[2023.6]【連載タンゴ界隈そぞろ歩き ④】 タンゴとエレキギター その1
文●吉村 俊司 Texto por Shunji Yoshimura
前回ギタロンに焦点を当てつつタンゴにおけるギターやギターアンサンブルの界隈を歩き回ってみたのに続き、今回はタンゴとエレキギターの界隈へと足を伸ばしてみたい。実はこの話は日本タンゴ・アカデミー機関誌「タンゲアンド・エン・ハポン」44号 (2018年9月) にも書いたことがあるのだが、改めて書き進めるとどうやら1回の記事では収まりきらない様相となってきた。そこで今回は、タンゴにエレキギターが導入された初期の頃にフォーカスしてみようと思う。キーになるのは2人の巨匠、アストル・ピアソラとオラシオ・サルガンである。
タンゴ最初のエレキギター
タンゴにエレキギターを最初に導入したのはアストル・ピアソラである。1955年にパリへの留学から帰国して結成した《オクテート・ブエノスアイレス》は、タンゴの標準的なセステート、すなわちバンドネオン×2、バイオリン×2、ピアノ、コントラバスの六重奏に、チェロとエレキギターを加えた編成であった。パリでナディア・ブーランジェから学んだ作曲技法と同地で触れたジェリー・マリガン等のジャズの響きを取り入れたこのグループは、アンサンブルとソロの両面で革新的なアプローチによるタンゴを演奏した。中でもセンセーショナルだったのがエレキギターの加入で、当時まだ20代半ばのジャズギタリスト、オラシオ・マルビチーノがその任を担った。グループ結成時にピアソラはジャズの即興ができるギタリストを探していて、当時アルゼンチンにおけるモダンジャズ黎明期のミュージシャンの一人であったマルビチーノを見出しスカウトしたのだ。他のメンバーは、バンドネオンがピアソラとロベルト・パンセラ (すぐにレオポルド・フェデリコに交代)、バイオリンがエンリケ・フランチーニとウーゴ・バラリス、チェロがホセ・ブラガート、ピアノがアティリオ・スタンポーネ、コントラバスがアルド・ニコリーニ (ハムレット・グレコに交代の後フアン・バサージョにさらに交代)。当時の最高峰のミュージシャンたちである。
≪オクテート・ブエノスアイレス≫でのマルビチーノによるエレキギターは、どの曲でもかなり前面にフィーチャーされている。タンゴにおけるギターがそれまで担ってきた役割 (前回の「ギタロンってどんな楽器」でも言及) のうちコードでリズムを刻む要素についてはほぼ皆無であり、ジャズ的なフレーズを弾きまくっているのである。ピアソラが即興ができる人材としてマルビチーノを加えた以上、その多くが即興であったと考えられる。他の楽器が基本的に譜面に基づいて演奏していたのに対し、特権的な位置づけと言って差し支えないだろう。ピアソラがエレキギターに求めたのはアコースティックギターとは全く異なる役割であり、ジャズの自由さ、当時の先端の響きだったのだと思う。今の感覚で聴くと取り立ててトリッキーな音使いをしているわけではないものの、エレキギターの存在自体が当時の感覚では信じがたいものであり、タンゴを破壊するものとして一部からは強烈な非難を浴びた。
下の記事のインタビューではそのあたりの経緯も語られている。
下の音源は5~10が同グループの最初のアルバム『タンゴ・プログレシーボ』(1956年録音) から、11~20が2枚目のアルバム『タンゴ・モデルノ』(1957年録音) から。詳細は斎藤充正さんの[2020.10]【ピアソラ再び~生誕100年に向けて】「超」実用的ピアソラ・アルバム・ガイド on Spotify Part 2 も参照されたい。
サルガン=デ・リオのエレキギター
ピアソラの≪オクテート・ブエノスアイレス≫に続くタンゴへのエレキギターの導入は、ピアニストのオラシオ・サルガンとギタリストのウバルド・デ・リオによってなされた。二人は1957年からデュオでクラブ等に出演し、1959年にエンリケ・フランチーニ (バイオリン)、ペドロ・ラウレンス (バンドネオン)、ラファエル・フェロ (コントラバス、後にキチョ・ディアスに交代) を加えた五重奏≪キンテート・レアル≫へと発展した。下の音源は1960年の最初のアルバム。
