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[2024.2]【境界線上の蟻(アリ)~Seeking The New Frontiers~16】サインホ・ナムチェラク&内橋和久(トゥバ、日本)

文●吉本秀純 Hidesumi Yoshimoto

 このコラムのvol. 12でも紹介したモンゴル出身でドイツを拠点に活動するエンジ(Enji)や、鮮烈なインパクトのMVを次々と制作してワールドワイドな注目を高めているシベリアの先住民族チュルム人のメンバーで構成された新世代グループのオティケン(Otyken)など。伝わってくる情報などは少ないながらも、これまでにない感覚を放つ音楽家が次々と台頭してきている感のあるシベリア~中央アジアの音楽シーンですが、80年代末から90年代にかけての時期にこのエリアから登場した存在として忘れられないのが、モンゴルの北側に位置するトゥバ共和国出身のサインホ・ナムチェラク。遊牧民の家系に生まれ、シベリア周辺のシャーマンの伝統やラマ教(チベット仏教)の音楽にも通じた彼女は、80年代半ばの旧ソ連時代から優れたシンガー/ボイス・パフォーマーとして活動を始め、イマ・スマックらの影響も受けながら独自のスタイルを確立。ソビエト連邦が91年に崩壊した後には西欧圏にも活動の場を拡げ、アヴァンギャルドな即興性の高いセッションからメロディアスな楽曲まで変幻自在にこなす歌声によって、ジャンルを越えて知られるようになりました。ベルギーのクラムドから93年にリリースした『Out Of Tuva』には、エクトル・ザズーやヴァンサン・ケニスとのコラボで録音したメロディアスなナンバーから、旧ソ連時代にロシアのフリー・ジャズ界を牽引した重要グループの1つであるトリ・オー(Tri-O)やオーケストラとモスクワで録音した楽曲も収録され、ビョークにも影響を与えたされる彼女の多彩なボーカルの魅力を楽しむことができます。

 その後もコンスタントにソロ名義作やコラボ作をリリースし、30年以上にわたって精力的な活動を繰り広げ続けているサインホですが、2019年にはギタリストの内橋和久とのデュオで日本ツアーを行い、トゥバの古歌を中心としたレパートリーでより深みを増した境地を示してくれたのも、まだ記憶に新しいところ。そのツアー時にも、内橋さんからデュオでのアルバムの録音を進めているという話を聞いていたのですが、世界的なパンデミック期間を挟んで、昨年秋に中国のレーベルからCDでは2枚組になると思われる構成でデュオ作『Eternal Songs Of Ene-sai』がリリースされています。エキセントリックかつ超人的なボイス・パフォーマーという側面がどうしても前に出てしまう彼女ですが、このアルバムでは先のツアーと同様に抑制が効いたメロディアスな楽曲が中心で、美しく叙情的な作品に仕上がっているのが大きな聴きどころ。内橋が弾くギターも、ECM的な空間性を感じさせるタッチやブルージーなアプローチなど、こちらもサインホの歌に寄り添いながらいつもとはまた違った多彩なギターワークが堪能できるものとなっており、素晴らしかったデュオ公演を追体験させてくれます。また、CD-2に当たる後半は、シンセや打ち込みのリズムも加えながらややポップさが際立ったものとなっていて、その冒頭に収録された「Tanola Nomads」はクラムド盤のオープニング曲の再演となっているのも注目ポイントでしょう。

 ジャンル的なカテゴライズが難しい立ち位置であることも影響してか、近年のサインホの動向はなかなか日本には伝わってきにくいところがありますが、ワールド・ミュージック的な観点では16年にリリースしている『Like a Bird or Spirit, Not a Face』も〝砂漠のブルース〟でお馴染みのティナリウェンのリズム隊と一緒に録音したもので、彼女ならではの砂漠のブルースとの邂逅作となっています。また、19年に Sainkho Kosmos 名義で発表した『亙古回響 (Echo Of The Ancestors)』も、ギターに内橋和久、サックスにネッド・ローゼンバーグ、ドラムにサム・ベネット、ベースにピーター・シェラーといった80~90年代の越境的なアヴァン・ロック~ジャズ・シーンを支えてきた名手たちが一同に会して録音された作品となっており、改めて注目に値する1枚。他にも様々なタイプの録音を精力的にリリースし続けており、衰えることを知らない多彩な活動ペースに驚かされます。


吉本秀純(よしもと ひですみ)●72年生まれ、大阪市在住の音楽ライター。同志社大学在学中から京都の無料タウン誌の編集に関わり、卒業後に京阪神エルマガジン社に入社。同名の月刊情報誌などの編集に携わった後、02年からフリーランスに。ワールド・ミュージック全般を中心に様々な媒体に寄稿している。編著書に『GLOCAL BEATS』(音楽出版社、11年)『アフロ・ポップ・ディスク・ガイド』(シンコーミュージック、14年)がある。

(ラティーナ2024年2月)


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