[2025.1]ブラジル北東部マセイオ出身の新世代アーティスト〜ブルーノ・ベルリ 来日インタビュー
文:中原 仁
2022年、UKのFar Outからリリースされたワールド・デビュー・アルバム『No Reino dos Afetos』が日本でも話題となり、同年の「ブラジル・ディスク大賞」で関係者投票の3位にランクインした、北東部アラゴアス州マセイオ出身のシンガー・ソングライター、ブルーノ・ベルリ。現在はサンパウロに住んでいる。
2024年4月に『No Reino dos Afetos 2』をリリース。11月に共同プロデューサー/トラック・メイカーのバタータ・ボーイと共に初来日、「FESTIVAL de FRUE 2024」に出演した。東京での単独ライヴも行ない、キャパ100人のハコながら早々にチケット完売。ライヴの評判も上々で、アルバムは「2024年ブラジル・ディスク大賞」で一般投票、関係者投票とも6位にランクインした。
インタビューはFRUE出演後の11月5日、東京のJ-WAVEスタジオで行なった。キーボードの弾き語りで生演奏している時、窓の外に夕闇が迫る風景と、ブルーノの曲と歌声がとても快くマッチして、彼の音楽が聴き手それぞれに風景(心象風景も含む)を想起させるマジカルな力を備えていることを実感した。
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── 最初に、少年時代から音楽家になるまでの歩みを知りたい。
ブルーノ・ベルリ(以下BB) 僕は2歳で歌い始め7歳で、若い頃に音楽家を目指していた父親からギターを習った。お祭りや学校などでプロとして演奏し、15歳で地元のラジオ局、レストランやバー出演した。その後、いったん音楽を休んで数学を学び、20歳で音楽に戻って作曲を始め、シンガー・ソングライターになった。
── どんな音楽を聴いてきた?
BB ブラジルは音楽があふれている国だから、子供の頃からあらゆる音楽を聴いてきた。特に北東部を代表する音楽、フォホー。レゲエ。ブレーガ。ジャヴァンの音楽。叔父がチタンス、シャーリー・ブラウン・ジュニオなどのロックのレコードも聴かせてくれた。なんでも聴いたよ。僕自身も音楽家として、人が楽しんでもらえるポピュラー音楽を演奏していた。さまざまな音楽の要素をミックスしたミュージシャンだった。
── マセイオは、今、君が名前を出したジャヴァンの出身地でもあるが、日本ではあまり知られていない都市なので、観光大使になったつもりでマセイオを紹介してほしい。
BB マセイオは、ブラジル北東部アラゴアス州の州都。真っ青なビーチの美しさは世界一だと思う。ムンダウー湖という美しい湖では、スルルーという名前の美味しい貝が獲れる。人々の気質は、穏やかで、静かで、優しい。音楽だけでなく、文学、映画など、文化もとても豊かだ。6月に行なわれるサンジョアン祭は、僕が思うに、ブラジルで最も美しい祭りだ。僕が住んでいた地区では祭りのさまざまなアトラクションがあって、僕は踊りまくっていた。人々のダンスも、とても上手だ。そんな自分の少年時代に、とてもサウダージを感じる。
── 今から40年近く前、ジャヴァンにインタビューした時、彼も今、君が話したようなことを語っていたよ。
BB わー!!嬉しい。僕が大好きで、とても尊敬しているジャヴァンが、僕が生まれる前にそう言ってたなんて!その後もジャヴァンに会った?
── うん。日本でも、リオの家に行ってインタビューしたことも、レコーディング中のスタジオに行ったこともある。
BB 最高だね、、、(注:ブルーノが興奮、ここからジャヴァンの話に脱線)
Bruno Berle - Te Amar Eterno (Official Video)
── そろそろ君の話に戻って(笑)『No Reino dos Afetos』から『No Reino dos Afetos 2』への変化は、どんなところにある?
BB 最大の違いは、制作のプロセスだと思う。ファースト・アルバムは、少ないリソースで、自家製で、親密で、実験的でもある。セカンド・アルバムには、もっとたくさんのものが詰まっている。自宅録音もあるけど、スタジオでもいろんな楽器を録音し、ミックスし、マスタリングしたので、よりプロフェッショナルで、より音が強力になった。ミックスとマスタリングの違いはあるけれど、曲の構成、テーマ、グルーヴなどは、最初に曲を作り始めた2016年か2017年から、セカンドを作った2022年まで、共通する土壌にある。
── この2作品でプロダクション・チームを組み、一緒に来日しているバタータ・ボーイとの出会いは?
