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[2023.5]【島々百景 第83回】 第二節 あとがきにかえて

宮沢さんの連載「島々百景」はここで一区切りといたします。しばらくお休みしまして、再開する予定です。再開時期は未定ですが、それまでお待ちください。
なお、今までの連載については書籍化する予定です。こちらについても発売までお待ちください!

編集部

●文と写真:宮沢和史

 以前、この『島々百景』をまとめて書籍化したのだが、あれから時が流れ、一定数のページが貯まり、このたび “第二節” として発表することになった。まずはこの場を借りてe-magazine LATINAの編集部の皆さん、文中に登場してくださった方々、そして、何よりもこの連載を応援し購読してくださった方々に心からお礼を申し上げたい。

 宮沢がこれまで出会ってきたislandとしての “島” を紹介するところから始まった連載ではあるが、「自分たちのテリトリーとしてのコミュニティー」という意味での “シマ” を取り上げることも少なくなかった。THE BOOMの楽曲『島唄』は “island song” という認識のもと作詞作曲したが、のちに、そもそも『シマウタ』というのは奄美大島地域における民謡を指す言葉として使われているいうことを知る。そこで言う “シマ” は “島” ではなく、地域の共同体を指す言葉、要するにテリトリーである。「ウチのシマはオタクのシマとは違う」というように使うあのシマなわけである。現代人である我々は奄美諸島、沖縄諸島、などの琉球弧を思い浮かべる時、鳥瞰図で捉えようとする。しかし、かつては自分たちの “地域” こそが世界の中心であり、“シマ 対 それ以外” という相対性が生活の基盤、基礎としてまずあって、その関係性から生まれる出来事の一つ一つが社会生活となっていたんだと思う。「社会の中の一地域」という概念ではなく、あくまでも「シマ 対 他所シマ」という考え方で世界を捉えていたのだと思う。他所のシマとウチは違う。他所のウタとウチのは違う。ということを強調する意味合いも込めてシマウタと呼んでいたのではないだろうか?

 沖縄でも民謡のことをシマウタと呼ぶ場合がある。これは、奄美で使われているその言葉が沖縄でもしっくりくるということから、民謡に関わる放送メディア発信で「積極的にこの言葉を使っていこう」という気運になったいう話を聞いたことがある。ただ、自分が楽曲『島唄』を書こうとした時、もちろん “しまうた” と言う言葉は耳にしていたが、多くの人々は “民謡” という言い方をしていた。自分としてはこの “しまうた” という言葉があまりにも美しく感じられたので、自作曲のタイトルにしたというわけだ。当時沖縄の人たちがみな民謡を “しまうた” と呼んでいたとしたら、もちろんこのタイトルはつけていない。

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