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[2024.2]【連載タンゴ界隈そぞろ歩き ⑪】酔っぱらいとクルド人とカボチャとロマ

文●吉村 俊司 Texto por Shunji Yoshimura

2023年11月の本連載でタンゴと酒の関係について取り上げたが、その中で紹介した "De puro curda", "La última curda", "El curdela", "Duelo curda" といった曲のタイトルに含まれる "curda" という語 ("curdela" は派生語) が今回のテーマである。

「酔い」「酔っぱらい」を意味するこの言葉、語源が「クルド人」だ、という説を聞いたことはないだろうか。実は私自身、何年も前に何かの文章で「クルド人」が語源だという説 (以下クルド人語源説) を読んで、以来ずっとそう思い込んできた。多分クルド人は酒が好きな人が多いのだろう、という程度の認識でそれ以上深くは考えてこなかったのだ。しかし、最近この説の出所を確認してみようとしたら話は思わぬ方向へと発展。以下がその顛末である。

なお、引用した英文、スペイン語文の訳は、機械翻訳の結果を筆者が手直し・再構成したもの。文中登場する本のタイトルは敢えて訳していない。

クルド人とはどういう人たちか

さて、そもそもクルド人とはどういう人たちか。辞書から引用する。

クルド‐じん【クルド人】
〘名〙 (クルドはKurd) トルコ、イラン、イラク、シリアにまたがる山岳地方、クルディスターンに住む農耕遊牧民族。クルド語を話し、多くはイスラム教徒。

コトバンク - 精選版 日本国語大辞典 「クルド人」の意味・読み・例文・類語

彼等は山岳民族として、昔から勇敢な兵士と認められてきた。一方で民族国家を持たず多くの国で少数民族として暮らしていることから、迫害や差別の対象となるケースも多い民族でもある。そんなクルド人が本当にcurda「酔い」の語源なのか。

日本語の文献を探る

まずは私の記憶の元となった文章にあたってみたいところだが、残念ながらそれが何だったのかを思い出せない。仕方がないのでネットで検索してみた。最初に見つけたのは高場将美による「タンゴのスペイン語辞典」。

curda (クルダ)
 酔い。スペインの俗語だそうだが、アルゼンチン=ウルグアイで、たいへんよく使われることば。人間を指して「酔っぱらい男」という意味でも使われる。“en curda” は「酔いの中に」つまり「酔っぱらって」という意味になる。

タンゴのスペイン語辞典 Co - Cu

スペインの俗語、とだけあり、それ以上の語源についての言及はない。次に見つけたのは Wikipedia の「ルンファルド」(アルゼンチンのブエノスアイレスで使われる俗語、隠語) の項での以下の記述。

タンゴの名曲の『最後の酔い』"La Última Curda" で、curda は、原義が「クルド人」であったが、「酔っ払ったインディオ」、「酔っ払い」となり、「酔い」という意味のルンファルドとして、定着するところとなる。

Wikipedia - ルンファルド

ここでは明確にクルド人語源説が述べられている。しかしその根拠までは示されておらず、まだこれだけでは出所を確認できたとは言えない。

いきなり否定されたかも

やはり英語、スペイン語で検索してみることとしよう。最初に見つけたのは再びWikipedia、ただしスペイン語版。curda (lunfardo) の項には以下のような記述があった。

Gobello transcribe —y considera equivocada— la opinión de Juan José de Soiza Reilly que ubica el nacimiento del significado en 1912; dice que ese año Italia arrebató a los turcos la región de Trípoli y que entre las informaciones que se hicieron populares en el país estaba la que decía que dentro del ejército turco los soldados provenientes de Kurdistán, o sea los kurdos, no podían pelear si no se les daba alcohol en abundancia. Gobello agrega que la expresión ya había sido registrada por F. M. Pabanó en el libro Historia y Costumbres de los Gitanos. Diccionario español-gitano-germánesco, editado en Barcelona en 1915, y por Rafael Salillas en el libro Hampa, editado en Madrid en 1898.

(訳)
ゴベロ (訳注:ホセ・ゴベロ、アルゼンチンの文筆家、政治家) はフアン・ホセ・ソイサ・レイリー (訳注:アルゼンチンのジャーナリスト、文筆家) による以下の意見を、誤りであるとみなしつつ紹介している。曰く、この語の意味が生まれたのは1912年のことで、同年にイタリアがトリポリ地方をトルコ軍から奪取した際、トルコ軍に参加していたクルディスタンの戦士、つまりクルド人たちは潤沢に酒を与えられなければ闘えなかった、という話が広まったのだと。ゴベロはこれに対し、この表現は既に、1915年にバルセロナで出版されたF.M. パバノーによるHistoria y Costumbres de los Gitanos. Diccionario español-gitano-germánescoという本、そして1898年にマドリードで出版されたラファエル・サリラスによるHampaという本に収録されていた、と付け加えている。

Wikipedia - curda (lunfardo)

クルド人語源説の根拠を見つけた、と思ったものの、いきなり「誤りである」と否定されてしまった。クルド人語源説が生まれたとされる1912年の時点で既に本に収録されるような表現だった、というのだ。 挙げられた本の一冊目はロマ (ジプシー) の歴史と生活、及びロマ語の辞書で、前後関係で言えば1912年より後の出版だが、二冊目はスペインの裏社会がテーマで紛れもなく前の出版。しかし、1912年にこの語の意味が生まれたことは否定されたかもしれないが、クルド人語源説自体が否定されているのかどうか、今一つはっきりしない。

フランス語?ロマ語?

