見出し画像

[2022.8] 【連載アントニオ・カルロス・ジョビンの作品との出会い㉙】オリジナルは悲しく、英語版は明るく - 《Estrada branca》

文と訳詞●中村 安志 texto e tradução por Yasushi Nakamura

 中村安志氏の好評連載「アントニオ・カルロス・ジョビンの作品との出会い」と「シコ・ブアルキの作品との出会い」は、基本的に毎週交互に掲載しています。今回は、ジョビン作曲&ヴィニシウス作詞による、ボサノヴァ初期の佳曲からEstrada  blancaを。

※こちらの記事は8月31日からは、有料定期購読会員の方が読める記事になります。 定期購読はこちらから。

 ボサノヴァの皮切りとも位置付けられるエリゼッチ・カルドーゾのアルバム『Canção do amor demais』は、収録曲の中でも飛び抜けて象徴的存在となった名曲「Chega de saudade」(この連載26回目)だけでなく、25回目でご紹介したヒット曲「Outra vez(またしても)」など、全曲ジョビンの作曲かつヴィニシウス・ジ・モラエスの作詞による作品で占められ、ボサノヴァという看板の下で世界に轟いたこの2人の新時代幕開けを告げるものと言えます。

 こうした曲のほかに、後年何度も歌われることとなったこのアルバムの収録曲「Estrada branca」を今回はご紹介します。

   ↑エリゼッチの歌う「Estrada branca」

 「Chega de saudade」という名曲が、大ヒットしたジョアン・ジルベルトによる斬新なギターの刻みに加え人々を驚かせた静かな声による録音と、最初にこの曲を世に出したエリゼッチの録音との間で、かなり異なる演奏となっていることを、以前に申し上げました。このアルバムでのエリゼッチの歌声は、全体を通じたくましい声で、ヴィブラートも多用。総じて50年代前半当時の歌謡曲の域に属する一方で、ジョビンがアレンジした和声は、既に新しい領域に入っています。このアルバムの中の1曲「Estrada branca」についても、エリゼッチが伝統的な声で歌った一方で、後年の様々なアーティストの録音においては、いわゆるボサノヴァ的色彩を施され、またそのように宣伝されている例が少なくありません。

  ↑ジョアン・ジルベルトによる「Estrada branca」。静かな声でギターだけで歌うジョアンの響きからも、歌の寂しさがよく伝わってきます。

 歌詞を追ってみましょう。歌は、愛する女性が遠くに去ってしまい、深い悲しみに暮れる男が、月明かりに白く照らされる夜道をとぼとぼと歩いていく情景を示しながら、「もしこれが昼であったら」、「太陽が輝いていれば」と、現実と反対の状況を光に喩えて表現し、こうして旅立つのも、失意の中ではなく、楽しいものであったらよいのにと悔やみ、暗い気持ちに包まれている主人公の姿が描かれています。

 オリジナルのポルトガル語のほかに、英語版も作られました。ジョビンの作品は、何名もの人が英語にしており、「Dindi」を英語にしたレイ・ギルバート、「Insensatez」や「イパネマの娘」などを英訳したノーマン・ギンベルなどと並んで、この「Estrada branca」は、「Desafinado」などの英語版を制作したジーン・リーズ(Gene Lees)の手によって、「This Happy Madness」という表題で書かれています。

 翻訳研究者などの間では、ポルトガル語の原文を英語で表現しようとする場合、往々にして元よりも多い音節の言葉が並びがちであり、結果として、長くなりやすいといったことが指摘されます。この歌の英語版制作においては、まさにそうした制約にも影響されたのか、オリジナルの歌詞の内容からかなりかけ離れた内容を、1から英語で書き下ろした感じになっています。

 オリジナルが上述のように暗い失意の歌であるのと対照的に、「僕の嘆きはどこに行ったのか(Where are my sorrows now?)」というふうに、辛かった境遇の主人公が、奇跡的に幸運に恵まれ、喜びの狂気に包まれているという内容です。主人公が走り込む場所は、いきなりセントラル・パークと、ニューヨークに設定されているあたりも一興です。リーズは、思い切って、この歌を地元アメリカを舞台にした物語に書き換えてしまったのでしょう。

