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[2021.11]【沖縄・奄美の島々を彩る歌と踊り16】 沖縄・奄美における悲劇の女性伝説と歌

文:久万田くまだすすむ(沖縄県立芸術大学・教授)

 奄美から沖縄本島、そして宮古、八重山の島々には多くの悲しい女性の伝説が伝わっている。これらの島々に暮らす人々にとって、まだ文字もないはるかな昔から、「歌」とは衝撃的なできごとや皆で共有したい感情を心に留めるための、さらには後世に遺し伝えるための唯一の手段であった。いわば、歌とは出来事を人々の心に保管する記憶装置でもあった。

 ある悲劇的な結末を迎えた女性がいた。その女性のこと、事件のことは皆で決して忘れず、後世に伝えていかなければならない。そのために事件を「歌」として残す。人々はその歌を歌い、聞くたびに、女性の悲しい生涯をあわれみ、慟哭し、女性の魂に哀悼の思いを捧げる。歌い継がれることで、その女性は人々の心の中に生き続けるのである。
 ここでは、島々に伝わる悲劇的女性の伝説歌から、宮古と奄美の二つの例を紹介してみたい。

●宮古諸島:平安名ぴゃうなのマムヤ伝説

 昔、宮古島東端の東平安名崎に近い保良ぼら村に、マムヤという美しい女性が暮らしていた。多くの男たちが求婚に言い寄ってくるので、マムヤは突然姿を隠してしまった。ある日、城辺一帯を支配している野城ぬぐすく按司が平安名崎の近くの海に行き、家来達と網で魚を獲っていた。すると岬の崖を少し下りたところの洞窟から機を織る音が聞こえてくる。野城按司はその洞窟に入り、マムヤと出会う。野城按司はその美しさに見とれて求婚するが、なかなか承諾されない。そこで芭蕉糸つなぎと石垣積みの勝負を申し込む。野城按司は家来らの助力によって勝ち、美しいマムヤに妻にする。しかし、按司には既に妻子がいた。「将来のことを思えばニフニリ(香草)の香りがするマムヤより、糞尿の香りがしても本妻の方がいい」と諭されてマムヤを見捨てる。絶望したマムヤは断崖絶壁から身を投げ自らの命を断った。それを知った母親は「再びこの村に美人が生まれないように…」と神に祈った。マムヤが身につけていた衣が岩の端に引っかかり、北風が吹くと南になびき、南風が吹くと北へなびいて、人々の哀れをさそったという。

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