[1991.8]“世界的名声”を誇るギター・デュオ、セルジオ&オダイル アサド兄弟のステップ
文●ケペル木村
一昨年の春に初めて来日し、日本のギター音楽ファン、ブラジル音楽ファンに圧倒的な技巧と、その背後に見え隠れする豊かなブラジリダーヂを、十二分に満喫させてくれたセルジオとオダイルのアサド兄弟。彼らが2年振り2度目の来日を果たした。
最終日の4月23日、東京はお茶の水のカザルスホールでのコンサートも満員の盛況で、彼らの日本での人気の高まりを充分にうかがわせてくれるものだった。
比較的間接音の多いこのホールのせいもあるだろうが、2人が紡ぎ出す非常に甘美な音色にことごとく魅了されてしまったのは、小生ひとりだけではなかっただろう。
当日のプログラムの中で聴衆の反応が一際大きかったのは、最後に演奏されたパウロ・ベリナッチ(バウ・ブラジルのギタリスト)の作品だった。そしてアンコールでは、前回と同じように1本のギターを2人で弾くという曲芸まがいのワザを披露。客席からは驚嘆の大きなため息ももれていた。
この東京公演の後には、おとなりの韓国でも彼らのコンサートが行なわれたそうである。
── 前回の来日公演から現在までに、どのような活動をしていましたか?
セルジオ・アサド(以下S)ずっとコンサート活動に明け暮れていたんだ。しかもクラシックのコンサートだけでなく、モントルー・ジャズ・フェスティヴァルにも出演してね。我々のレパートリーは中南米の作品が多いものだから、そういうコンサートにも合うらしくて、結構気に入られたね。他にアメリカやスカンジナビア、オーストラリアなど、とにかくコンサート・ツアーが多かったね。
── ブラジルでもようやく2枚のノンサッチ盤がリリースされたそうですが、ブラジルのコンサートではレパートリーは…?
S 中南米の作品のみにしているよ。だってブラジル人はクラシックが好きじゃないだろう(笑)。
── ショーロは演奏しないんですか?
S 友人なんかと家では演奏しているよ。父がバンドリン奏者だったんで子供の頃は良く演奏したけど、今はステージではやらない。というのは、ショーロの持つ「音楽言語」が国際的だとは思わないからさ。ショーロを聴くには特別の耳が必要なんだ。
だから、我々がショーロを演奏する場合は2本のクラシック・ギターのためにきちんと編曲されたものだけを演奏する。もともとショーロはみんなで集まって「さぁやろうぜ!」といって即興で演奏する音楽だから、国際的に通用する形式としてはちょっと弱いと思うんだ。ちょうどアメリカのブルーグラスのようにね。
── それでは、ショーロが今のままの姿で国際的になるとは考えていないということですか…?
S ショーロの歴史を考えてみると、ふたつの段階があったと思うんだ。そのひとつがジャコー・ド・バンドリンの時代で、彼の演奏は良くアレンジされたものだったし、素晴らしかったと思う。だってそれ以前には、まだそれぞれが自分の思いのままに、ちょうどデキシーランド・ジャズのバンドのように演奏していたんだからね。
次に登場したのが、カメラータ・カリオカなんかと一緒に演奏していたハダメス・ジナタリで、彼は初めてショーロを譜面に書き取り発展させた人物だ。ショーロの形式も彼によってずいぶん改善されたと思う。
そして、それをもっと発展させようとしたのが、エルメート・パスコアルやエグベルト・ジスモンチで、彼らの試みもなかなかうまくいったと私は評価しているが、現在は中断しているようだね。
今ブラジルのショーロ界では伝統に戻ろうとする動きがあって、実際にショーロを聴きに行ってもピシンギーニャやジャコー、エルネスト・ナザレーなどの曲しかやらないようだよ。レパートリーも古いし、新しい曲を演奏したくてもそういう曲がないという状態かな……。
── 最近ブラジルの音楽シーンでは何人かのソロ・ギタリストたちが表舞台にも登場してきましたが、マルコ・ペレイラやハファエル・ハベーロ、パウロ・ベリナッチなどについては、どう思いますか?
S マルコは我々にとってはいい友人のひとりで、彼はしばらくヨーロッパに住んでいて、クラシックを演奏していたんだ。私個人の意見では、この3人の中では彼はいちばん才能のあるギタリストだと思っている。
ハファエルもいいギタリストだね。音にパンチがあるし、彼なりの個性をしっかり持っていると思う。
パウロとは10年くらい前からの友人だ。彼は我々に何曲も書いてくれているし、彼の作品を今回の日本公演でも取り上げているよ。彼も素晴らしいギタリストのひとりだね。
── ところで、現在の2人の活動の拠点というのはどこなんですか? 別々の場所に住んでいるそうですが……?
