[2002.1]古澤巌&アサド兄弟、インタビュー〜領域の垣根を飛び越えた3人が到達した音楽とは
文●阿部浩二
ギタリストの間では高い評価を得ているアサド兄弟が、今回で2度目となる、ヴァイオリニスト古澤巌との共演盤『ブラジルの風』の発売にあわせ来日した。ツアーの合間、3人に話を聞いてみた。
── まず最初に、古澤さんとアサド兄弟さんで一緒に演奏するようになったいきさつを教えてくれますか?
古澤(以下F) ええ、あれは、4年前かな、ちょうどピアソラが流行っていた頃で、渋谷のコクーンで、ピアソラ祭みたいなのをやっていたんですよ。で、彼らがその沢山のアーティストの内の一組として出ていて、僕はたまたま、それを聴いたんですけれども、すごいな、と思いまして。本当に素晴らしいなと思い、出来れば一緒に演奏して、彼らから何かを学びたい、と思ったんですよ。それで、楽屋まで、押し掛けてしまったんです。
で、普通、素晴らしいなあ、と思っても、でも僕には関係ない、と思うことの方が多いんだけれども、彼らの演奏の中には、僕がみたことも聴いたこともない新鮮な音楽の感動があって、それを強烈に取り込みたいと思ったんですね。ほら、なんていうのかな、たとえば、ヨーロッパのサッカーと、ブラジルや、アフリカのサッカーって、全然違うじゃないですか。 僕なんかサッカー部だったからこんな言い方になっちゃうんだけれども、ドイツやイタリアのサッカーをお手本にしてきて、なじんできた人間が初めて、ブラジルのサッカーをみたときの興奮っていうのに近いかな。とにかく、アサド兄弟の音楽の作り方とか、流れとか動き方が、独特じゃないですか。 音楽の切り口として、そういう感じ方というのを目の当たりにして、僕もそんな風にやってみたいと思ったんですね。
── アサド兄弟さんの側から見て古澤さんとは、どのようなイメージなのでしょう。特に今回のCDで2枚目になるわけですが、コラボレーションの質は変わりつつあるのでしょうか?
セルジオ(以下S) 最初の出会いというのは確かに彼は、一人の観客としてであったわけで、そんな彼が、感動した面もちで、是非あなたたちと一緒にやりたい、なんてやってこられた時は正直言って、ちょっと変(笑)な感じがしたよ。実際そんなかたちで仕事を受けたことは、僕らは一度もなかったしね。誰なんだよ、こいつはって。でもそのあとに彼のCDをもらい、聴いてみて、素晴らしいヴァイオリニストであることを知って、よし、やりましょう、となった。でも1枚目のCDの録音は簡単だったとは言えないな。なぜな
ら、まだお互いのことを良く知らないままにスタジオに入ってしまったという事で、それは、人間的に、というよりも、我々がこう出たときに、そっちはどう来るかという音楽的な反応の問題で、その予測がつかなかったというのが難しさの主な点。でもそのあと僕らも映画の仕事なりなんなりで、日本に来て、お互いをもっと良く知るようになった。 そうなってしまえば、あとはもうアイデアも自然なかたちで出てくるし、2枚目はずっとスムーズに進めることが出来たよ。
── 1枚目は、映画音楽、そして2枚目はブラジル音楽、しかも20世紀ブラジル大衆音楽の総括のようなかたちになっていますけれども、これはセルジオさんのアイデアなのですか?
S うん、たしか、1枚目を録り終えた時点で、僕が言ったような気がするなあ。僕らもブラジル人なので、それはごく自然な事として出来るし、古澤にとっても、まあ彼はブラジル音楽のエキスパートと言うわけではないけれど、ボサノヴァなどは耳なじみのあるものだし、それにどうやら彼も、今回の録音に向けては相当色々聴いて勉強したみたいで、スタジオに入った時点ではもう、ブラジルのセンチメントで弾いていたね。
3人のコラボレーションの1作目『出会い』
── 今回の選曲で面白いなあと思ったのは、たとえばヴィラ=ロボスであるとか、ジスモンチの作品などは、ギターのレパートリーとしてはポピュラーであるけれども、そこを越えて、カルトーラであるとかミルトンの作品を入れているところです。これらのレパートリーは既にアサド兄弟さんたちの中ではあったものなのですか?