 「Estrada branca」という作品からはここで離れますが、エリゼッチのこのアルバムについて、あまり語られていない重要な要素は、ジャケット裏側の解説で、ヴィニシウスが、当時1958年時点でのジョビンの作品や創作姿勢について、つぶさに所感を述べていることではないでしょうか。コンビを組んでからそう年月を経ていないヴィニシウスが、ジョビンについて率直に語った、貴重な記録だと思われます。

↑アルバムCanção do amor demaisのジャケット。
収録曲は、全てジョビンとヴィニシウスの共作。

<ヴィニシウスによるジャケット裏面の言葉(抜粋)>
 … アントニオ・カルロス・ジョビン(トムのほうがよければ、そう呼ぶとよい)と私が、私の劇作品「コンセイサンのオルフェ」に使うサンバを制作してから2年が経過。ここから、「この世のすべてが君と同じだったなら(Se todos fossem iguais a você)」など、多くのヒット作が残り、我々の素晴らしい友情もここから生まれた。
 イリネウ・ガルシア(アルバムを録音したレコード会社Festaのオーナー)の熱意のおかげで生まれたこのLPは、この誠実な友情そして連携によって何が作れるかの最高の証しだ。
 このLPでさえ、我々は何かを証明したかった訳ではなく、サンバや歌を作るとても楽しい共同作業のたどっている道のある段階を示せればいいと思っていた。ブラジルのもので、しかしながら国産優先といった思想などなしで、歌うことを愛する人々に食事を提供し、生きることの支えとしてもらうような気持ちで。
 ジョビンのアレンジの面白さと独自性は、もはや新しい話に属さず、ここで語るには及ばない。しかし、ご注目頂きたいのは、彼のメロディーとハーモニーがますますシンプルでかつ有機的になっていることだ。それは、病的で抽象的だった世の傾向というものからどんどんと解き放たれ、時代の矛盾そして自身の魂がこんなにいいものを築けることに目を向け、人間関係において永遠の価値となるものに向きあっているのである。…

翻訳 中村安志


 月明かりに白く照らされた道を、とぼとぼと歩く情景は、寂しげなメロディーだけでなく、歌詞を聴き続けるほど、ますます悲しみを連想させるものになりましたが、ジョビンにとっては、このアルバムが発売を境に、斬新な作品を世に送り出し、ブラジル内外で高い評価を得ていく流れが始まることになりました。ボサノヴァの幕開けは、「Chega de saudade」だけでなく、複数のこうした歌が集められたアルバムにより告げられています。

↑Monica Salmasoが歌う、「Estrada branca」。
途中、「Tua falta(君がいない)」の部分を、相方のフルーティストTecoに向かって、「Tua flauta(あなたのフルート)」と言い換えているところは、機転の利くブラジル人歌手の魅力の1つ。

著者プロフィール●音楽大好き。自らもスペインの名工ベルナベ作10弦ギターを奏でる外交官。通算7年半駐在したブラジルで1992年国連地球サミット、2016年リオ五輪などに従事。その他ベルギーに2年余、一昨年まで米国ボストンに3年半駐在。Bで始まる場所ばかりなのは、ただの偶然とのこと。ちなみに、中村氏は、あのブラジル音楽、ジャズフルート奏者、城戸夕果さんの夫君でもあります。

(ラティーナ2022年8月)


ここから先は

0字

このマガジンを購読すると、世界の音楽情報誌「ラティーナ」が新たに発信する特集記事や連載記事に全てアクセスできます。「ラティーナ」の過去のアーカイブにもアクセス可能です。現在、2017年から2020年までの3.5年分のアーカイブのアップが完了しています。

「みんな違って、みんないい!」広い世界の多様な音楽を紹介してきた世界の音楽情報誌「ラティーナ」がweb版に生まれ変わります。 あなたの生活…