[2022.10]完壁、大興奮のマリーザ・モンチ ブエノスアイレス公演全レポート!
文と写真●本田 健治 texto & fotos por Kenji Honda
アルゼンチンが南米では一番早く入国時の条件を緩和するという情報を得た7月後半になって、仲良くしているブラジルの仲間から「元気かい?」いつもブエノスに行っているけど,今度はいつ?」の電話。彼らとは、ブラジルの音楽だけでなく、ある大手鉄鋼会社の日本感謝祭の仕事、ザ・ブームのブラジル公演の仕事などを通じて一緒に汗をかいてきた仲間。彼はマリーザ・モンチ、セウ・ジョルジをはじめ、今やブラジルの大物アーティストの世界中のブッキングを同じ仲間たちとおこなっている。合い言葉は「ビール、ビール!」だ。
今回はタンゴダンス世界選手権の仕事がメインだったから、それが終わって電話すると「9月22日にブエノスアイレスはあの昔の仲間たちもやってくる、23日は昼飯を食いながらビールとしよう」となった。
ブエノスのマリーザ公演は,ブエノスアイレス最高のGran Rex劇場だったが、久しぶり、しかも一日だけの公演とあって、とうの昔に完売だった。
世界中のライブ活動をストップさせてきたパンデミックだが、いよいよ本格的に収束する気配で、ようやく世界のあちこちから嬉しいニュースが飛び込んできた。その中でも、ラテン・グラミー賞を4度受賞し、ジャンルを超えてブラジルの最も偉大なシンガーでアーティストと目され続けているマリーザ・モンチの動向には、昨年から多くの注目が集まっていた。パンデミック時に複数の大陸で録音されたこのアルバム「Portas」が、彼女の10年ぶりのソロ作品アルバムと言うだけでなく、その後にようやく光明が見えてきたコロナ後の雰囲気を縫いながら組まれた世界ツアーが続く、とのニュースが流されたからだ。
2022年に入ってから、サンパウロ、リオなどでの公演、3月には全米公演、4月~5月に再びブラジル各地で、6月~7月にはイタリア、ベルギー、ロンドン、フランス、スペイン、ポルトガル、また8月~9月にわたってブラジル各地での公演と世界の音楽ファンを歓喜させてきた。そして、9月23日ついにブエノスアイレス最高の劇場Gran Rexにやってきた。
このコンサートは、真っ黒な緞帳の中、パンデミックの真中にいるような黒い闇から、少しづつ電子的な音が流れ出し、やがて、一曲目の「ポルタス(扉)」に移ると、緞幕が中央から割れ、彼女は、シルバーのミニスパンコールのドレスに身を包み、まばゆいばかりの、やはり銀の大きなティアラを頭に現れた。女王マリーザの姿が眩しいPortas 扉(以下、曲名の太字がショーの曲順で、邦題がわかったものは邦題を、他はおよその意味、または発音)「すべての扉。どれを選んでも同じ。どれかを選ぼうとするが、どれも同じところに行く。全部開けてもいい…開けて換気をしよう….」歌詞そのものも、パンデミックの闇から抜け出す、そのものだ。斯様に、このショーは、彼女がこの録音の最初から,ショーを意識していたとおりに、音楽も詩も一体となってはじまる。電子楽器の音ではなく、ホーンもすべて実際の生音が格調高いブラジルを奏でる。心地よい。決して小さくないバックの中で、マリーザの声は全体に沈み込むことなく、低い声まで輝きながら前に出てくる。絶妙のサウンドバランスだ。すでにこの瞬間から、ポップスの最も根源的な、親しみやすいメロディを忘れることなく、格調高い和声で主張する、彼女独特のサウンドは今回も絶好調だ。
続いて,最新アルバムからの佳曲が続く。まず、はじめて肩にギターを抱え、Quento tempo どれだけの時が「お久しぶりです。どれだけ時間がたったかよく覚えていないけど、今になってやっと理解できたあの気持ち…歌を作りたかったこと…」マリーザは、久しぶりにこの街に来て「この町を歩いても誰もわたしに気がつかない。とても新鮮で、すがすがしい気持ち。同時に、また何かを創る気持ちになってきた…それは他の国でも同じ…」とも発言している。
今回バックを務めるのはベースとギターにダディ、ギターにダビ・モラエス、ドラムにプピーリョ、パーカッションとカヴァキーニョにプレチーニョ・ダ・セリーニャ、キーボードとギターとバッキングボーカルにシコ・ブラウン(カルリーニョス・ブラウンの息子で、シコ・ブアルキの孫)、トロンボーンとアレンジにアントニオ・ネベス、トランペットにエドワルド・サンターナ、フルートとテナーサックスにレッサが参加している。
今回のショーでは曲ごとに説明することはほとんどないが、ここで、短い挨拶「またこの街に来れた "ということが、私たちの喜びです。ポルトニョール(ポルトガル語とスペイン語が適当にあわせた言葉)で失礼します。素敵な夜を過ごしたいですね。」