S いや、こういった試みは初めてだね。正確に言えば、88年に我々は『アルマ・ブラジレイラ(ブラジルの魂)』というアルバムを出していて、その中で、クラシカルであるヴィラ=ロボスやマルロス・ノブリの作品とともに、ポピュラーであるジスモンチや、エルメート、ワギネル・チゾの作品などを混ぜ合わせている。その当時は、クラシックとかポピュラーという呼び名で隔てられている閾を取り除くことが必要だと感じたんだ。僕はいつも不思議に思うのだけれども、クラシックっていうのは、ポピュラー・ミュージックよりもずっと民謡に近いものだと思っているんだけどもね。
で、今回のレコーディングでは、ポピュラーな曲を思いっきりクラシカルにやってみようということが目的だった。どの曲もブラジルでは有名な曲だけれども、原曲を知らない人にとっては、これってクラシック? と思えるようなアレンジを試みてみたんだ。編成がギターとヴァイオリンということもあって、うまくいったと思っているよ。
── アサド兄弟さんたちは色々な楽器の人たちと共演なされていますけれども、ヴァイオリンと共演する上で気を付けるべき点とかはあるんですか?
S ブラジル音楽ということでいえば、ヴァイオリンという楽器はあまり伝統的な楽器とはいいがたい。まあ、バッキングとしてのストリングというかたちならば、あったけれども。ソリストとして有名な人となると、僕の記憶では、50年代にファファ・レモスという人がいただけだ。だが、旋律をとるのにブラジルではたいてい、フルートだったね。それにバンドリン。最近ではパウロ・セルジオ・サントスの影響か、クラリネットも増えている。ヴァイオリンで旋律を弾く人がもっと増えれば、この楽器ももっと注目されるようになるだろう。要は、誰が弾くか、ということが問題なのであって、どの楽器なのか、ということはあまり問題にならない。
オダイル(以下O) ブラジル音楽で重要なのは、サウンドと共に、声がある。 ヴァイオリンは、まあ言ってみれば声のようなものだ。古澤は俺たちのアンサンブルの中で声を担当したようなものだな。なあ、ミスター・ヴォーカル(笑)!
── ライヴでは2人で4本のギターを使い分けていらっしゃいましたが、まあ、2本はノーマルなギターだとして、残りのギターはどういうものだったのですか。
S 僕が、4度そっくり低いギターで、オダイルは、4度高いギターだ。つまり、6弦の位置に、低いB音のでる7弦を張り、 5弦の位置に6弦を張って、最後に、1弦は張らない、といった具合だ。オダイルの方は逆に、1弦を張る場所に1弦よりも細い弦を張り、徐々にずらしていくかたちになる。
── ということはそれ用の譜面を用意して、ということですか?
S そうだね、3つの違ったキーで譜面を書かなければならないときもある。ヴァイオリンがDメジャーで僕が、Gメジャー、オダイルのためには、Aメジャーといった具合だ。
O あとは読むだけ。
F オーケストラのクラリネットと同じようなものだね。
S・O そういうこと。
── アレンジについて伺いたいのですが、これはセルジオさんが一手に引き受けてらっしゃるのでしょうか、それとも3人で作り上げていく部分というのもあるのでしょうか。
S まあ基本的に僕一人でやっているよ。 オダイルについては、もう彼が何が出来て、何が好きで、我々として何が出来るかは、充分にわかっていることだし、古澤についても、彼がどんな仕事が出来るかは証明済みだしね。
── では、「あらゆる感情」のイントロで使われているヴァイオリンのカデンツァもセルジオさんが作ったんですか?僕は、あまりにも現代音楽のヴァイオリンの手癖みたいなものを感じたので、古澤さんが作ったのかと思いましたけれども。
F それはね、僕がいけないんでね、ヴァイオリン弾きっていうのは、ヴァイオリンを弾くように訓練されているから、ついついヴァイオリン的に弾こうとしちゃうんですよ。
ほんとにセルジオの頭の中ってのはどうなってるんだろうと思うんだけど、彼から譜面が送られてきて自分なりにさらって見るんだけれど、いや、彼の頭の中で鳴っている音はそうじゃない、とか、実際あわせてみて、彼の感じているところで、弾くのが最初はとても大変でしたよ。
S 譜面にすると言うことでは頭になっている音を書けばいいだけなんですが、僕はギタリストなわけで、ギターは4度チューニングの楽器だけれども、ヴァイオリンは5度チューニングの楽器なので、2音同時に弾くときの運指はどうなんだろうかと疑問に思うときもありました。
