じました。死因は敗血症、年明けからリオ市内の病院に入院していました。
 
 〝パゴーヂのマドリーニャ(代母)〟〝テヘイロ(サンバ奥義の場)の女神〟〝サンバの女王〟と謳われたベッチ・カルヴァーリョが取り上げたことで世界に紹介された曲は数知れませんが、今日はカルトーラ(Cartola)の「As Rosas Não Falam(沈黙のバラ)」を紹介することにしました。

哀愁の旋律、純文学的な品格ただよう珠玉の逸品(中原仁「ブラジリアン・ミュージック2001」|「As Rosas Não Falam(沈黙のバラ)」について)

──

 「As Rosas Não Falam(沈黙のバラ)」の歌詞は、高踏派の詩の形式に準じた完璧な詩になっています。高踏派は、19世紀末にフランスで生まれ、ブラジルでも、1922年の「近代芸術週間」で価値の大転換が起こるまで、ブラジルでも多くの支持を得ていたスタイルで、カルトーラは高踏派からも影響を受けていました。

 「As Rosas Não Falam」は、1976年7月に、ベッチ・カルヴァーリョのアルバム『Mundo Melhor(邦題:すばらしき世界)』に収録され、その後、すぐカルトーラ本人によるバージョンも録音されました。カムバックしたマンゲイラのサンビスタ、カルトーラによる珠玉の作品となりました。

 1930年代から1940年代にかけて、サンバの天才たちの中でも、順調なキャリアを歩み始めたカルトーラでしたが、10年以上も姿を消していて、死んだとも言われていました。

 しかし、1956年にジャーナリストのセルジオ・ポルト(Sérgio Porto)が、ボタフォゴの通りで洗車をしているカルトーラを偶然見つけて、彼の歌を歌手やプロデューサーに紹介。ナラ・レオン(Nara Leão)が録音した「O sol nascerá」がヒットしました。

 1960年代には、妻のジカ(Zica)と、リオのダウンタウンのカリオカ通りで、サンバ・レストラン「Zicartola」を切り盛りし、最高のサンバが聴ける場所となりましたが、

 1960年代初頭には、妻のジカと一緒にカリオカ通りにあるレストラン兼サンバハウス「ジカルトーラ」を指揮し、リオの最高のサンバの殿堂となりましたが、再び忘れ去られてしまいました。

 でも、その後の70年代には、初期のヒット曲よりもさらに完成度が高く洗練された、新しい驚きのある曲を、カルトーラは運んで、シーンに戻ってきました。

 新しい曲はパウリーニョ・ダ・ヴィオラ(Paulinho da Viola)、ベッチ・カルヴァーリョ(Beth Carvalho)、クララ・ヌネス(Clara Nunes)によって録音され、カルトーラ自身は1974年にインディーレーベル「Marcus Pereira」で、ファースト・ソロアルバムを録音。「Tive sim(シン)」や別れの曲「Acontece(アコンテシ)」が収録されています。

 それから2年後、セカンド・アルバムを録音。このアルバムには、「As Rosas Não Falam」の他、「O mundo é um moinho(人生は風車
)」、「Sala de recepção(人が集う客間)」、「Peito vazio(からっぽの心)」、「Cordas de aço(鉄の弦)」、「Ensaboa(あぶくをたてて)」などが収録されています。

...

Queixo-me às rosas
Mas que bobagem
As rosas não falam
Simplesmente as rosas exalam
O perfume que roubam de ti, ai
 薔薇に嘆くけれど

 馬鹿げたこと
 
薔薇は話さない

 薔薇はあなたから奪った香りを

 そこで発しているに過ぎない


Devias vir
Para ver os meus olhos tristonhos
E, quem sabe, sonhavas meus sonhos
Por fim
 どうか私の
 悲しい瞳を見に来てください
 もしかしたら、最後には、

 あなたは私の夢をみるかもしれない

(「As Rosas Não Falam」作詞作曲:Cartola)
参考文献:Nelson Motta「101 canções que tocaram o Brasil 」 他

4月30日のその他のトピック
●ハファエル・ハベーロ(Rafael Rabello)の姉であり、歌手のアメリア・ハベーロ(Amelia Rabello|1955年4月30日 - )のバースデイ。今日で66才。
●ブラジル大衆音楽史における大きすぎる存在、ドリヴァル・カイミ(Dorival Caymmi|1914年4月30日 - 2008年8月16日)の生まれた日。生誕107年。



