[2024.6]【タンゴ界隈そぞろ歩き⑮】G7サミット開催記念、プーリアゆかりのタンゴ人
文●吉村 俊司 Texto por Shunji Yoshimura
6月13日~15日にイタリアのプーリアでG7サミットが開催されたことは皆様ご存じかと思う。プーリア (Puglia) というのはイタリア南部の州の一つで、イタリアをブーツになぞらえるとかかとの部分に相当する地域である。平地が多くイタリアの穀倉地帯に相当し、ワインの生産も盛んだ。州都はバーリ。
ミラノの人をミラネーゼと言うように、プーリアの人を表す言葉はプーリエーゼで、puglieseと綴る。これをスペイン語ではプグリエーセと発音する。そう、タンゴファンなら知らない人のいない名前、プグリエーセは「プーリアの人」なのだ。
オスバルド・プグリエーセのルーツ
偉大なピアニスト、作曲家、楽団指揮者であったオスバルド・プグリエーセ (Osvaldo Pugliese, 1905-1995) はアルゼンチンのブエノスアイレス生まれ。靴職人でありアマチュアのフルーティストでもあった父アドルフォ・プグリエーセと母アウレリア・テラーニョの間に生まれた。アドルフォの両親はイタリアからの移民ロケ・プーリエーゼとフィロメナ・ヴルカーノで、1880年頃モンテビデオに到着してその後ブエノスアイレスに移った[1]。家系ソーシャルネットワーキングサービスのGeni.comによればロケ・プーリエーゼはバジリカータ州マテーラ県トリカーリコの出身らしい。バジリカータ州はプーリア州の隣に位置する。
直接たどれる範囲ではプーリア出身というわけではなかったが、プーリエーゼ姓である以上どこかでプーリアと縁があるのだろう。
[1] OSVALDO PUGLIESE: SU OBRA, SUS MUSICOS, SU ORQUESTA (Buenos Aires Tango Club, Año 1o - Numero 1o - Diciembre 1996)
プグリッシ、プグリア
プーリアを連想させる名前を持つタンゴ人は他にもいる。まずはバイオリニスト、作曲家、楽団指揮者のカジェタノ・プグリッシ (Cayetano Puglisi, 1902-1968)。彼はイタリアのシチリア島メッシーナ出身で、1909年にブエノスアイレスにやってきた。クラシックのバイオリンを学ぶ傍ら十代の少年時代からタンゴの演奏も始め、やがてロベルト・フィルポに認められて楽団のメンバーとなる。ペドロ・マフィアの楽団を経て1928年に自身の楽団を結成。1929年に録音された「ラ・クンパルシータ」は本連載でも取り上げた。
その後も多くの有名アーティストの楽団や自身の楽団で活躍した名手である。彼の名前のプグリッシ Puglisi (イタリア語の発音ではプーリージ) はプーリア出身者を表すシチリア語 pugghisi に由来する。やはりプーリアゆかりの家系ということだろう。
ホセ・アドルフォ・プグリア (José Adolfo Puglia, 1921-2009) というピアニスト、作曲家、指揮者がいる。ウルグアイのモンテビデオ出身で、バンドネオン奏者のエドガルド・ペドローサ (Edgardo Pedroza, 1926-2000) とのコンビによるプグリア=ペドローサ楽団 (Orquesta Puglia-Pedroza) で人気を博した。彼の家系までは調べられなかったが、姓はプーリアそのものを指している。歌手フィオレンティーノが亡くなる直前に遺したレコードはプグリア=ペドローサ楽団の伴奏によるものだった。
プーリア出身のタンゴ人は?
姓がプーリア由来である人以外に、直接プーリア出身の家系であることが明らかなタンゴ人はいるだろうか。元々イタリア系移民の多いブエノスアイレスなので、2代、3代遡ればプーリア出身という人はおそらくそれなりの人数になると予想されるが、今回は十分には調べきれなかった。それでもタンゴ情報サイトTodotango.comの検索などで何人かは見つけられたので、以下に紹介する (人名の言語表記にTodotango.comの該当記事へのリンクを貼っておく)。
スペインのカディス出身のエロイサ・デルビル・デ・シルバ (Eloísa D'Herbil de Silva, 1847-1943) は天才少女ピアニストとして「スカートをはいたショパン」と呼ばれた人物。早くから作曲も手掛け、1868年にアルゼンチンに居を移すとタンゴの作曲も行った。時代はまだタンゴそのものが黎明期であった19世紀後半であり、最初の女性タンゴ作曲家として名を残している。彼女の母方の祖父はプーリア州フォッジャの公爵だったという。下の映像は彼女の作品の一つ「ケ・シ・ケ・ノ」(Que sí que no) を近年ピアノとフルートのデュオ、プラセンティ=ブルンドが演奏したもの。
ピアニストで作曲家のニコラス・ベローナ (Nicolás Verona, 1896-1949) はカルロス・ガルデルも歌った「ウナ・ラグリマ」(Una lagrima, 作詞はエウヘニオ・カルデナス) の作曲者であり、またアルゼンチンにおけるジャズのパイオニアでもあった。彼の出身地はプーリア州レッチェ県ガッリーポリ。
チェリスト、ピアニスト、トロンボーン奏者、楽団指揮者、作曲家のサルバドール・メリコ (Salvador Merico, 1886-1969) は歌手アスセナ・マイサニとリベルタ・ラマルケを育てた人物であり、また多くのタンゴを作曲している。出身地はプーリア州バルレッタ=アンドリア=トラーニ県アンドリア。
バンドネオン奏者、楽団指揮者、作詞作曲家のフランシスコ・ラウロ (Francisco Lauro, 1897-1960) は1938年頃に立ち上げた楽団《ロス・メンドシーノス》(Los Mendocinos) を率いて活躍した。彼のニックネームは「ターノ」。ナポリターノのターノだが、ニュアンスは「イタリア人」ぐらいなのだろう。実際にはプーリア州バーリ県モーラの出身である。
そして、そのラウロの楽団に短期間在籍したこともあるバンドネオン奏者、楽団指揮者、作曲家のアストル・ピアソラ (Astor Piazzolla, 1921-1992)。経歴は改めて述べるまでもないだろう。彼自身はアルゼンチンのマル・デル・プラタの出身で、父ビセンテ・ピアソラ、母アスンタ・マネティも同地の出身だが、ビセンテの父パンタレオン・ピアソラ (ピアッツォーラ) はプーリア州バルレッタ=アンドリア=トラーニ県トラーニの出身である。彼はオスバルド・プグリエーセに対して「自分もプグリエーセだ」とジョークを飛ばしていたのだそうだ。
まとめ
以上、最近行われたG7サミットの開催地、プーリアにゆかりのあるタンゴ人をまとめてみた。特段の脈絡はないものの、イタリアからの移民がタンゴに多くのものをもたらしたことの片鱗がうかがえる。
文中登場した人物にまつわる音源をいつものようにプレイリストにまとめてみた。なお1のプグリエーセはイタリアの香りのする楽曲を選んだ。4は文中でも述べたニコラス・ベローナの作品、5はサルバドール・メリコの作品である。7はピアソラがプグリエーセの作品を演奏したもの。お楽しみいただければ幸いである。
(ラティーナ2024年6月)
ここから先は
世界の音楽情報誌「ラティーナ」
「みんな違って、みんないい!」広い世界の多様な音楽を紹介してきた世界の音楽情報誌「ラティーナ」がweb版に生まれ変わります。 あなたの生活…