そして、彼女の繊細で正直な詩に寄り添う、ソウルフルなボーカルが続く。Maria de verdade 真実のマリア「よく栄え、歌を注ぐ 回転する列車 情熱を動かすのに夢中 方向性、プログラムフレーム、私はロマンチックに待ちます」、2006年のアルバム「Infinito Particular」からVilarejo 村 「家々の上には、石灰 すべてのバックヤードにフルーツを 豊かな胸、たくましい子供たち現実の世界に蒔かれた夢 誰もがそこにフィットする パレスチナ、ザンリ・ラ….」と続き、動物と話せるというファンタジーを繊細なメロディーで表現したA Língua dos animais 動物たちの言葉、続いてInfinito particular 私的空間「ちっぽけな私も、巨大な私も さあ、自分自身を宣言するんだ 隠すものがない人へ 私の顔を見てください それはすべて謎であり、秘密でもない」Praia vermelha 赤色の砂浜、Ainda bem アインダ・ベン…続いて誰もがよく聴いてきたBeija eu キスしてから、「否定はしない、告白する 誰かと一緒にいるために 一定のリスクはある…(でも今)私はあなたの100%」とブラジル人女性としての愛の姿を率直に描いた美しいTotalmente seu 君のものと続く。
もうずいぶん昔のことだが、私が観た最初の彼女のショーで一番驚いたのが「Amor l love you」でのアルナルド・アントゥネスの朗読する口部分のアップをマリーザの背中の地肌に映し出した瞬間。全編夢の世界で、あのショーの映像制作には、名前は忘れたが、ロンドンの有名なビジュアル・プランナーが関わったという。今回のショーでは、リオ・グランヂ・ド・スール出身、サンパウロ大学で視覚詩学で博士号をとった、ブラジルを代表する造形女性作家兼マルチ・メディア・アーティスト、ルシア・コッホの作品が、シンプルなホリゾント幕全体に展開して、このステージを彩り、奥の深い空間に大きな価値を生み出している(もっと奥行きのあるオペラタイプの劇場ならばもっと凄いのかも)。世の中が進んできて、この手のオーディオ&ビジュアル・ショーは、視聴覚すべてに訴えてくるから、感動も大きい。サンバのシーンではダンスする足の大写しが、ステージ上の音とマッチして、不思議な感覚を呼んでくれたりするし、このショー全体にマリーザの世界観を最大限に引き出してくれている。そして、マリーザは、このルシアのビジュアルアートの陰でステージ上で4度の衣装替えを行った。
ステージは、Ainda lembro まだ覚えてる、O que me importa 気になることと曲は続き、次のPreciso me encontrar 自分探しをしたいで最初の衣装替え。プレチーニョのカヴァーコとアントニオ・ネヴェスのトロンボーンだけのアコースティックな響きが逆に高揚感をそそる。マリーザのタイトでスイング感あるサウンドはどんどん聴衆を引きつけて行く。
そして、「ポルタス」の発売時には未発表曲で、マドリードに住むウルグアイのスター歌手、ホルヘ・ドレクスレルと創ったVento Sardo サルディニアの風「この曲はイアリアのサルデーニャ島で、帆船を渡りながら作ったんです。風は、空気のダイナミズム、絶えず動き、変化する生命や自然を表現しています(マリーザ)」へと続いた。発売から4ヶ月後にデジタル・プラットフォームでリリースされた曲だが、カルリーニョス・ブラウンの息子、シコ・ブラウンが好調にドレクスレル部分のセカンドを歌っていた…。
……そこで突然。音が止まり、やがて、ヴォーカルのマイクも遮断するという事態に。こうしたオーディオ・ビジュアル・ショーでは、この手のシステム・エラーが最悪。私も自分でプロデュースしているステージでこの手のエラーは実際に何度か経験しているが、原因究明だけでもかなりの時間を食うことが多く、青ざめるしかない。しかし、この時のマリーザは一時もステージを離れず、冷静に、マイクなしで聴衆と会話したり、聴衆を楽しませることに余念がない。まさに神対応。そのうち、心配した聴衆の方から手拍子と共に「ルーラ~~~!ルーラ~~~!」が始まった。もうすぐ始まるブラジル大統領PT候補の名前の連呼。どちらも、汚職がらみの過去を持つのは同じだが、ボルソナロの国を超えての不人気は相当なものだし、筆者も前回ルーラがはじめて大統領に選出された時の、街中に溢れていたブラジルの労働者たちの高揚感(街中のすべての労働者たちが笑顔で働き出した←ホントにどんな場所でも感じたもの)を目の当たりにして強烈な印象を持っているだけに、どう考えてもルーラが優勢だし、期待はしている。仲間からの情報でも、「ルーラだろうなぁ。よりマシだから。」…まぁ、ブラジルの音楽界のリーダーたちは,ほとんどが労働者の味方PT側にいるし、どう見ても今回はルーラが勝つという見方が大勢だが。
……それでもエラーの方はまだ回復しない。マリーザが、マイクなし、小声で「アモール、アイ、ラヴ・ユー~~~」を歌い出すと、会場は大盛り上がり。全員で合唱することに。システムが戻らず本気で心配になったが、10分ほどは経っただろうか、ギター、ボーカルの順で回復し、再開できることになった。本当に一安心。この間のマリーザの神対応もあって、その後会場とマリーザの一体感がさらに増すことに。
