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[2023.4]追悼 : 坂本龍一が去った世界

文●宮沢 和史 texto por Kazufumi Miyazawa

 何から書き始めていいか分からない。坂本さんの音楽への思いや、坂本さんとのいくつかの思い出を語れば、与えられた文字数でこの原稿を埋めることはできるだろう。だが、そんなものはどうでもいい気がしてきた。世界中の音楽家、音楽ファンの心に流れていた大きなひとつの水系を我々は失くしてしまったのだ。今はまだその水脈の素晴らしさや、そこからいただいた恵み、そこでの思い出を語る気にはなれない。

 世界中の音楽家、音楽ファンと書いたが、その他の芸術家・映画関係者・ファッション界・広告界・芸能界・出版界・執筆家・政治家・教育者・社会活動家・環境活動家・・・・、様々な環境の第一線にいる人間たちに坂本さんは多大なる影響を与え続けてきた。もっと言えば、80年代初頭にYellow Magic Orchestraを熱狂的に支持した人たちの多くは音楽家、音楽ファンや今列挙したカテゴリーの人たちの何倍もの数の一般の人たちだったことを忘れてはならない。こんなにも全方向に影響を与えた音楽家がこれまで日本にいただろうか?そして、その影響力は日本列島を越え世界へと浸透していった。ひとつの水系が蛇行しながら大地を洗い、その周辺に棲むすべての生物に慈愛の恵みをもたらすかのように……。

 東京芸術大学音楽学部作曲科を卒業し、大学院に進み “教授” と呼ばれた人がアカデミックな世界だけに舵を切らず、我々が暮らす地平の大衆音楽に身を置こうとしていることが、ファンのひとりでありながら当時大いなる疑問でもあった。初期の名盤中の名盤『千のナイフ』『B-2 UNIT』を聴いても実験的音楽の革命児であることは間違いなかった。しかし、Yellow Magic Orchestraというプロジェクトが、当時歌のない音楽がヒットチャートに入ることはなかった(今もないが)状況の中で、奇才3人の融合による予測不能な作用で最先端の実験的音楽をポピュラー音楽として商品化させ、ヒットさせたことは今振り返ってみても、前例のない奇跡であり、今後も稀な事例であることは間違いない。世の中の価値観をひっくり返すトピックというものは長い時が経って振り返ってみれば、もはや、常識の範疇に置かれるものだが、彼ら3人の功績は今の価値観で測っても鳥肌が立つほど刺激的でスマートだ。坂本さんは音楽家として何かに所属することを拒んできたのではないか。ただただ、作曲者として、音響創造者として存在していたかったのではないか? “○○家” という肩書きさえも便宜上の “呼ばれ名” でしかなくて、最良の音を選びとり、それらを美しく羅列し構築し、最高の品質に高めた作品として世の中に解放する人。それが坂本龍一の本質だったのではないだろうか? 坂本音楽の最大の魅力はその “音の良さ” に尽きる。それはアナログ期からデジタル期へと変移し遺作である『12』までの年表の中で、一貫して揺るぎないものだった。70年代~80年代、細野晴臣、高橋幸宏、友部正人、山下達郎、大貫妙子、矢野顕子、渡辺香津美、KYLYNのメンバー、鈴木慶一、大村憲司、鮎川誠、などなど、日本が誇るトップアーティストの人脈すべてが影響し合い、日本の音楽の川は水量と栄養度を増し、日本の大地の上に、その下に流れる確固たる水脈となった。だが、思うのだ。もしそこに坂本龍一がいなかったとしたら、日本、いや世界の音楽シーンは全く違ったものになっていたのではないかと……。今僕らは坂本龍一を失い、今後の音楽界が、この世界そのものが、どんな風に流れていくのか……?そのことが少し不安になり、今ひとつ身震いをした。 

4月8日 2023年 宮沢和史

(ラティーナ2023年4月)


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