──

4月29日「Explode coração (Não dá mais pra segurar)」

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 パラナ州郊外での交通事故で、1991年4月29日、ゴンザギーニャ(Gonzaguinha / Luiz Gonzaga Júnior|1945年9月22日 - 1991年4月29日)が他界しました。没後30年。

 名前の通り「バイアォンの王様」ルイス・ゴンザーガの息子ですが、軍政下で政府側についたルイス・ゴンザーガに対し、反体制の象徴とも言える存在だったゴンザギーニャは、長い間、対立していました。

 1960年代末にデビューしたゴンザギーニャは、まさに反逆児でした。細くて、髭面でタフなゴンザギーニャは、体制に納得できない人々の急先鋒の1人でした。1969年に結成した学生芸術家運動(Movimento Artístico Universitário|MAU)では、 イヴァン・リンス(Ivan Lins)やアルヂール・ブランキ(Aldir Blanc)、セーザル・コスタ・フィーリョ(César Costa Filho)、 パウロ・エミリオ(Paulo Emílio)らをまとめる存在でした。

 しかしながら、1991年に45才で亡くなる前に、彼は人懐っこく愛情深い一面を見せていました。彼の個性はもう別の顔になっていて、マリア・ベターニア(Maria Bethânia)、エリス・レジーナ(Elis Regina)、ナナ・カイミ(Nana Caymmi)、マルレーニ(Marlene)、シモーニ(Simone)、ジジ・ポッシ(Zizi Possi)、フレネチカス(Frenéticas)、ファギネル(Fagner)、ジョアンナ(Joanna)らの歌手に取り上げられ20曲以上のヒット曲が生まれていました。

 その中でも、1978年にマリア・ベターニアがリリースして大ヒットした「Explode coração (Não dá mais pra segurar)」は、長年、恋愛ソングを代表する1曲となっています。

 1945年9月22日にリオデジャネイロで生まれたゴンザギーニャは、早くから才能を発揮して、10代で最初の曲を作曲しました。

 1967年に、父親のルイス・ゴンザーガが「Festa」と「From US of Piauí」の2曲を録音しました。その1年後、まだゴンザギーニャは経済学を専攻する学生でしたが、第1回大学生ポピュラー音楽祭(I Festival Universitário de Música Popular)で「Pobreza por pobreza(貧困による貧困)」が最終選考に残りました。彼の初期のスタイルを象徴するよう、社会批判の楽曲でした。
 その翌年の1969年、第2回大学生ポピュラー音楽祭で、大胆なハーモニーと露骨に皮肉な歌詞を持つ難解な曲「O trem(電車)」が、グランプリを受賞しました。

 軍事独裁政権の時代に、抗議活動が彼の主要な活動となり、検閲で徹底的にマークされる存在となってしまいました。1973年と1974年に、最初の2枚のアルバムを録音するための検閲で、ゴンザギーニャは何十曲も提出して、そのほとんどが検閲を通りませんでした。

 当時、ゴンザギーニャの歌は、全てが反抗的なトーンだったので、抵抗の歌手(cantor-rancor)と呼ばれるようになりました。

 1976年に発売された4作目のアルバム『Começaria tudo outra vez(全てをやり直せたら)』は、タイトルから、ゴンザギーニャの新しい局面を示していました。

 子供の頃に聞いたロマンチックなボレロや、メロディアスで感情的な愛の美しさと苦悩を歌った楽曲が収録され、それらの楽曲は、MPBの歌手に取り上げられるようになりました。

 「Explode coração(心が爆発する)」は、マリア・ベターニアがアルバム『Álibi』で発表されましたが、このアルバムは、ブラジルの女性歌手のアルバムで初めて100万枚を越えるセールスを記録し、ブラジル中の音楽ファンの心は爆発するほど、このアルバムに心を掴まれました。

Chega de tentar dissimular e disfarçar e esconder
O que não dá mais pra ocultar e eu não posso mais calar
Já que o brilho desse olhar foi traidor
E entregou o que você tentou conter
O que você não quis desabafar e me cortou
 隠せないものをもう偽装や変装、隠そうとするのはやめようもう
 もう私は黙ってはいられないもの
 その目の輝きが裏切りもので
 あなたが抑えようとしたものがわかってしまった
 あなたがさらけ出そうとしないことと私を切り捨てたこと

