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[2020.10]タンゴの父 ビジョルドに捧げる新作 Sciammarella Tango 『A Villoldo』(無料記事)

文●宇戸裕紀

Text by Hironori Uto

 タンゴ界では異質な存在かもしれない。メンバーの国籍は5つ。日本からはピアノの大長志野を始め、バンドネオンのハネル・イェオン(韓国)、バイオリンのマリアナ・アタマス(ウクライナ)、バンドネオン&指揮シンディ・アルチャ(チリ)、歌手デニス・シアマレーラ、バイオリンのセシリア・フロレンシア・ガルシア、ベースのジェラルデーナ・カルニシーナ(アルゼンチン)。しかもメンバー全員が女性。

 ファーストアルバム『シアマレーラ・タンゴ』ではタンゴ黄金期の作曲家でピアニストのロドルフォ・シアマレーラの作品にアプローチを試みた(ロドルフォとは直接の血縁関係はないが同じイタリア系移民)かと思えば、セカンドアルバム『タンゴス・フランコ・アルヘンティーノス』ではフランスに撒かれたタンゴの種を編纂するなど誰も思いつきもしないテーマを俎上に載せてくる。各アルバムの構想を練って研究を重ね、アルバムとして形に残してきたデニス・シアマレーラは物理学博士としてフランスで勤務した経験もあるそうで、忘れ去られようとしているタンゴの歴史へ目を向けて研究しようとする視座は研究者としての一面が生み出した賜物だろう。その才女デニスに話しをきいた。

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–この作品だけでなく他のアルバムもテーマが明確で、タンゴのルーツを様々な視点から見つめようとされています。これらのプロジェクトはどうやって生まれてきましたか?

デニス・シアマレーラ 求める軸というものは毎回異なります。オルケスタのファーストアルバムは同じ苗字と家系でもあるロドルフォ・シアマレーラのタンゴへ回帰するという個人的動機からでした。2枚目は私がパリに住んでいた経験の中で得たいくつかの記録を元にフランスとアルゼンチンをタンゴで結ぶというものでした。今回の3枚目はさらに時間を遡り、タンゴの異文化的起源がはっきりとわかるタンゴの父、アンヘル・ビジョルドの作品を扱うというものです。

–オルケスタは7人の女性で構成されていて、現状を強く反映していると思います。知る限り女性だけの楽団はこれまでになく、大きな意義を持つと思います。このセレクションというのは偶然ではないと思いますが、どのような基準を元に選ばれましたか?

デニス・シアマレーラ 女性だけのオルケスタは「オルケスタ・デ・ラス・セニョリータス」の歴史を遡ることになりますが、まとまった資料が比較的少なく、研究者がテーマとして扱ってくれれば面白いと思います。我々は最初のグループでも唯一のグループでもないですが、確実なのは意図もなくメンバーが女性だけになった唯一のグループでしょうね。このグループは女性のアーティストだけを探して集めたことはありません。演奏時の美的感性が近いこと、お互いへの信頼感と尊重できることが大きく作用しています。最初のリハで気が付いたのが演奏者が全員女性であることとコスモポリタン性です。その2つの要素が私たちのアイデンティティであり、長く続けていくことが重要だと思っています。

−また、おっしゃる通りこのオルケスタの持つ多国籍性も他の楽団にはないオリジナリティのひとつです。タンゴはラ・プラタ河周辺で生まれましたが世界中でタンゴはポピュラーになり、タンゴ愛好家や演奏家は多くいます。このオルケスタはその縮図でもあると思うのですが、タンゴがこれほど広まったということを誇りに思うこともありますか?

デニス・シアマレーラ タンゴが生まれたのは地理的にはラ・プラタ河なのは確かですが歴史上、この土地で多くの国籍が混じり合った時期がありました。一見するとこの地理的に狭い場所でタンゴが現れましたが、移民がやってきた国々を考慮すると実際には非常に広大な場所の音楽が混ざり合ったのです。タンゴの誕生に際してキーとなったのがその音楽的多様性です。『タンゴ・ノマデ(放浪タンゴ)』という名著があって、細川周平がなぜタンゴが日本で爆発的人気を得たのか問う場面があります。ラモン・ペリンスキーによれば重要な要素がバンドネオンで、その音が笙(しょう)と類似しているのです。楽団のピアニスト、大長志野と笙を入れたタンゴをレパートリーに加えてみようかという話もしています。

 「ラ・モローチャ」のフランスバージョン「ミミ・ボエーム(1909年)」にダラブッカを入れたこともあります。オリジナル譜面はスペイン人のマヌエル・サラブロが音楽的に関わったこともあり、アラブ音楽の影響を受けていると楽団のチリ人バンドネオン奏者シンディ・アルチャ・アブアドバが指摘しました。タンゴには文化超越性がある、だからこそこの楽団の異国性を誇りに思っています。

– このアルバムを開いて聴いてみるまで知らなかったことがたくさんありました。例えば「エル・チョクロ」にはフランス語の歌詞があったこと。聴いていくうちに新たな発見ができるという新しい聴き方にもなって面白いと思います。なぜつけられたのかはわかりましたか?