F それは僕がダブルストップ(2音同時弾き)がへたくそなだけでね(笑)。いや、でも難しさって言うのは、譜面の問題ではないんで、どんなに難しい譜面でも練習すれば何とかなるんだけれども、それよりも、セルジオのアレンジする譜面が、そんなヴァイオリンの癖のようなものを伴って弾くべきものかどうかと言うことなんだよ。
S いや、でもあのカデンツァは僕は、クラッシックとして書いたわけだからそれはかまわないんだよ。
── なんだか話しが錯綜してきましたね。
F 僕の方がもっと彼に聞きたいことがいっぱいあるんだよ(笑)。
セルジオのアレンジは、ポピュラーを素材にとって、それをクラシカルにアレンジするってさっき言ったけど、単純にそういう作業じゃないんじゃないかって思うんですよ。それはやっぱり、クラシックというよりもセルジオの音楽というべきで、クラシックっぽくなったとも思わない。たとえば、今まで、いろんなクラシックの演奏家が、たとえばビートルズかなんかをやったときの居心地の悪さみたいなのを全然感じないんだよね。僕は、このプロジェクトで、初めて、クラシックと他のジャンルを合体させて、全く新しいものを作るという方法を見させてもらったという気がするんですよ。
S サンキュー。
O あのね、譜面がどうだっていうこともあるけどね、誰が弾くかっていうことが大事なのよ。ポピュラー・フィーリングを持ってるかどうかっていうこと。まあ今回は、ブラジル曲集だからおれたちにはオリジナルのフィーリングもばっちりあるんで、2つが溶けあうのは当然のことなんだな。
F 僕は今まで、いろんなタイプの演奏会をやってきて、もっとずっと手の込んだクラッシックの作品とか、バンド形式のものとか、色々エンターテイメントを手掛けてきたつもりなんだけど、今回が一番お客さんの反応が良かったのね。で、それは何でだろうって考えたんだけど、今オダイルが言ったポピュラーな感覚で弾くという気持ちをお客さんとともにする事が出来たのかなあと思ったんですよ。実際、これほど、クラシカル・スタイルというものを意識しないでフリーな感覚で弾いたのは初めてかも知れません。
── ライナーの中でセルジオさんが書いていらしたんですが、取り上げられなかった幾人かの重要な作曲家たちがあり、それはこれからの企画の中で、とあったのですが、3作目の構想のようなものは何かできているのでしょうか?
S そのことについてはちょっとした話しもしたけれど、ツアーが始まったのがおとといで、今はコンサートのことについて、明日のことについて考えなければいけないことがいっぱいあるので、まだ、早すぎますね、その話題は。
O やっと今、俺たちはやっていることを楽しみ始めたばっかりなんだからさ。
S スポーツと一緒だね、チャンピオンになった、と、翌日からもう、来年は? になるんだから。
── では、3人のプロジェクトの方は置いとくとして、アサド兄弟さんの活動予定の方はどうなっていますか?
O はい、私にはヴァケーションが待っております(笑)。
S 僕の方は、えー、えー、まあ、わかるでしょ、書かなければいけない譜面がいっぱい。来年はもう予定がきっちり詰まっていて、アメリカやヨーロッパのツアーもあります。
── 最後にお聞きしたいんですが、古澤さんは、たとえば、ステファン・グラッペリと共演したり、ジプシーを手掛けたり、最近はアイリッシュもやっていると聞きますが、そうした脱領域の彼方に何を見つめているのでしょうか?
F やっぱり自分がクラシックのフィールドで育ったから、その型や枠にはめられて、育っているとは思うんですよ。その枠を自分から外そうとして色々やってきたとは言えますがね。それにヴァイオリンという楽器もあまポップス側で使われてないでしょ。 それはやっぱり扱いが難しかったんですよ。音程ははずれやすいし、きれいにでないし、うまい下手が聞けば歴然としてしまう楽器の一つじゃあないですか。 そこら辺が、ギターとか、ピアノとかと違うところで。 それで、ポップス側では敬遠したと思うんですよね。だから、単純に、クラシックを捨てて、ポップスの側に行きたい、ということではなくて、自分が知らずに背負わされてきた枠組みのようなものから自由になって、それこそ、クラシックでも、ポップスも関係ない、しかし素晴らしい世界をつくれればなあと思っているんですよ。
(月刊ラティーナ2002年1月号)
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