BB マセイオのインディー・ロック・バンドの友人が、僕たちも使ってるスタジオでバタータがドラムを叩いているビデオを見せてくれた。それを見てビックリしたんだ。なんて美しく、なんてクールな演奏の仕方なんだろうと。それからしばらくして、僕たちがマセイオのビーチを歩いていたときに、手にギターを持ったバタータを見つけたので声をかけたんだ。「君のファンだ」と言って写真を撮った。そして2016年頃から、彼のホームスタジオで一緒に音楽を作り始め、僕たちがサンパウロに移ってからも歩みを止めることなく、音楽作りを続けてきた。
── 君たちが出会ったのはバタータ・ボーイが10代の頃だよね。当時の彼はドラムスを演奏し、ギターを持ち、と君は話したが、今回の日本のライヴでは彼はベースを弾き、ピアノを弾き、Macを使い、、、
BB 彼は最も信頼する音楽のパートナー、マルチ・ミュージシャン、そして友人なんだ。さっきの話を続けると、ファースト・アルバムの制作時期はパンデミックで、同じ街に住んでいても会えない日々があったので、僕が完全に1人で録音した曲も、別々に録音した曲もある。たとえば「Quero Dizer」はバタータが1人でトラックを録音して、その後で僕が歌を録音した。セカンドは録音からミックスまで、完全に2人一緒に行なった。バタータにとっても、マセイオから大都会のサンパウロに越して新たな出会い、刺激を体験した成果が出ている。そんなアルバムだ。
Bruno Berle e Batata Boy - Quero Dizer
2024年リリース、バタータ・ボーイのリーダー作。ブルーノも参加。
── 『No Reino dos Afetos 2』に話を戻して、ほとんどの曲が君の自作だが、ドメニコ・ランセロッチの「Margem do Céu」(注:ドメニコの2021年盤『Raio』収録曲。ドメニコとブルーノ・ヂ・ルーロ共作)をカヴァー、というかオリジナル録音のサンプリング?引用?も行なっていたね。
BB 僕とバタータはサンパウロで、彼がビートを出して僕がそれに乗せて歌う、シンプルなスタイルのショーを始めていた。“ボイス&ビート” タイプの曲を探していたら、この曲に出会って気に入り、曲のテンポを上げて、少し大きな声音を加えた。共通の友人を通じてドメニコに会った時、この曲を録音したいと言ったら彼は喜んで、彼が録音したトラックを、僕がテンポを上げてミックスして使うことを許可してくれたんだ。
Margem Do Céu / Bruno Berle
Margem do Céu / Domenico Lancellotti
── 『No Reino dos Afetos』の2年のサイクルを経て、今後へのヴィジョンは?
BB この2年間が、そして今、経験していることが僕に何をもたらすか、ずっと考えてきたわけではない。すべては『No Reino dos Afetos』から始まったことだからね。これからたくさん作曲して、たくさんのアルバムを録音して、たくさんのアイデアを世界に発信したい。僕はヨーロッパに行くことができて、日本でも素晴らしい歓迎をされた。言葉で言い表せない、夢のような思いだ。ブラジルと日本には神秘的な関係がある。これまでブラジルから大勢のアーティストが来た日本に来られたことはとても嬉しいし、僕が心の底から敬愛しているジャヴァンが日本でも人気があることを知れて、とても嬉しいよ。僕もこれから先、日本に何度も帰ってきたい。
最後はまたまたジャヴァン礼賛。ホントに同郷のジャヴァンを好きで尊敬してるんだなあ、という想いがひしひしと伝わってきた。
同郷といえば、ブルーノとバタータのコンビが共同プロデュースしたマセイオのミュージシャン、ナイロン・イーゴル(Nyron Higor)のワールド・デビュー・アルバムが1月31日にFar Outからリリースされる。2025年、マセイオ新世代に注目していこう。
(Colaboração : FRUE, Angela Nozaki)
(ラティーナ2025年1月)
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