Chega de temer, chorar, sofrer, sorrir, se dar
E se perder e se achar e tudo aquilo que é viver
Eu quero mais é me abrir e que essa vida entre assim
Como se fosse o sol desvirginando a madrugada
Quero sentir a dor desta manhã
 恐れるのも、泣くのも、苦しむのも、笑うのも、与えるのも、もう沢山
 失うのも、見つけるのももう沢山、全ては生きること
 私は欲しいのは自分の心を開いて
 太陽が朝に処女を失うように人生が始まること
 この朝の痛みを感じたい

Nascendo, rompendo, rasgando, tomando, meu corpo e então eu
Chorando, sofrendo, gostando, adorando, gritando
Feito louca, alucinada e criança
Sentindo o meu amor se derramando
Não dá mais pra segurar, explode coração...
 生まれて、引き裂いて、奪って、私の身体を飲み込んで、そしたら私は
 泣いて、苦しんで、好きになって、愛して、叫んで
 狂ったように、幻覚のように、子供のように
 私の愛が溢れ出すのを感じて
 抑えきれずに、心が爆発する...

...

(「Explode coração (Não dá mais pra segurar)」作詞作曲:Gonzaguinha|1979年)

4月29日のその他のトピック
●ドリヴァル・カイミの娘で、MPBにおける偉大すぎる歌手、ナナ・カイミ(Nana Caymmi|1941年4月29日 - )のバースデイ。なんと、今日で80才!
●「Como Nossos Pais」などの名曲を残したベルキオール(Belchior|1946年10月26日 - 2017年4月29日)の命日。
●ドラマーでシンガーソングライターのヴィニシウス・カントゥアーリア(Vinicius Cantuária|1951年4月29日 - )の誕生日。今日で、70才。
●英国出身の映画監督アルフレッド・ヒッチコック(Alfred Hitchcock|1899年8月13日 - 1980年4月29日)の命日。

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4月28日「Senhorinha」

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バーデン・パウエル(左)とパウロ・セーザル・ピニェイロ(右)

 偶然ですが、昨日も彼の歌詞を紹介していますが、今日は、無数の名曲を生んできた名作詞家のパウロ・セーザル・ピニェイロ(Paulo César Pinheiro|1949年4月28日 - )の誕生日です。1949年生まれで、今日で72才です。作詞が一番有名ですが、作曲もしますし歌も歌います。
 10年ほど前に、リオの古本屋で彼の歌詞のアンソロジー本を見かけました。かなり巨大な本で、その時は別の目的で本屋に行ったので、買わなかったのですが、その後出会えないので、買っておけば良かったです。
 クララ・ヌネス(Clara Nunes)と結婚し、その時期にも、多くの名曲を残しましたが、パウロ・セーザル・ピニェイロの全キャリアで見れば、その時代もキャリアの一部で、ジョアン・ノゲイラ(João Nogueira)、ジョアン・ヂ・アキーノ(João de Aquino)、フランシス・ハイミ(Francis Hime)、ドリ・カイミ(Dori Caymmi)、トム・ジョビン(Tom Jobim)、イヴァン・リンス(Ivan Lins)、エドゥ・ロボ(Edu Lobo)、マウロ・ドゥアルチ(Mauro Duarte)、ギンガ(Guinga)、バーデン・パウエル(Baden Powell)、トキーニョ(Toquinho)、エドゥアルド・グヂン(Eduardo Gudin)らと共作し、2000曲以上残しています。
 クララ・ヌネスと死別した後、1985年にハファエル・ハベーロ(Raphael Rabello)の妹で、カヴァキーニョ奏者のルシアーナ・ハベーロ(Luciana Rabello)と結婚しています。

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 今日紹介するのは、パウロ・セーザル・ピニェイロとギンガの共作曲の中から、「Senhorinha(お嬢さん)」です。

