[2021.02]【TOKIKOの 地球曼荼羅⑦】フィリピンのスラムから生まれた歌 ─フレディー・アギラとの出会い─
文●加藤登紀子
1978年9月、私は「アナック ─ 息子」をシングルリリースしました。
「母の胸に抱かれて お前は生まれた よろこびの朝を運んで
寝顔を見つめるだけで 嬉しさが溢れる 父はお前の明日を祈った」(加藤登紀子訳詞)
この歌は、フィリピンのフレディー・アギラが作詞作曲した歌で、フィリピンのタガログ語で作詞されたはじめての大ヒット曲と言われています。
当時のマルコス政権のもと、マルコス夫人の主催したコンクールで優勝を逃し2位だったけど、人気が出たというのです。
この歌は、生まれた子供が大きくなって親に反抗し、家を出ていき、どこで荒んだ暮らしをしてるのか、と心配する母の気持ちを歌っていて、当時の世相をまっすぐに捉えた歌だったのです。
フレディーはマニラのトンドというスラムから出たヒーローとなり、その人気は、アジア全体にまで広がり、国際的なスターになりました。
私にこの歌を教えてくれたのは、実は見知らぬサラリーマン。
突然、マニラ出張の時に買って来たレコードを持って私の自宅を訪ねて来たのです。
今になって名前くらい聞いておけばよかった、と思うけど、どこの誰だかわからない!
私は早速レコードを聞きました。「うーん、なかなかいいねえ」と思ったけど、歌詞の意味さえわからない。
もったいないけど、しょうがないかな、と思っていたら、ある音楽出版社からおすすめの海外音源として、同じものが送られて来たのです。
歌詞の意味が分かり、そのアジアでの大きな反響も知り、即、レコーディングすることに決めました。
音楽出版社は同じ提案を杉田二郎さんにもしていて、同時に進行し、競作発売で反響を呼ぼうという作戦になります。
杉田さんはなかにし礼さんの訳詞でレコーディング、私は私の歌詞で歌うことになり、私の事務所も大張り切りで、発売前にマニラでフレディー・アギラと会い、新聞雑誌の記者も同行しての取材大作戦のプランを立てました。
結果的には、そのために私のレコード発売が遅れ、杉田さんに発売後の売り上げでは差をつけられてしまった、ということになったけれど、それでも、この曲の反響は大きく、杉田さんバージョンも、私バージョンもベストテン入りすることもあったくらいでした。
この曲は同じ1978年10月にアルバム『愛する人へ』にも収録されています。
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