S 私はパリに住んでいる。
(オダイルが遅れて登場)
オダイル・アサド(以下O) 私はベルギーのブリュッセルに住んでいるので、我々2人は「セパレート・ギター・デュオ」と呼ばれている(笑)。それでいつも電話を使って一緒に練習してるんだよ(爆笑)。
── さて、オダイルさんの奥さんがやっているというGHAレーベルのことについてお聞きしたいんですが、これは一体いつからスタートしたんですか?
S 1984年に我々が1枚のアルバム『Sergio & Odair Assad』(GUITARE.GHA-5256001)を吹き込んだんだ。そうしたら、それを見た弟の妻が「レーベルをやりましょうよ」と言って始めたんだ。
── ではあの頃はGHAレーベルと並行してノンサッチにも録音していたんですか?
Sいや、このレコードを作った後で、1985年にノンサッチと契約して2枚作ったんだ。それで、今現在ノンサッチで3枚目のアルバムの制作に入っているところなんだ。
── それはどんな内容ですか?
S今回は全部バロック時代のもので、ラモーとスカルラッティ、クープランらの作品なんだ。何故かというと、1枚目と2枚目で中南米の音楽家の作品を取り上げたから、今回は別のものを作りたかったんだ。それらの作曲家の作品も我々は前から演奏していたので、よく馴染んでいたからね。
── GHAの話に戻しましょう。今までにアルバムをリリースしたアーティストのことをちょっと紹介して下さい。
O デイヴィッド・ラッセルはスコットランドのギタリストで、ロス・アンジェルス・ギター・クァルテット(LAGQ)のメンバーで、今年の9月には日本に来ることになっている。そのLAGQのほうは来年の7月に来日公演をする予定だ。
スコット・テナントもそのLAGQのメンバーで、彼は東京国際ギターコンクールで外国人としては初めて優勝した人だ。ウラジミール・ミクルカはチェコスロバキアのギタリストで、彼も日本で2、3度コンサートをしているはずだよ。
ロベルト・アウセルはアルゼンチン出身のギタリストで今フランスに住んでいて、かなり人気のある人だね。
エドゥアルド・イサアクもアルゼンチンの人で、彼もいくつものコンクールで賞を獲っている。
これから先にはパウロ・ベリナッチ、マルコ・ペレイラ、そしてパウ・ブラジルの2枚目のアルバム(1989年にGHAより1枚リリースされている)も制作する予定になっている。
どうだい、我々のレーベルは素晴らしいギタリストばかりいるだろう(笑)。
── そこでひとつお聞きしたいんですが、ブラジルやアルゼンチンのギタリストたちが、ヨーロッパへ行かなければならないのは何故なんでしょうか?それぞれの国が抱える経済的な問題ゆえのことなのか、あるいは聴き手側の問題なのか、どちらなんでしょう?
Sそれはヨーロッパがいまだに世界の中心だからなんだ。だから日本人だって日本で成功したければ、まずヨーロッパへ行かなければならないってことさ。
── つまり、ヨーロッパに行って成功をおさめるということが、ひとつの「権威付け」になっているということなんでしょうか?またアメリカはその点ではどうですか?
Sそうなんだ。自分の音楽の素晴らしさというものを、まず他の国で証明してからでないと自国で認めてくれないのは、今や世界中どこでも同じじゃないのかな?
O アメリカということで言えば、現在のブラジル人はヨーロッパよりもアメリカへ行くことを考えているだろうね。今やアメリカからの影響の方が強いからね。いや、それよりも今最もお金のあるところ、日本に来たほうがこれからはいいかもしれないな(笑)。
── それでは最後に、アストル・ピアソラとの出会いを教えてくれませんか?
S1984年にパリで友人たちがあるパーティを企画してくれてね。そのパーティというのは、実はピアソラを招待して彼に我々の演奏を聴いてもらうという狙いがあったんだ。そして実際に彼の作品を目の前で演奏したら、彼は大喜びして「素晴らしい!完璧だ!君たちに曲を書いてあげよう」ということになったんだ(笑)。
そして数か月後に届いたのがあの「タンゴ組曲」で、これが大ヒットになってね。それ以後我々にとってはこの曲がとても重要なレパートリーになったというわけさ。
(月刊ラティーナ1991年8月号)
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