さらにいろいろ探していて見つけたのが Transpanish という翻訳会社の "Lunfardo: The Meaning of 'Curda'" と題したブログ記事。

The Dictionary of the Real Academia Española states that this Lunfardo term entered the lexicon directly from the French dialect word curda, meaning pumpkin or squash. Another source cites a Romani/Gypsy dialect word meaning drunk as the origin of curda, which, frankly, seems more plausible.

(訳)
スペイン王立アカデミーの辞書によれば、このルンファルドはカボチャを意味するフランス語の方言 curda から直接語彙に取り込まれた。また別の情報源は、酔っ払いを意味するロマニ/ジプシーの方言を curda の語源としており、率直に言ってこちらの方がより信憑性が高いように思える。

Transpanish Blog - Lunfardo: The Meaning of 'Curda'

最初に言及しているスペイン王立アカデミーの辞書 (以下RAE辞書) では、確かにcurdaの項に "Del fr. dialect. curda 'calabaza'." (仏方言 curda 「カボチャ」より) という記述がある。しかしなぜカボチャが酔いの意味になるのかは不明。一方、同じRAE辞書のDiccionario histórico de la lengua española (おそらく編集履歴的なもの) のcurdaの項では語源に関する論争があるとし、以下の記述がある。

Rafael Salillas (El delincuente español. El lenguaje (estudio filológico, psicológico y sociológico) con dos vocabularios jergales, 1896, p. 318) propone el étimo curdá 'embriaguez', del caló (véase el Diccionario gitano. Caló-castellano (1870), de Quindalé, incluido en El gitanismo. Historia, costumbres y dialecto de los gitanos, s.v. curdá).

(訳)
ラファエル・サリラスは、カロー (訳注:スペイン、ポルトガルのロマが使うロマ語の一種) の「酩酊」を意味するcurdáを語源として提案している (1896年のEl delincuente español. El lenguaje (estudio filológico, psicológico y sociológico) con dos vocabularios jergalesのp.318) (El gitanismo. Historia, costumbres y dialecto de los gitanos に収録されているキンダレーの Diccionario gitano. Caló-castellano (1870) のcurdáの項を見よ)

Diccionario histórico de la lengua española - curda

こちらが別の情報源に相当するものだろうか。サリラスはスペイン語版 Wikipedia の記事でもHampaという本の著者として言及があり、また同記事で挙げられたもう一方の本もロマ語にまつわる本である。とすると、スペイン語版 Wikipedia におけるゴベロの主張も、ロマ語の単語が語源であることを示した文献をもってクルド人語源説を否定したもの、ということになりそうだ。もっとも、RAE辞書は最終的にフランス語方言のcurda「カボチャ」を語源として採用しているので、ロマ語語源説も決め手に欠ける点があるのかもしれない。

ところで、RAE辞書のcurdaの項を改めて確認すると、どこにもルンファルドであることを示すような記述はない。つまりアルゼンチン独特の言い回しではないということになる。確かに一番最初に引用した高場の「タンゴのスペイン語辞典」にも「スペインの俗語だそうだが」との記述があった。Wikipedia の記事や Transpanish のブログ記事ではルンファルドとして紹介されてはいるものの、その辺の認識についても注意した方が良さそうだ。

まとめると…

以上、まとめてみよう。
「酔い」を意味するcurdaは:

  • 「クルド人」が語源ではない

  • 語源として以下の2つの説がある

    • フランス語方言の「カボチャ」を意味するcurda

    • ロマ語の「酩酊」を意味するcurdá

  • アルゼンチン特有の表現ではなく、スペインの辞書にも載る語である

以上、単語ひとつの語源の話で久しぶりに真面目にお勉強してしまった。疲れた頭にはやはり単語よりタンゴだ (…ベタで申し訳ない)。先日の記事に添付したプレイリストとは違う演奏でcurdaに関係する曲を集めてみた。なお一曲目の "El último kurdo" (最後のクルド人) はラミーロ・ガジョの作品で、二曲目の "La última curda" に呼応した言葉遊びの類いだが、勝手に語源にされたクルド人への償いとして置いてみた (果たして償いになっているのかわからないが)。お付き合い頂いた皆様も、グラス片手にお楽しみいただければ幸いである。



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