[2023.12]『ブエノス・アイレスのマリア』東京公演(12/15)レポート
文●山本幸洋
写真●yamasin
終演後の舞台挨拶。柴田奈穂の涙が、このコンサートにかけた思いを表していたのだと思う。
Tango Querido主催『ブエノス・アイレスのマリア』は今回が3度目の公演となる。初回は、新型コロナウイルス感染症による閉塞感の真っ只中にあった21年12月。期待をはるかに超えて、創造性あふれるポスト・モダンな歌劇スタイルで上演された。それは衝撃的だった。そのライヴ・レコーディングがCD発売されたのが本23年1月。装丁も美しく、奇跡的な上演のエヴィデンスに相応しい仕上がりだった。
まだそのときは『ブエノス・アイレスのマリア』は一回こっきりのスペシャルな公演だと思っていたから、大掛かりなプロジェクトの「記念品」としてCDを遺して、Tango Querido版『ブエノス・アイレスのマリア』は大団円だと思っていた。だが嬉しいことに、CD発売記念として5月にコンサート形式で再演、そして12月15日にコンサート形式で再々演となった。そのニュースを受けて、楽しみであるとともに、それって大変なんじゃない? そんな心配が頭をよぎった。でも、柴田らの考えを聞いて大いに納得した。ウェブ・サイトでの声明の要約はこうだ。
「今回の上演資金の確保、東京以外の場所での上演を実現するため、クラウドファンディングを開始しました。将来的にはベートーヴェンの第九のように季節恒例のコンサートとして、みなさまに親しんでいただける演目に育てることが目標です」
柴田の涙は、現実問題としての運営の困難さを思い出しつつ、演奏をやり遂げた安堵感と、目を潤ませたアルゼンチン大使の温かいスピーチ、オーディエンスが柴田の思いをくんだ拍手で応えたことに感極まったためなのだろう。
そして、その3回目、12月15日の演奏の方はというと、これが素晴らしかった。映画を2回、3回と見ると、ディテールに込められた作り手の工夫がはっきりと感じられるようになるが、それはライヴ演奏でも同じ。『ブエノス・アイレスのマリア』はオペレッタだから曲構成も編曲も変わりなく、歌手含めて14人編成となる大掛かりなアンサンブルの深化が、表現のダイナミクスとして聴く者に迫ってくるようだった。私の場合、今回はステージ全体がよく見える席だったこともあり、アンサンブルとシンクロする体の動きが音楽をより活き活きと感じさせるのを実感した。特に、ピアノの宮沢由美のノリが素晴らしかった。タンゴ・ファンにとって宮沢は、西塔祐三とグランオルケスタ・ティピカ・パンパやチコス・デ・パンパでのダリエンソ〜ビアジ〜サラマンカの電撃のスタッカートを今日にもたらしているイメージが強いが、クラシカルやフォルクローレの要素を含めさまざまなスタイルが混在する『ブエノス・アイレスのマリア』においても、バンド全体をグルーヴさせる躍動感に充ちていた。バンド全体に視野を広げてみれば、アンサンブルの一体感がグッと増している。公演を積み重ねることでどんどん良くなっていくのだと実感した。
加えて、このライヴ演奏を観ることによって、『ブエノス・アイレスのマリア』の編曲の多彩さも良く解った。レコードを聴いているよりも、どのパートがどんな演奏しているのか、待機しているのかが一目瞭然で、この視覚効果は楽曲の楽しみを一段と増大させている。ギター持ち替えのトーン効果、ストリングスの一体感、ドラムスとヴァイヴが兼ねているパーカッションの使い分け、ピアノと朗読だけのシーン。こんな解りやすさ、面白さはライヴでしか味わえない。ライヴ鑑賞が3回目ともなれば、いろいろ見えてくるものなんだとは思うけれど、編曲の面白さを見て楽しめることに気が付いた。
アストル・ピアソラとオラシオ・フェレール合作のオペレッタ『ブエノス・アイレスのマリア』のライヴ公演を演ずる行為と観る行為。今回のライヴ公演を観て、それはピアソラ=フェレールが創作した芸術世界を今日で一緒に楽しむことだと感じた。柴田は、この芸術世界の舞台がクリスマスにあることを踏まえ、これからも年末に演奏していきたいとの決意を表明している。私たちオーディエンスは、柴田らの解釈と表現力を介して『ブエノス・アイレスのマリア』を深く鑑賞できる機会がこれからもあることに期待してやまない。
(ラティーナ2023年12月)
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