[2023.3] 訃報|芸術性の高さで知られるブラジルのギタリスト、テオ・ヂ・バーホス(Theo de Barros)逝く
その芸術性の高さで知られるリオ出身の作曲家、ギタリスト、アレンジャー、歌手のテオ・ヂ・バーホス(Theo de Barros|本名 Theofilo Augusto de Barros Neto)が、3月15日に、住んでいたサンパウロで亡くなりました。80歳の誕生日から5日後のことでした。死因は明らかになっていません。テオの息子で、テオと同じくギタリストとして活動し、近年の共作者でもあったヒカルド・バホス(Ricardo Barros)がSNSで公表しました。
来たる4月2日には、サンパウロのSESCピニェイロで、テオ・ヂ・バーホスの80歳をオマージュするコンサートが予定されていましたが、追悼のコンサートとなります。
テオ・ヂ・バーホスがまず有名になったのはこの2曲の作者としてでした ── 1966年の第二回ブラジル歌謡曲フェスティバル(II Festival de Música Popular Brasileira)で、ジェラルド・ヴァンドレー(Geraldo Vandré)と共作し、ジャイール・ホドリゲス(Jair Rodrigues)がパフォーマンスし、1位になった「Disparada」と、エリス・レジーナ(Elis Regina)が1965年のアルバム『Samba eu canto assim』で収録した「Menino das laranjas」。
テオはまた、エラルド・ド・モンチ(Heraldo do Monte)、アイアート・モレイラ(Airto Moreira)、エルメート・パスコアール(Hermeto Pascoal)と、クアルテート・ノヴォ(Quarteto Novo)を結成し、1967年に唯一のアルバムを録音しました。また、クアルテート・ノヴォは、1967年の第三回ブラジル歌謡曲フェスティバルでは、エドゥ・ロボ(Edu Lobo)とマリリア・メダーニャ(Marília Medalha)が歌う「Ponteio」のバックで演奏し、同曲は同フェスティバルで第一位を受賞しました。
上記のクアルテート・ノヴォのアルバム以外、録音のない当時のテオは、舞台や映画のために作曲し、また、多くのジングルを作曲していました。テオ・ヂ・バーホスの4作のソロアルバムの最初の1枚がリリースされたのは、1980年。まさに『Primeiro disco(※1stアルバムの意)』というタイトルでした。そして、次のアルバムは17年後でした。1997年に2枚目のアルバム『Violão solo』がリリースされました。
2006年のアルバム『Theo』と、2007年のアルバム『À luz de velas』で、テオのソロ・アルバムは全て。全4作を遺しました。
2017年には、ヘナート・ブラス(Renato Braz)、タチアナ・パーハ(Tatiana Parra)、モニカ・サウマーゾ(Mônica Salmaso)らと共作したアルバム『Tatanagüê』を発表。テオの才能を世界のブラジル・ファンに再度印象づける傑作アルバムでした。
昨年、2022年にもアルバムを発表しました。アヂルソン・ゴドイ(Adylson Godoy)、ヂーノ・ガルヴァォン・ブエノ(Dino Galvão Bueno)とテオが、それぞれの息子・娘たちの、アドリアーナ・ゴドイ(Adriana Godoy)、アニータ・ガルヴァォン・ブエノ(Anita Galvão Bueno)、ヒカルド・バーホスと録音したアルバム『Notas brasileiras』が遺作となりました。合掌。
(ラティーナ2023年3月)
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