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[2023.5]小松亮太の “こだわり” が一杯。圧巻だった「マリア・デ・ブエノスアイレス」公演!

文●斎藤 充正 fotos●Motoki Uemura

 去る3月5日、川口リリア・音楽ホールにてバンドネオンの小松亮太らによるアストル・ピアソラ=オラシオ・フェレール作『ブエノスアイレスのマリア』公演が行われた。それに先立ち、クラシック音楽情報誌「ぶらあぼ」2月号のために筆者が取材した折、小松は次のように語っていた。

 「楽譜より先走っているのにすごく歌っているように聴こえる。タンゴ特有のフレーズ感によって音楽が生きてくるわけです。ピアソラだけではなくてアルゼンチン・タンゴ全体を俯瞰した人間でなければ、この作品はできないと、あえて言っていいでしょう」(同誌より)

小松亮太

 この発言は〝ピアソラ=クラシックの作曲家〟と捉えがちなクラシック・ファンに向けたものであり、〝ピアソラの音楽=タンゴ〟ということは先刻ご承知であろう「ラティーナ」の読者に対してであれば、釈迦に説法のような発言にも思えるが、四半世紀前のピアソラ・ブームのさなかにデビューした小松が以後折りに触れて発言し続けてきた重要なテーゼでもある。そして、数多いピアソラ作品の中でも、とりわけ『ブエノスアイレスのマリア』に対してはそれを強調したかったはず。というのも、作者自身がこの長大な作品の形式を「オペリータ(小オペラ)」と呼んだことで、「クラシックのオペラみたいなもの」という誤解を招く危険が生じていたからである。実際に1987年以降、この作品が他の演者により取り上げられた中には、そのように解釈されてしまった実例もあった。

 そう、「オペリータ」というのは単なる言葉の綾でしかない。1968年に完成したこの作品は、1955年以来タンゴの改革者として苦闘してきたピアソラが、最大の理解者の一人でもあったフェレールらと協力して完成させた金字塔である。細かく曲を聴いていくと、それまで培ってきたあらゆる要素が随所に惜しみなく注ぎ込まれていることがよくわかる。1960年以来のキンテート(五重奏団)を核にして、弦楽四重奏の響き、1963年のヌエボ・オクテート(新八重奏団)やいくつかの映画音楽で効果を上げてきたフルートやパーカッション類の活用、そして文豪ホルヘ・ルイス・ボルヘス作品の音楽化に挑んだ1965年の『エル・タンゴ』における歌や朗読との密接な関係、それらが幾重にも織り込まれ、その結果、歌手2名、朗読のフェレール、バンドネオンのピアソラと10人の力量あるソリストたちが一体となってのタンゴ一大絵巻が、堂々繰り広げられたのだった。

演奏メンバーにはあの2013年の歴史的公演と同じメンバーが並んだ

 それを正面切って再現しようというのだから、生半可なことではできない。小松らによる『ブエノスアイレスのマリア』といえば、東日本大震災直後の公演中止を経て実現に漕ぎ着けた、2013年6月29日の東京オペラシティ コンサートホール タケミツメモリアルでの、歴史的公演を思い出す方も多いだろう。真正マリアたる女性歌手アメリータ・バルタールらを迎えたあの公演はCDにもなったが、あれから約10年。今回も演奏メンバーはまったく同じというところにも、小松のこだわりを強く感じる。その小松はもとより、ヴァイオリンの近藤久美子、ピアノの黒田亜樹、フルートの井上信平、ギターの鬼怒無月を始めとする精鋭たちは、互いに呼応しながら、テンションの高い演奏に遊び心も加えて、生き生きと音を紡いでいく。

 前回アメリータとともに男性歌手のレオナルド・グラナドス、語り手のギジェルモ・フェルナンデスが言葉を紡いだパートは、その本公演に先駆けて江古田Buddyで行われたゲネプロ的な公演にも朗読(日本語)の片岡正二郎とともに参加していたSayacaとKaZZmaが担うことになった。

今の日本を代表する二人のタンゴ歌手、KaZZmaとSayaka

 アメリータの愛弟子でもあり成長著しいSayacaは、圧倒的な存在感で堂々とマリアを演じきった。またKaZZmaは、柴田奈穂プロデュース、タンゴ・ケリード主催により2021年12月に座・高円寺2で開催された『ブエノスアイレスのマリア』公演(演劇的な要素を加味した実に興味深い内容だった)でも、歌だけでなく演出助手も務めていただけに、その経験を生かした演技力で、多彩な表情を付け加えていく。そして今回唯一新顔となったのが、朗読を担当したアクセル アラカキ。ダンサーの彼はブエノスアイレスのスペイン語に堪能ということで選ばれたが、年齢的にも他のメンバーよりかなり若く、起用は冒険だったと思われる。実際のところ、その高くて若々しい小悪魔の声に違和感がなかったかといえば嘘になるが、曲が進むにつれて徐々に表情を増していく様子は頼もしくも思えた。

 演奏全体としては、特に後半の「精神分析医たちのアリア」から「小悪魔のロマンサ」「アレグロ・タンガービレ」「受胎告知のミロンガ」へと畳み掛けるあたりが圧巻だった。また、フェレールの難解な歌詞を身体で感じる上で、舞台の両サイドに置かれた字幕が大変読みやすかったことも付け加えておきたい。「次は3年後ぐらい」という終演後の〝予告〟が実現することを切に願う。

(ラティーナ2023年5月)


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