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デニス・シアマレーラ 「エル・チョクロ」のフランス語バージョンはセカンドアルバム『タンゴス・フランコ・アルヘンティーノス』の制作中に発見しました。譜面はフランス国立図書館 (BNF)のアーカイブの中で見つけました。歌詞はレオンス・パコが1912年につけたものです。最初の数個のフレーズはリズム的にかみあわないということもあり、このアルバムには入れませんでした。3枚目に1905年作曲の「エル・チョクロ」の作者に捧げるアルバムを作るにあたりこの未知のバージョンを入れる必然性を感じました。リズムの問題は最初のフレーズを語りに変えて解決し、フランス国立図書館に登録されている形を踏襲しました。作詞家の名前はGaston Coulllerez (1886-1924)で、即興曲のスペシャリストとしてモンマルトルのキャバレーで風刺文を披露していたようです。ビジョルドのメロディーは当時すでにフランスでも有名になっていて1911年にはパンフレットに3人の踊り子とともに記載もされています。レオンス・パコが加筆する歌詞をもとにシアマレーラ・オルケスタのジャケットを作成することになり、出産間近の女性が時代の慣習に逆らってミロンガへ踊りにいき、ミロンゲーロスたちのひんしゅくを買うという場面を描いています。フランス語での歌詞は現在わたしたちが知っているフアン・カルロス・マランビオ・カタンとエンリケ・サントス・ディセポロ合作が1947年につけたスペイン語での歌詞の何年も前にできていたということは注目に値します。”Este tango burlón y compadrito”で始まる歌詞はスペイン語より前にフランス語で歌われていたのです。

–ビジョルドの名は「エル・チョクロ」の作曲家として、ほとんどのタンゴファンが知っていますが他に何を具体的にしたのかあまり知られていません。この制作過程で新しく知ったことがあれば教えてください。

デニス・シアマレーラ ビジョルドに関してこのアルバムを作るまで知らなかったことが多くありました。「エル・チョクロ」と「ラ・モローチャ」という最も有名曲にフランス語バージョンがあること。広告用にタンゴを作曲していたこと。多くの曲に男性バージョンと女性バージョンがあること。つまり「El porteñito」があれば 「La porteñita」もあり、「La caprichosa」があれば「El caprichoso」もある。またビジョルドは独立する女性の熱心な支援家でもあったし、「ウナ・フィハ」、「ジュンタ・ブラーバ」という器楽曲も作曲していました。つまりこのCDは驚きの連続で、タンゴの創立者の忘れられた分野を再発見することができました。

–ジャケットに描かれているカリサイとは?

デニス・シアマレーラ カリサイはビジョルドが1916年に作ったインストゥルメンタル曲で、食前酒ラゴリオ、エスパラシュ、シア各氏に捧げられています。

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 この酒の存在はロドルフォ・シアマレーラとアルトゥーロ・ロドリゲス・ブスタマンテ作曲の「ゴルディンフロン」で知っていて、ファーストアルバムで録音して忘却の縁にいた曲を救い出しました。ビジョルドがカリサイに捧げた曲があるというのを知ってレパートリーに加えようと決めました。ですが歌詞がなく、なにかが足りなかった。カリサイのCMは面白く、サプライズでばっかり(アルコール飲料なのにこどもにも推奨していた!)だったのでCMをもとに歌詞を書き、もう存在しない飲料を宣伝する想像上の人物を作り上げました。

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–このパンデミック下で演奏は?発表ライブはできましたか?

デニス・シアマレーラ このパンデミックでオルケスタは世界中に散らばってしまいました。ハネル・イェオンは韓国に家族といて、ウクライナのマリアナ・アタマスはタスマニアに滞在しています。他のメンバーはブエノスアイレス市内のビジャ・クレスポ、アルマグロ、パレルモ、ビジャ・オルトゥサル、サン・テルモ各地区に散らばっています。距離はあるものの、画家ベニト・キンケラ・マルティンの最後の勇姿を描いたオリジナル曲のミロンガーカンドンベを6月27日にベニト・キンケラ・マルティン美術館で行われたオンラインイベントで録音することができました。

 このCD『A Villoldo』のリリースはペンディングになっていますがビデオクリップは撮影済みなので作成を依頼したカリサイ人形とともにリリースライヴができる日が戻ってくるのを待っています。タンゴはミロンガやコンサート、観光業の停止によって難しい状況にあります。この状況を打破しようとヴァーチャル・ミロンガや配信ライヴ、楽団やダンサーの存続のための基金を募るなど多くのイニシアティブがあります。

–次のプロジェクトが決まっていれば教えてください。

デニス・シアマレーラ 4枚目のアルバムとなる『キンケーラ・ポル・シアマレーラ』プロジェクトにとりかかっています。現代の作曲家が画家ベニト・キンケラ・マルティンに捧げたタンゴとフォルクローレ曲集です。ラ・ボカのブエルタ・デ・ロチャに位置するキンケラ・マルティン宅のミュージアムにはこの作品が収められているファイルが存在し、その多くは演奏されたことがありません。ビクトル・フェルナンデス館長はオルケスタを信頼し、素材を楽団の解釈に従って演奏することを許可してくれました。収録予定のミロンガ−カンドンベ曲「ビエン・アルヘンティーノス」はブエノスアイレス市が誇る名誉市民である人物に捧げる予定です。彼の画家として功績はもちろん、彼の芸術が社会に与えた功績、「カミニート」を代表とする都市開発への影響も加えて敬意を持っています。

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(ラティーナ 2020年10月)

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