 ギンガにとっての最初の作曲のパートナーは、パウロ・セーザル・ピニェイロでした。1970年代初頭から共作関係が始まり、1970年代の半ばには、2人の共作曲は、MPB-4やクララ・ヌネス、パウロ・セーザル・ピニェイロ本人のアルバムなどで録音されました。1980年代にはエリス・レジーナ(Elis Regina)が「Bolero de Satã」と取り上げたり、テレビドラマに「Senhorinha」が取り上げられるなどしました。
 ギンガは1980年代の後半にもう1人の重要なパートナー、アルヂール・ブランキ(Aldir Blanc)と、ハファエル・ハベーロを通じて出会いました。
 1991年にリリースしたギンガのデビューアルバム『Simples e Absurdo』には、全11曲がギンガとアルヂールの共作曲が収録されています。パウロ・セーザル・ピニェイロとの曲は1曲もありませんでした。
 このアルバムは、特に新聞や雑誌で非常に高い評価を得ましたが、この時のギンガのインタビューでの発言が2人の仲を決別させたと言われています。

1991年11月8日のJornal do Brasil紙に掲載されたインタビューです。

私は間違いを犯しました。私は、定評のある作詞家と組めば、すべてがうまくいく思っていました。でもそうではありませんでした。パウロ・セーザル・ピニェイロには彼のキャリアがあります。私にも、自分のキャリアが必要だと気づくのに、時間がかかりました。彼は私とは違う考え方をする共作のパートナーでした。例えば、彼は、私の曲は難解で内気で、人気がないと思っていました。彼は、私たちの曲を信じていませんでした。約21年間一緒に作品を作ってきても、上司が微塵も価値を認めてくれない、そんな状況です。それである日転職する。そこでの新しい上司は自分のことを一番だと思ってくれている。(ギンガ)

 このインタビューが掲載され、パウロ・セーザル・ピニェイロとギンガは決別しました。この決別によって、2人の多くの共作曲が未発表となりました。モニカ・サウマーゾがテープを“発見”して、研究して、アルバム『CORPO DE BAILE』(2014年)となったのは、また別の話...。
 たとえ2人が決別しようが、美しい曲を残したのは、間違いありません。「Senhorinha」もそのうちの1曲です。

Senhorinha
Moça de fazenda antiga, prenda minha
Gosta de passear de chapéu, sombrinha
Como quem fugiu de uma modinha
 お嬢さん

 古い農園の少女、私の愛する人

 流行りものから遠ざかるように
帽子を被り
 日傘をさして散歩をするのが好きな人



Sinhazinha
No balanço da cadeira de palhinha
Gosta de trançar seu retrós de linha
Como quem parece que adivinha (amor)
 清廉な少女よ
 藁の椅子に揺られ

 編み物をするのが好き

 愛する人を思っているかのように


Será que ela quer casar
Será que eu vou casar com ela
Será que vai ser numa capela
De casa de andorinha
 彼女は結婚したいのだろうか
 
ぼくは彼女と結婚できるのだろうか
 結婚式はツバメの家のような
教会で
 やるんだろうか


Princesinha
Moça dos contos de amor da carochinha
Gosta de brincar de fada-madrinha
Como quem quer ser minha rainha
 かわいいお姫様よ
 愛のおとぎ話の少女よ

 魔法を使う妖精の遊びをするのが好き

 私の女王になりたい人かのように


Sinhá mocinha
Com seu brinco e seu colar de água-marinha
Gosta de me olhar da casa vizinha
Como quem me quer na camarinha (amor)
 お嬢様よ

 アクアマリンのイヤリングとネックレスをつけて
 
隣の家の私を見るのが好き
 私を自分の部屋に呼びたいかのように


Será que eu vou subir no altar
Será que irei nos braços dela
Será que vai ser essa donzela
A musa desse trovador
 私は教会の祭壇に登れるだろうか

 私は彼女の腕の中にいられるだろうか

 この少女は
この吟遊詩人の女神に
 なってくれるだろうか

Ó prenda minha
Ó meu amor
Se torne a minha senhorinha

 愛する人よ

 私の愛よ

 私と結婚してください

(「Senhorinha」作詞作曲:Guina / Paulo César Pinheiro)

4月28日のその他のトピック
●1928年に、マンゲイラ(Estação Primeira de Mangueira)が設立された日。
●ジャズ歌手のイタマラ・コーラックス(Ithamara Koorax|1965年4月28日)のバースデイ。
●来日回数も多いMPB歌手のアレクシア・ボンテンポ(Alexia Bomtempo|1984年4月28日 - )のバースデイ。
●作曲家で動物学者のパウロ・ヴァンゾリニ(Paulo Vanzolini|1924年月25日 - 2013年4月28日)の命日。
●ピアニストで作曲家のピーターパン(Peterpan|José Fernandes de Paula|1911年1月21日 - 1983年4月28日)の命日。

