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【松田美緒の航海記 ⎯ 1枚のアルバムができるまで③】 Asas ⎯ 失意の果ての空へ ⎯

(photo by Eduardo Torres)

⎯ ◼️お知らせ 松田美緒の最新作『La Selva』がLP化されます! ◼️ ⎯

『La Selva』 12inch LP is set to release on April 23.2022 for RECORD STORE DAY JAPAN


南米のレジェンド、ウーゴ・ファトルーソと海を越えて制作したアルバム『La Selva』がアナログ化決定!世界同時開催のレコードの祭典の日RECORD STORE DAYの限定盤としてリリース。 以下のリスト掲載のレコードストアもしくはアーティストのライブイベント等にて、4/23 0:00より購入可能です。
https://recordstoreday.jp/store_list/

Asas
失意の果ての空へ

文●松田美緒

松田美緒『ASAS 』(2007年)(photo by Eduardo Torres)

 私は大都会にはことごとく向かない人間らしい。特にデビュー当時、いろいろな問題を抱えながら東京で暮らした後、心を病んで、諦めて一度京都に帰ることにした。心の中は人間不信やら自己不信やらに陥っていて、心配した家族がブラジルに送り出してくれた。
 当時ブラジルに行けば水を得た魚のように野生が蘇っていたのが、なかなか心の雲は晴れず、バイーアの内陸シャパーダ・ヂアマンチーナに行って、ひたすら大自然を歩くことにした。ガイド付きで計24キロだけだけど、その時に包まれた大気の美しさ、水の清らかさ、太陽に灼かれた岩の温かさ、マンダカルというサボテンの生命力、その地に伝わる奴隷やガリンペイロ(鉱物発掘者)の話に心動かされた。そして、水辺で、ああ、胸にヒルのように吸い付いていたのは自分自身で、地球半周しても自分からは逃げられないんだなあ、と呑気な答えを得た。

シャパーダ・ヂアマンチーナ(Chapada Diamantina)

 それからだいぶ楽になって、リオに帰ってから前作の『ピタンガ!』でノルデスチのギター全般を弾いてくれたジョアン・リラと話すうちに、自分でアルバムを作ってみようかと思いついた。ジョアンはクリストーヴァン・バストスとデュオで活動していて、それが本当に豊かで素晴らしい音楽だったので、幸運なことに二人と一緒にアルバム計画が始まった。当時オーマガトキにいて今はコアポートをされている高木洋司さんに連絡を取ったら二つ返事で作ろうということに。

 内容はというと、叙情的なもの、自分がその頃相当センチメンタルになっていたこともあって、感情を吐露できるようなボッサノヴァ以前のカンサォン集になっていった。ブラジルのリズムや表情と合うような日本の歌も入れたくて、黒澤明監督の『生きる』で忘れられなかった「ゴンドラの唄」を海の波のようなマラカトゥにアレンジしてもらった。そして、出発直前にお友達のギタリスト大萩康司さんから勧めてもらった、鈴木大介さん編曲の武満徹の曲集を聴きながら、「小さな空」「めぐりあい」は大好きだし普遍的で、ブラジルの洗練と合わせたらきっと美しいと思った。イパネマの海辺で浮かんだ歌詞「Asas」には、クリストーヴァンがメロディをつけてくれた。彼とは「Todo o Sentimento(想いをあつめて)」をデュオで歌えた幸運も。サンバ・カンサォンの「Nunca」 やノエル・ホーザの「Feitio de Oracao(祈りのかたち)」はまさに叙情の時代の歌。ヴィラ・ロボスは今回、ダイナミックなバイーアの内陸を旅した記憶と宇宙へ広がっていくような世界観に「Trenzinho do Caipira(田舎の列車)」を選んだ。友人が教えてくれた初めのゴンザギーニャの曲「Semente do Amanhã(明日の種子)」と、それを間に挿入するアイデアはクリストーヴァンが思いついてくれて、もうこの2曲が別々になるのは考えられないくらい融合してしまった。ファドの「Foi Deus」を入れたのは、前2作でも書いたアンゴラのヴァルデマール・バストスが普遍的な祈りの歌として歌っていたから。

(photo by Eduardo Torres)

 録音の日取りは決まったが、その前に私には行くところがあった。未知の場所で何かに挑戦したいと思って、リリアーナ・エレーロのヴォーカルの先生に声楽を習いに、1ヶ月ブエノスアイレスへ行くことになっていたのだ。行って、後悔した。常夏のリオから着いたみたら、何十年かに一度にブエノスに雪が降った日で、恐ろしく寒い。しかも私の借りた部屋の暖房が壊れていて、すぐに風邪で寝込んでしまった。そこにリオから歌手の友達が遊びに来て、リリアナのバンドメンバーと恋に落ち、私の小さな部屋で3人で過ごすようになり、一人の時間がなくなって軽いノイローゼになった。まあそれはさておき、ブエノスの真っ平らでブラジルに比べて冷たいマッチョな土地柄にあまり馴染めなかった。もちろんいいこともあった。ジャズフェスで初めてウーゴ・ファトルーソを見て、絶対に彼と一緒に歌いたいという目標ができたし、素晴らしい写真家のエドゥアルド・トッレスが撮影セッションをしてくれて、それが本作に使われることになったし、アルゼンチンのフォルクローレの深い世界を少し知れたし、音楽のお友達もできたし。

 さて、週何回かバスで通った先生の家で、ベルカントを習いながら高音は出るようになった。けれど、それまでのいろんな土地で見よう見まねで学んだ自分の歌い方が全くダメだったんじゃないかと思うようになった。ベルカント発声で歌うタンゴもあまり好きになれず、地声とベルカントをうまく自分のものにできないものか悩んだ。
 リオに帰って、「歌えなくなった」私を見てジョアンもびっくりして、それでも録音は始まるし、どうしよう、やるしかないと自分なりに準備して挑んだ。そして、巨匠二人の音楽の作り方を間近で見ながら、できる限り歌った。前作を聴いてジョアンが日本のミックスの声のリバーブが多いのに驚いて(ブラジルは家が響くからほぼデッドでOKだけど、日本の木造家屋は響かないので基本的に深めになる)、ミックスではエフェクトはほぼゼロにされ、マスタリングもコパカバーナでやってしまった。だから本当に声は剥き出しだ。純粋さも悩みも感情のすべても、未熟さも熟しつつある部分も。このアルバムがいいと言ってくれる方はけっこう多くて、それは巨匠二人のサウンドの円熟味と親密さに加え、声が精一杯、心のままだからかもしれない。

ジョアン・リラ(João Lyra)
クリストーヴァン・バストス(Cristóvão Bastos)
(photo by Eduardo Torres)

(ラティーナ2022年3月)


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