[2021.11]【連載 アントニオ・カルロス・ジョビンの作品との出会い⑪】ボサノヴァ期以前の作品から - Foi a noite
文と訳詞●中村 安志 texto e tradução por Yasushi Nakamura
1958年の名曲 Chega de saudadeを皮切りに、ボサノヴァと呼ばれる作品を次々と世に出していったジョビンは、これに先立つ時期にも、既に多数の素晴らしい曲を作っています。そうしたボサノヴァ以前の作品として、今回は、1957年に発売された女性歌手シルヴィア・テレスのLP 『Carícia』(愛の仕草)に収録されている、「Foi a noite(あれは夜だった)」をご紹介します。
ジョビンは、50年代半ばの時期、旧友のニウトン・メンドンサとの共作を中心に、サンバ風のリズムをとり入れるなどしながらロマンティックに仕上げた歌を、いくつも制作しました。ニウトンとの共作の1つであるこのFoi a noiteについては、例えば連邦特別区(首都ブラジリア一帯の自治区。州と同等扱い。)が毎年出す最優秀作曲家賞を受けるなど、注目を浴びています。50年代後半は、夜の酒場でピアノを弾いて収入を支えていた無名の存在であったジョビンの曲が、徐々に多くの人の耳に触れる機会が得られ、彼が頭角を現していった時期でした。
↑「ジョビンとともに数々の名曲を作ったニウトン・メンドンサ。ジョビンと同じ1927年生まれだが、1960年、33歳の若さで心筋梗塞で他界。」
ジョビンの相棒ニウトンの住まいは、後にこの歌をヒットさせた女性歌手シルヴィア・テレスなど一部音楽関係者と目と鼻の先の近所で、後に映画「黒いオルフェ」の原作となった演劇「コンセイサンのオルフェ」の音楽制作(1956年)でジョビンとコンビを組んでいた詩人ヴィニシウスも、よく姿を現していたといいます。ニウトンの息子レナートの言葉によると、ある日、ジョビンとニウトンが、このFoi a noite(あれは夜だった)をどう仕上げようかと夜通しで試行錯誤していると、朝方になってヴィニシウスがやってきて、「夜はもう終わってしまったよ」とからかったところ、二人は更に冗談を交えながら作業を加速させ、一気に完成させてしまったとのことです。
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