[2023.5]【連載タンゴ界隈そぞろ歩き ③】 ギタロンってどんな楽器?
文●吉村 俊司 Texto por Shunji Yoshimura
4月29日、東京・雑司が谷のエル・チョクロにて、先日本誌にてご紹介したCD “KaZZma canta GARDEL” のリリース記念ライブが行われた。
KaZZmaの歌もDuo Criollo(ギター福井浩気、ギタロン清水悠)の演奏も素晴らしく、とても楽しめたライブだった。この時個人的に注目したのがギタロンという楽器である。タンゴのギターアンサンブルの中で大事な役割を担ってきたこの楽器についてはこれまで「低音域を受け持つ大型のギター」という大雑把な理解で済ませてきたのだが、実際に生で聴いてその音の深みと力強さを体感し、今までの理解が安易過ぎることがわかったのだ。そこで今回は、自分自身の勉強を兼ねてタンゴにおけるギタロンの界隈を歩き回ってみたいと思う。
まずは基礎知識
ギタロンguitarrónという名前はスペイン語で「大きなギター」を意味する。調弦は通常のギターの4度下。通常のギターが1弦からE-B-G-D-A-Eなのに対し、ギタロンはB-F#-D-A-E-Bとなる。何より実際の演奏を観て頂くのが早い。KaZZmaとDuo Criolloによるミロンガ「バルドサ・フロハ」。
左がギタロンの清水悠、右がギターの福井浩気。大型という割には思ったほどは大きくない、というのが率直な印象だ。演奏内容も、ギターの1オクターブ下のメロディを弾くようなケースなど低音側の音域の広さを生かしている点が多くみられる一方、特別にベースラインに特化するようなことはなく、使われる技術は通常のギターとほとんど変わらない。
しかしここで、ふと個人的な疑問が浮上した。昔テレビでギタロンという楽器を見たことがある気がするけど、もっと巨大な楽器じゃなかったっけ?
ギタロンって一種類じゃないのか!
そう、同じようにギタロンと呼ばれる楽器でも、もっと大きいものがあるのだ。
こちらはメキシコのミュージシャンによる演奏で曲は “La Bikina”。右の巨大なギター型弦楽器がメキシコのギタロンだ。調弦はギターの5度下、すなわち1弦からA-E-C-G-D-A。ネックが短く指板にフレットが打たれていないのが大きな特徴で、ほぼベースラインを担当することに特化しているように見える。マリアッチのグループには必須の存在で、私が昔テレビで観たのはこちらだったに違いない。
改めてWikipediaで確認してみよう。日本語版は残念ながら異なるギタロンを混同しているようなのでスペイン語版を見てみると、以下の種類が挙げられている。
アルゼンチンのギタロン guitarrón argentino
チリのギタロン guitarrón chileno
メキシコのギタロン guitarrón mexicano
ウルグアイのギタロン guitarrón uruguayo
アルゼンチンのギタロンとウルグアイのギタロンはかなり似ている、というか楽器としてはほぼ同じもののようだ。これらとメキシコのギタロンの違いは上述の通り。チリのギタロンは他のどれとも異なり、3~6本をひとまとまりとした5コース25弦の複弦楽器である。役割的にも低音域を担うようなものではないようだ。
そんなわけで、一口にギタロンと言っても実は様々な楽器がある、ということがわかった。
アルゼンチンのギタロンはクージョから
ここからは、アルゼンチンのギタロンに話を絞る。スペイン語版Wikipediaのguitarrón argentinoの項には、アルゼンチン中西部のクージョ地方が起源であり、クージョのギタロンguitarrón cuyanoとも呼ばれる、というような記述がある。Wikipediaの説明だけでは今一つ心許ないので、参考文献として挙げられている下記の文章を読んでみた。
書いているのはレオポルド・G・マルティ。リトラル大学高等音楽院ギター科を卒業したギタリストであり、現在はクージョ大学の芸術デザイン学部の教授でもある(同サイトのPOLO MARTI - Biografía及びこちらを参照)。非常に興味深い内容で、フォルクローレの歴史的な音源へのリンクも多く貼られているので、お時間のある方はぜひ読んでみていただきたい(スペイン語だが機械翻訳でも概ね意味はわかる)。ギタロンに絞ってざっくりと要約してみると以下の通り。
クージョ地方のクエカ、トナダ、ガト等のフォルクローレは一般に、歌手2名とギター3~4台という編成で演奏される。ギターのうち2~3台は前奏、間奏、オブリガートなどをピックを使って弾くリードギターの役割を担い、それぞれが主旋律、その3度または6度下、オクターブ下を弾いてハーモニーを形成する。コードとリズムは当初もう1台のギターが演奏したが、やがてその役割を担うようになったのがギタロンである。
筆者はまた、1900年代初期にアルゼンチンに流入したパラグアイ人がもたらしたアルパ(ハープ)が1920年頃から一時的にクージョの音楽に取り入れられたことも影響していると考えている。広い音域を持つアルパは高音と低音を受け持ち、ギターとの組み合わせで重層的なアンサンブルをもたらした。しかしやがて消え去り、かわりにレキント(ギターの4度上に調弦された複弦の小型ギター)とギタロンがそれに取って代わったのだ。1940~1950年代には二重唱+ギター3台+ギタロンを基本として一部レキントも加わる、という編成がクージョのフォルクローレの典型的なスタイルとして定着した。
