[2021.06]【沖縄・奄美の島々を彩る歌と踊り11】 沖縄の創作エイサー −伝統性と現代性の競合−
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[2021.06]【沖縄・奄美の島々を彩る歌と踊り11】 沖縄の創作エイサー −伝統性と現代性の競合−

文:久万田晋(くまだ・すすむ 沖縄県立芸術大学・教授)

 前にエイサーを紹介した記事(連載第3回)においても、戦後沖縄で始まったエイサーコンクールを通じてエイサーが大きな変貌を遂げたことを指摘した。エイサーはいまや県外各地、そして世界各地にも広がっている。その大きな原動力となったのが1980年代に登場した創作エイサーの団体であり、その嚆矢が後に紹介する琉球國祭り太鼓である。

 創作エイサー団体は、従来の地域に密着した青年会エイサーとは、様々な点において違いがある。その違いをまとめてみると、
(1)住んでいる地域に限らず誰でも参加できる。
(2)青年会のような厳格な年齢制限はない。
(3)旧盆の時期以外にも年間を通じて活動し、イベント等に出演する。(4)女性でも太鼓を叩くことができる。
(5)県外・海外に支部組織を積極的につくり、そのネットワークを通じて活動する。
(6)音楽にポップ・ミュージック(特に1970年代以降台頭した沖縄ポップ)を積極的に導入する。
こうした様々な点で従来の青年会エイサーとは組織の性格や活動状況が大きく異なっている。特に1990年代以降、創作エイサー団体の活発な活動を通じて、エイサーが全国各地に広がり、さらには世界各地に伝わっていったのである。

 沖縄の創作エイサーを代表する「琉球國祭り太鼓」の創始者である目取真武男(めどるま・たけお 1951年生)は、沖縄市泡瀬に生まれ育った。泡瀬はもともとエイサーや京太郎(チョンダラー)など民俗芸能が盛んな土地柄である。青年時代には地域の青年会長を務め、自らエイサーや京太郎を演じたという。高校生時代には、当時教諭であった山内徳信(1935年生、1974年より読谷村長を6期、その後沖縄県出納長)の深い影響を受け、沖縄の歴史・文化に強い関心を抱くようになった。沖縄が日本復帰を遂げた1970年代当時の沖縄では、青少年のバイク暴走行為が社会問題となっていた。ところが不思議なことに旧盆のエイサーの時期になると、それまで暴走行為をしていた若者たちが熱心にエイサーを演じていた。これを見て、エイサーには若者を引きつける魅力があることに気づいた目取真は、若者たちのエネルギーが発露できる場、感動の場を生み出そうという目的で太鼓グループ実行委員会の結成を思い立った。季節にかかわらず活動できて、男性による太鼓の演技を基本とする。さらに、伝統エイサー的要素に現代的な要素を加味したものを創ろうという構想であった。しかしこの構想は、当時はなかなか理解されず、実現までに10年かかった。その間、地道なイベントを積み重ね、徐々に周囲に理解者を育てていった。

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