ウバルド・デ・リオはフォルクローレ、タンゴ、ジャズ、ブラジル音楽など幅広いジャンルで活躍してきたギタリスト。サルガンとの演奏でエレキギターを使っているデ・リオだが、そのスタイルは≪オクテート・ブエノスアイレス≫でのマルビチーノとは対照的である。すなわち、右手はピックではなく指の爪を使い、リズミカルにコードを刻んだりフレーズを弾いたりしている。アコースティックギター、クラシックギターで使われる奏法であり、伝統的なタンゴギターの延長線上にあるスタイルとも考えられる。
サルガンとデ・リオがエレキギターを使うことにした理由のもっとも大きなものは、音量バランスの問題だったのではないか。ピアノや他の楽器とのアンサンブルではアコースティックギターは音量的にかなり不利だが、アンプを使うエレキギターならその問題を克服できる。実際、音響技術や楽器そのものが進歩した2000年頃の≪ヌエボ・キンテート・レアル≫において、デ・リオが使っていたのはエレキギターではなくエレクトリック・アコースティックギター (ピックアップを内蔵したアコースティックギター) であった。サルガンとデ・リオにとって必要だったのはあくまで「ギター」であり、エレキであることはギターを取り込む上での課題を克服するための手段だったのではないかと推測することができる。
とはいえ上の2つのアルバムを聴き比べると、サルガンが創り出す音楽にエレキギターの響きがよくマッチしていた、という印象も大きい。特に「ウンパ」と呼ばれるサルガンの独特のリズムは、デ・リオのエレキギターの響きによってこれだけ印象的なものになったようにも思われる。
また、サルガンとデ・リオのデュオでは、デ・リオの担う役割はさらに大きくなる。サルガンはその編曲において、≪キンテート・レアル≫やオルケスタから基本的な要素はほとんど変えることなく2台の楽器に集約している。指弾きでメロディとハーモニーの両方を担えるデ・リオのようなギタリストだからこそ実現できるスタイルなのだ。
再びピアソラのエレキギター
≪キンテート・レアル≫の結成の翌年の1960年、アストル・ピアソラも全く同じ楽器編成の五重奏団を結成する。以後1988年まで、ピアソラの音楽活動の最もベーシックなフォーマットとなるのがこの五重奏団であった。ギタリストは≪オクテート・ブエノスアイレス≫と同じオラシオ・マルビチーノで、その後すぐオスカル・ロペス・ルイスに交代している。
五重奏団の中でのギターの扱いは≪オクテート・ブエノスアイレス≫とはなり異なるものだった。即興によるソロは影を潜め、他の楽器 (主にピアノ) とのユニゾンや三度のハーモニーで主旋律を弾いたり、ピアノの左手やコントラバスとやはりユニゾンや三度のフレーズを弾いて中音域に厚みを持たせるような使われ方が多くなる。例えば下の1961年のアルバム『ピアソラか否か』1曲目の「プレパレンセ」などは典型例 (ギターはロペス・ルイス)。一見地味ながら、ピアソラ五重奏団の音色を特徴づける非常に大きな要素となっている。
1963年の≪ヌエボ・オクテート≫ (新八重奏団) においてもエレキギターの扱いは同様。同グループ唯一のアルバム『タンゴ・コンテンポラネオ』では多くの曲で全く地味ながら絶対的に重要な役割を果たすエレキギターを聴くことができる。3曲目「英雄たちと墓への序奏」におけるピアノの左手の三度上のフレーズなど、この曲のダークな魅力を何倍にも高めている。
ちなみにこのようなパートをアコースティックギターで弾くと、かなり印象は違ったものになったであろう。音色そのものの違いに加えて、エレキギターはアコースティックギターよりもアタックは弱めで音の持続が長いため、他の楽器とのユニゾンやハーモニーを形成する単音フレーズが効果的に響くのだ。
その後もピアソラは、五重奏団はもちろんそれ以外の編成でも、一貫してエレキギターを使い続けた。時代に応じて、またミュージシャンに応じてそのスタイルには変化が見られるが、いずれも「エレキ」ギターであることに意味があるような使い方である。楽器の特性を熟知し、自分の音楽に必要不可欠な要素としてエレキギターをとらえていたのがピアソラなのだと思う。
1960年代半ば以降のピアソラのエレキギターの使い方、そして他のタンゴ・ミュージシャンとエレキギターの関係については次回掘り下げる。
(ラティーナ2023年6月)
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