ラジオ出演やレコーディングのためにブエノスアイレスに集まった各地のミュージシャンの交流によって、クージョのフォルクローレのスタイルは他のジャンルの音楽にも波及した。タンゴ界でこのスタイルを最も有効に取り入れたのがギタリストのロベルト・グレラで、ギターアンサンブルによる歌手の伴奏のほか、バンドネオン奏者のアニバル・トロイロやレオポルド・フェデリコとは自身のギターにギタロン、コントラバスを加えた四重奏で活躍した。
つまり、クージョのフォルクローレのギタースタイルがタンゴに波及し、その流れでギタロンも導入された、ということになる。
下に貼ったのはマルティの文献で言及されたアニバル・トロイロとロベルト・グレラの四重奏の1953~55年の録音。ギタロンはエドムンド・サルディバル、コントラバスはキチョ・ディアスが参加している。
ギタロンのサルディバルは世界中でヒットしたカルナバリート “El humahuaqueño”(邦題:花祭り)の作者として有名だが、実はタンゴをはじめあらゆるジャンルに通じるギタリストで、なおかつピアノ、ケーナ、チャランゴ、ボンボ等各種の楽器をこなすマルチプレーヤーでもあった。タンゴにおけるギタロンについてもパイオニアの一人と言って差し支えないだろう。
そしてこちらはレオポルド・フェデリコとロベルト・グレラによる≪クアルテート・サン・テルモ≫の1966年のアルバム。
トロイロ=グレラ、フェデリコ=グレラのいずれもコントラバスがいるので低音部は充実しているのだが、ギターとバンドネオンが自由に動き回り、ギタロンが力強くコードとリズムを担う、という考え方はクージョのスタイルの応用と見ることもできる。
ギタロンを含むギターアンサンブル
タンゴの世界に入り込みしっかりと根付いたギタロン。多くの歌の伴奏でこのギタロンを含むギターアンサンブルを聴くことができるが、ここでは特徴的なグループのアルバムをいくつかご紹介しよう。
まずはバルトロメー・パレルモのグループ。グレラよりは若い世代のギタリストで(グレラが1913年生まれ、パレルモは1936年生まれ)晩年のアルフレド・ゴビとの共演歴もある彼は、自身の名前を冠したギタートリオ≪パレルモ・トリオ≫でアルバムを残している。こちらは1968~72年に録音された3枚のアルバムからの復刻で、ギターのトリオにギタロンを加えた4人で演奏されている。古典タンゴに加えてアルフレド・ゴビやオスバルド・タランティーノ等の作品が取り上げられているところが彼等らしい。ギタロンを弾くのはノルベルト・ペレイラもしくはエルネスト・バエス。
現在リアルタイムで活動している若い世代からは、ギター、ギタロン、ボーカルというトラディショナルな編成にロック的な感覚を持ち込んだグループがいくつか出現している。1998年に結成された≪34プニャラーダス≫(現在はボンベイ・ブエノスアイレスと改名)もその一つ。ギター3台とギタロンによるかなりダークな響きが魅力的で、特にギタロンの存在はその響きを作る上で非常に重要な役割を果たしている。アレハンドロ・グジョーのボーカルも良い。下は2017年リリースのハンブルグでのライブ録音で、ギタロンはルカス・フェラーラ。
なお≪34プニャラーダス≫というグループ名はエドムンド・リベロ作の「アマブレメンテ」という曲の歌詞に出現する女性殺しのシーンのフレーズから取ったものだが、その時代錯誤な感覚が現在の彼等の方向性にそぐわないことから2019年に≪ボンベイ・ブエノスアイレス≫と改名された。
2000年に結成された≪キンテート・ベンタロン≫はギター3台とギタロン、コントラバスからなるグループ。こちらは比較的オーソドックスなアレンジによる美しいギターアンサンブルをギタロンとコントラバスが力強く支える演奏となっている。下は歌手フアン・バレーラを迎えての2019年リリースのアルバムで、収録曲は古典からピアソラまで。ギタロンはエミリアーノ・フェレール。
1999年結成の≪ラス・ボルドナス≫はギター・トリオ。グループ名はギターの低音弦を意味する「ボルドナ」に由来する。このグループは常にギタロンを使うわけではないが、上2つのグループと同世代の重要なグループということで取り上げた。下は大歌手アルベルト・ポデスタを迎えて2011年にリリースされたアルバムで、ギタロンが含まれるのは2, 4, 5, 8, 9, 10。また曲によってはもう一台のギターやパーカッションが加わっており、それぞれの響きの違いも面白い。ギタロンはマルティン・クレイシェル。
5の「60人の擲弾兵」はクエカ・クジャーナ(クージョ地方のクエカ)で、まさしく上で述べたクージョのフォルクローレである。
以上、知っているようで知らないことの多かったギタロンについてまとめてみた。皆さんもアンサンブルの中のギタロンの存在に注目して、様々な演奏を聴き直してみていただきたい。そして機会があれば生音にもぜひ触れてみることをお勧めする。
(ラティーナ2023年5月)
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