A sua あなたたちに「ただ、あなたに聴いてほしい、いつも平和でいてほしいという願いを込めて…」最新アルバムの佳曲Déjà vu「おいでよ、生きよう、旅先で夢を見よう、海から来た星の… 」そして、高揚感に追い打ちをかけるようにDança da solidão 孤独のダンスまだ中盤なのにクライマックスか……ここで衣装を替えて、Calma 落ち着いて「落ち着いて,未来のことを考えよう、夜明けは近い…」Eu sei 知っているよ「知ってるよ、私の不随意筋の心臓は あなたのために打つ いつか君と一緒 そして,あなたは私もののになる…」共作者のダヴィ・モラエスが紹介されてVelha infância 昔の子供時代……
もう最高潮と思ったが、なんと、実はここからが終盤だ。最強のブラスセットがメロディーを前面に押し出してFeliz, alegre e forte 楽しく、幸せに、そして強く「大切なのは今、ここ 私は幸せで、楽しくて、強い 重要なのは あなたが立ち上がるかどうか 満足 それは信じること 私が行くところならどこでも 楽しくて、明るくて、強い…」
キーボードでどんな音も出せるようになって、遠い日本の海外アーティストのステージではブラスの生音を聞く機会が少なくなってきていた。しかし、やはりそれは圧倒的な間違いだ。ブラスの、強さだけではない、ホンモノのリズム感、色っぽさ、これは生音にしかできないもの。誰もがそれを思い知ったところで、ブラスセクションのメンバー紹介があって、メロディックファンクのVocê não liga あなたは心を繋がない。
最終コーナーはさらに加速。ポルテーラのサンバのルーツElegante amanhecer 優美な夜明け〜Lenda das sereias マーメイド伝説、そしてもう振り返る暇はないNa estrada オン・ザ・ロード、「行かないで、もう2度と私をおいていかないで」と歌うNão vá embora 行かないで、そして本編の最終曲は、今世界を不安に陥れている北半球の一人の大悪人に向かっているのかMagamalabares マガマラバーレス「本は誠実ではない 神を帝国としている 世界は 彼一人ではない……」だった。
万雷の拍手に応えてアンコールは、その大悪人を諭すようなPra melhorar より良く生きるために「それはすべて間違っていて、ネガティブなこと そして、それはますます悪くなる 誰にとっても人生はつらいもの 良いものを作るために 誰しもが犠牲を払う 太陽が来た 暗い雲を溶かすように 空からの光が トンネルの先を照らすために…」そして、聴衆に「私は誰のものでもなくみんなのもの そして みんなも私のもの」と呼びかけてメンバーがステージを去る中、ひとりアカペラでBem que se quis 望むこと「皆さんを 私の中のもっと近くに感じたい 私のロードランは あなたの海へ」とステージの陰に向かった。ここまで全30曲。特に新しく作ったわけではなく、今までの作品を繋いだだけでしっかりと胸のすくストーリーができている。感動、感嘆しかない。
ブラジルにはステージ全体のコンセプトを提案し、曲目を選び、順序を考えるホテイリストという職業が存在した。非常に重要な役割だ。マリーザ・モンチは当然その役割を自分でやる。ブエノスからの機中、長い時間がもったいないので、公演前に用意してもらったセットリストに沿って、曲と歌詞を改めてすべて並べ、聴きながら意味を確認していった。……このステージ、完璧すぎる。一人興奮しながら成田に辿り着いた。
マリーザはこの後、ウルグアイ、チリとわたり、10月8日から12月まで、またまたリオから始まるブラジル・ツアーを大展開する。来年も世界各地からのオファーがあるが、詳細は決まっていないという。しかし、マリーザ命のファンは、是非この熱い内のブラジル、リオ公演めがけて飛び発つことをおすすめしたい。来年だってやるだろうが、今が一番良いときと思う。はっきり言ってこのショーは完璧最高のものだ。ルシア・コッホのビジュアルアートも一番輝いて見えるのは、条件がすべて揃っているリオ、サンパウロ公演かと思うし,その頃には次の大統領も決まって、評判通り上手くいけばその興奮がこの公演の興奮にもさらに拍車をかけそうだから。
ブエノスアイレスでブラジル音楽の公演を今までにも何度か覗いてきた。カエターノ、ジル……ここではブラジルの音楽ファンとは多少違った受け方というのがあったように思う。しかし、このマリーザの公演で、明らかにブエノスのファンの質がおそらくブラジルとも世界とも同じになってずっと近づいてきたように感じる。途中の数曲で、ポル語の歌詞を一緒に歌うファンは多かったし、私の隣のポルテーニャは小声だったが、ほぼ全曲をポル語歌詞で歌い続けていた。ブラジル、アルゼンチンのアーティストの交流も盛んだし、入ってくる情報量も半端ないから当然かもしれないが。垣根のない、素晴らしいアルゼンチンの音楽ファンにも大拍手、だ。これも特記しておきたい。
(ラティーナ2022年10月)
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