──

4月27日「Sete Cordas」

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「最近聴いた中で一番のギタリストだね。ギターという楽器の技術的な限界を飛び越えてるんだ。そしてハファエルの音楽は、彼の魂から余すところなくダイレクトに、ハファエルの音楽を愛する僕たちの心に届くんだ」── パコ・デ・ルシア
「やっぱりハファエル・ハベーロは最も偉大なギタリストの1人だ。ギターに秘められた力に対するハファエルの洞察力に肩を並べられるのは、偉大なパコ・デ・ルシアだけだ。ハファエルは私たちの時代では唯一無二のブラジリアン・ギタリストだったと思う。これまでの偉業だけでなく、これからできただろう偉業を考えると、こんなに若くしてこの世を去ったことは、信じられないほどの損失だ」── パット・メセニー

 1995年4月27日、同世代の中で世界最高のギター奏者の1人とも言われていたハファエル・ハベーロ(Raphael Rabello|1962年10月31日 - 1995年4月27日)が、全身性感染症のため呼吸停止となり死去。帰らぬ人となりました。交通事故に遭い多くの手術を受け、その際の輸血でHIVに感染していました。

 音楽一家の生まれ育ったハファエル。最初は兄にギターを教わり、その後は、バーデン・パウエル(Baden Powell)の先生でもあったジャイミ・フロレンシ(Jaime Florence)から指導を受けました。6弦ギターを7弦ギターに持ち替えたのは、ヂーノ・セッチ・コルダス(Dino Sete Cordas)の影響から。
 早くから才能が認められ、10代のころからプロとして活動し、14才でレコーディングに参加し始ました。

「彼には限界がない。テクニック、スピード、良いハーモニーのセンス、完全なアーティストです」── ヂーノ・セッチ・コルダス

 トム・ジョビン(Tom Jobim)、ネイ・マトグロッソ(Ney Matogrosso)、ゼー・ハマーリョ(Zé Ramalho)、ジャキス・モレレンバウム(Jacques Morelenbaum)、パウロ・モウラ(Paulo Moura)、ジョアン・ボスコ(João Bosco)、シコ・ブアルキ(Chico Buarque)、パウリーニョ・ダ・ヴィオラ(Paulinho da Viola)、ガル・コスタ(Gal Costa)、カエターノ・ヴェローゾ(Caetano Veloso)、マリア・ベターニア(Maria Bethânia)、アルセウ・ヴェレンサ(Alceu Valença)らと録音しました。

 1989年に交通事故に遭い、右腕が多発性骨折。勇敢に回復して演奏し続けたましたが、手術の際の輸血でHIVに感染。1995年4月27日に帰らぬ人となりました。

 ハファエルの名演はたくさんありますが、今日は彼の自作曲を紹介したいと思います。作詞家のパウロ・セーザル・ピニェイロ(Paulo César Pineheiro)と共作した「Sete cordas 」です。ハファエルの作ったワルツのメロディーをパウロ・セーザル・ピニェイロが持ち帰り、歌詞をつけてきたそうです。

 パウロがハファエルになりきって、ハファエルとギターの関係を書いたような歌詞です。TV番組「Ensaio」のコンサートで、自作曲としてはこの曲を唯一演奏しており、ハファエルのお気に入りでもあったのだと思います。同番組内でこの曲を歌ったのは、姉のアメリア・ハベーロ(Amélia Rabello)でした。

Nada me fará sofrer
Pois trago junto ao coração
O bojo do meu violão cantando
Nada me dá mais prazer
Nem mesmo uma grande paixão
Que o som das sete cordas
Do meu violão tocando
 ギターのボディーが歌うのを
 いつも心で感じられるので
 何事も私を苦しめられないだろう
 私の7弦ギターの音の響きよりも
 私の大きな喜びとなる
 どんな大きな感情というものも
 存在しないのだ

E eu me vejo a obedecer
Eu nem sei bem porquê
E sinto uma transformação
E os acordes nascem sem querer
Sem querer desponta uma canção
 そして、なぜだか知らないけど
 私はなすがままになってしまう
 私は変化を感じる
 自然とコードが生まれる
 思わず歌が生まれる
 
E eu sinto o coração nos dedos
Passeando em calma
Afugentando os medos
Que residem n'alma
E deixo-me envolver
Pelo braço do meu violão
 私は心に宿る恐怖を
 追い払うために
 私は指に私の心を感じる
 指が落ち着いて進んでいくのを感じる
 そして私は、ギターの腕に
 包み込まれる

