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[2022.8] 【連載シコ・ブアルキの作品との出会い㉛】 無念にも先立っていった人への慕情 - 《Pedaço de mim》(私のひとかけら)

文と訳詞●中村 安志 texto e tradução por Yasushi Nakamura

 中村安志氏の好評連載「シコ・ブアルキの作品との出会い」と「アントニオ・カルロス・ジョビンの作品との出会い」とは、基本的に毎週交互に掲載しています。今回は、偉大なシコ・ブアルキとジジ・ポッシが歌って知られた、「Ópera de malandro」の中の佳曲、Pedaço de mim(私のひとかけら)の紹介です。殺された息子を探しながら、自分も..。
 外交官として長くブラジルに滞在した中村氏だから書けるエピソードです。お楽しみ下さい。

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 シコが作った演劇『ならず者のオペラ(Ópera de malandro)』の中で歌われる1曲に、とても物悲しい歌があります。息子が軍政時代に罪もなく捕えられ、帰らぬ人となった、ズズ・アンジェルという実在の女性のことを思い書いた「Angelica」という作品(この連載の27回目の中で、ご紹介しました。)と並び、失われた尊い命への慕情を重く表現する1曲を、劇中に仕込んだものです。穏やかな声が魅力の女性歌手ジジ・ポッシ(Zizi Possi)とシコのデュエットで録音され、多くの人々に親しまれました。

     ↑ジジ・ポッシとのデュエット

 歌の動機となったズズ・アンジェルは、本名をズレイカ・アンジェル・ジョーンズ(Zuleika Angel Jones)といい、ジョーンズは米国人の夫の名字。70年代、ファッション・デザイナー兼ブティック経営者として名を馳せた人物です。

ファッション記事で紹介されるズズ・アンジェル本人の姿

 そのズズの息子スチュアートは、左翼運動に従事していた中、1971年に軍政当局に身柄を拘束され行方不明、そのまま永遠に帰らぬ人となりました。民生化からかなり経過して進められた、連邦政府の真相追求委員会の調査において、2013年、空軍の公文書ファイルの中に、スチュアートが拘束の2日後には殺されたことを示す証拠が見つかりましたが、今日に至るまで、遺体のありかも明らかになっておらず、遺体は海に投棄されたとする証言も一部あるのだそうです。戦争のない平和な中であったはずが、なんといたましいことでしょう。

 シコ・ブアルキは、ズズと親交が厚く、頻繁に顔も合わせていた関係にあります。80年にシコが行ったインタビューによれば、知り合った時点で、彼女は、息子の行方探しに一心となっていたとのことであり、人という人に「何かわからないか」とたずねて回っていたそうです。

 また、息子の件であまり出過ぎると、母親のお前もどうなるかわからないぞといった脅迫めいた声も感じることがあったと伝えています。

 シコは、この悲劇に際し、上述の「Angelica」という歌によって、息子の死と母親のズズの悲しみを悼むメッセージを歌に込めて発信しました。そして、1978年のアルバムの中の1曲には、自作の劇の中に、この「Pedaço de mim(私のひとかけら)」を盛り込んだのです。

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