E o peito meu
Fibra por fibra
Apaixonado vibra
Com prima e bordão
E é aí que eu
Sinto a mão de Deus
Na minha mão.
 私の胸は
 繊維細胞まで
 低音と高音の
 振動に夢中になる
 そして、私はそこに
 神の手を感じる
 私の手の中に

Eu me ponho a dedilhar
Com emoção e fervor
As velhas melodias
Cheias de harmonias novas
 感動と熱気で
 私はギターを鳴らす
 古いメロディーが
 新しいハーモニーに満ちる

E nesse instante então
Eu sou um sonhador
Acompanhante das canções de amor
Chego a cantar sem perceber
Alguns versos e trovas
 そしてその瞬間
 私は夢想家だ
 愛の歌に寄り添い
 私は気づかないうちに歌うようになる
 詩や歌を

E aí começo a ver
Que eu nunca fui sozinho
Meu violão me acompanhou
Por todo o meu caminho
 そして、私は決して一人ではなかったことに
 気付く
 私の人生の全てで
 私のギターは私に寄り添っていた

E isso eu quero agradecer
Fazendo uma canção
Falando de você,
Amigo violão,
Que comigo estará
Até eu morrer.
 そのお礼に
 あなたのことを歌った曲を
 作ります
 ギターよ、友よ、
 私が死ぬまで
 一緒にいてくれる友なるギターよ

(「Sete Cordas」作詞作曲:Raphael Rabello / Paulo Céasr Pinheiro)


4月27日のその他のトピック
●エッヂのきいた活動を続ける歌手のルイーザ・マイタ(Luísa Maita|1982年4月27日 - )のバースデイ。
●政治家を父に持つ歌手としてニューウェイヴ・スタイルでデビューし、「Mintchura」が大ヒットした歌手のネウジーニャ・ブリゾーラ(Neusinha Brizola|1954年11月20日 - 2011年4月27日)の命日。肝炎による肺合併症のため56歳で死去。
●南アフリカ共和国の自由の日。1994年のこの日に行われたアパルトヘイト後最初の選挙を記念。

──

4月26日「A Flor E O Espinho」

画像1

 2006年4月26日、サンバ界に多くの名曲を残した作詞家、ギリェルミ・ヂ・ブリート(Guilherme de Brito)が、他界しました。昏睡状態に陥り、リオの病院で26日間闘病していました。
 ギリェルミ・ヂ・ブリートは、ネルソン・カヴァキーニョ(Nelson Cavaquinho)のパートナーとしても知られ、彼の作品の大半の作詞はギリェルミ・ヂ・ブリートのペンによるものでした。
 また画家としても活躍していた彼は日本でも展示会を開いたことがありました。
 パウリーニョ・ダ・ヴィオラ、ベッチ・カルヴァーリョ、ゼカ・パゴヂーニョといったサンバ界の第一線で活躍するアーティストたちは、ギリェルミに対する尊敬の念を表明し続けていました。
 今日は、ネルソン・カヴァキーニョとギリェルミ・ヂ・ブリートの共作曲の中から、ギリェルミの歌詞が、ブラジル詩の歴史に残る名文ともされる「A Flor E O Espinho(花と棘)」の物語を紹介します。

──

 1965年のエリゼッチ・カルドーゾ(Elizeth Cardoso)のアルバム『Elizeth sobe o morro(エリゼッチ、モーホを登る)』でヒットしたサンバ「A Flor E O Espinho」は、今ではもう忘れ去られた歌手のハウル・モレーノ(Raul Moreno)によって、その8年前に録音されていましたが、その時は「A Flor E O Espinho」は大衆に“発見”されませんでした。

 エリゼッチ・カルドーゾの声で、サンバのクラシックの1つとなった「A Flor E O Espinho」は、ネルソン・カヴァキーニョとギリェルミ・ヂ・ブリートという名コンビの共作曲であり、この曲では、アルシデス・カミーニャ(Alcides Caminha)も作詞を手伝っています。

 この頃、すでに50代になっていたネルソン・カバキーニョは、無名のサンバ界の重鎮ではなくなって、世間からも認められるようになっていました。サンバの作曲家(1930年代から作曲していました)としてだけでなく、非常に独創的なギタを弾く、ハスキーな声のシンガーとしても活躍していました。
 
 カルトーラ(Cartola)とドナ・ジッカ(Dona Zica)がリオのセントロで、1963年から1965年まで営んだ「Zicartola」は、レストランとサンバハウスが一体となった場所でしたが、ネルソンのライヴは「Zicartola」に欠かせないものでした。しかし、それだけでなく、ナラ・レオン(Nara Leão)、 エリス・レジーナ(Elis Regina) 、ベッチ・カルヴァーリョ(Beth Carvalho)らにもネルソンの曲が録音されていました。

 ネルソン・カヴァキーニョという芸名ながら、ネルソン・カヴァキーニョは若い頃にカヴァキーニョをギターに持ち替えていました。独学で学んだ彼は、親指と人差し指だけでギターの弦を勢いよく弾く、独特の素朴なスタイルを確立しました。

 ギターを抱えて酒場を転々とする典型的なボヘミアンのサンビスタが、軍警察の兵士だったとは想像もできません。1930年代、軍隊に所属していた彼は、軍警察とサンバの間を行き来しながら、マンゲイラの丘の地域で活動し、カルトーラやカルロス・カシャッサ(Carlos Cachaça)らのサンバの名人たちと親交を深めていき、ノエル・ローザ(Noel Rosa)の目に留まりました。軍警察を止め、1940年代、1950年代は、当時は珍しいことではありませんでしたが、サンバを作曲家や歌手に“売って”生活していました。

 ネルソンには20名を超える共作パートナーがいましたが、1950年代初頭にギリェルミ・ヂ・ブリートに出会ったのが決定的でした。
 ネルソンとギリェルミのコンビは、「A Flor E O Espinho」の他にも「Folhas secas」「Quando eu me chamado saudade」「Pranto de poeta」などの名曲を残しています。
 ある日の深夜、チラデンチス広場(Praça Tiradentes)でのパーティーの後、ギリェルミは「A Flor E O Espinho」の冒頭部分のアイデアを思いつき、後にブラジル音楽史に残る名曲となりました。

 "Tire o seu sorriso do caminho / que eu quero passar com a minha dor."
 「中途半端なあなたの笑顔を止めてください / 私は私の痛みを受け止めて去りたいから」

 翌日、ギリェルミは、ネルソンにこの苦悩の歌詞を見せました。歌詞を完成させたのは、労働省に務める公務員のアルシデス・カミーニャでした。アルシデスは、カルロス・ゼフィロ(Carlos Zéfiro)というペンネームで、30年間エロティックな漫画を書き続けて、人気を集めていた人物でもありました。マリーザ・モンチの名盤『Barulhinho Bom』のジャケットも、カルロス・ゼフィロの作品です。

スクリーンショット 2021-04-26 8.55.16

Tire o seu sorriso do caminho
Que eu quero passar com a minha dor
Hoje pra você eu sou espinho
Espinho não machuca a flor.
 中途半端なあなたの笑顔を止めてください
 私は私の痛みを受け止めて去りたいから
 今、私はあなたにとって棘
 棘は花を傷つけてはならない

Eu só errei quando juntei minha alma à sua
O sol não pode viver perto da lua.
 あなたと心を1つにしたのは私の間違いでした
 太陽は月の近くでは生きられないのに 

...

É no espelho que eu vejo a minha mágoa
A minha dor e os meus olhos rasos da água
E eu na sua vida já fui uma flor
Hoje sou espinho em seu amor
 鏡は私の苦悩を映し出します
 私の痛みと涙を湛える私の目
 かつて私はあなたの人生の花でした
 今、私はあなたの愛の中の棘なのです

(「A Flor E O Espinho」作詞作曲:Nelson Cavaquinho / Guilherme de Brito / Alcides Caminha)

4月26日のその他のトピック
●サンバの作曲家、ジャイール・ド・カヴァキーニョ(Jair do Cavaquinho|1922年4月26日 - 2006年4月6日)の生まれた日。
●ギタリストで作曲家のマウリシオ・カヒーリョ(Maurício Carrilho|1957年4月26日 - )のバースデイ。
●サンバ歌手のジョアン・ノゲイラ(João Nogueira)の息子で、やはり現代ブラジル音楽界を牽引するサンバ歌手のヂオゴ・ノゲイラ(Diogo Nogueira|1981年4月26日 - )のバースデイ。


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