[2024.8] 【映画評】酷暑の夏に観る長尺の傑作2本〜『夜の外側 イタリアを震撼させた55日間』 『至福のレストラン/三つ星トロワグロ』
酷暑の夏に観る長尺の傑作2本
『夜の外側 イタリアを震撼させた55日間』
『至福のレストラン/三つ星トロワグロ』
文●圷 滋夫(映画・音楽ライター)
インド映画が長いのは、自宅にまだ冷房が完備されていない庶民が、暑さをしのいで涼むのを目的の一つとして映画館を訪れるからで、短いと早く外に出なければならないのでクレームが入る。と、真偽の程が分からない話を聞いたことがあるが、日本でもこれだけ暑い日が続くと、こんな話ももっともらしいと信じたくなってしまう。さて相変わらず猛暑が続く8月、かなりの長尺作品、しかも長さをまったく感じさせない傑作が2本公開される。
まずはイタリアが世界に誇る名匠マルコ・ベロッキオ監督による『夜の外側 イタリアを震撼させた55日間』。1978年に国中を揺るがしたイタリア現代史に汚点を残す“アルド・モーロ元首相誘拐事件”を、複数の視点から重層的に描いた340分(5時間40分)の一大巨編だ。2022年のカンヌ国際映画祭でプレミア上映され、イタリアでは前後編に分けて劇場公開、その後RAI(イタリア国営放送)で放送されて高視聴率を取っている。ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞(イタリアで最も権威のある映画賞)では17部門で18ノミネートを受け、監督賞、主演男優賞、編集賞、メイクアップ賞を受賞。日本でも170分ずつの前後編に分けて、8月9日から公開が始まっている。
本作は6章に分かれ、すべての章が定型のタイトル・ロールとエンド・ロールが流れるフォーマットに則っているので、リミテッド・シリーズの連続ドラマと言ってもいいだろう。しかしその陰影に富んだ重厚な映像と、登場人物それぞれの立場から様々な思惑が交錯する骨太な人間ドラマは、「映画だ、ドラマだ」という安直なカテゴライズを嘲笑う(昨今は資本も才能も交流が進んで映画のクォリティを軽く凌ぐドラマも数多く生まれ、区別をする意味はないだろう)かのような威厳と力強さに満ち、その圧倒的な面白さに息を呑んでいるうちに、340分がアッという間に過ぎてゆく。
第1章では、社会的にも政治的にも混乱し、テロが相次いでいた当時のイタリアの状況を背景に、権力闘争の真っ只中で政治を動かしていたモーロの誘拐が描かれる。同時に敵と味方が入り乱れて蠢く政界の実力者や、モーロとは親しい間柄のローマ教皇パウロ8世、夫モーロとの仲に悩む気丈な妻エレオノーラ、誘拐の実行犯である“赤い旅団”のメンバーなど、モーロと直接関係する登場人物が紹介される。そしてその後の各章では、彼らとモーロの関係が各々の視点からより深く描かれ、国家と個人、善と悪、愛と権力など、様々な枠組みの中で揺れ動く、人間の弱さや狡猾さが少しずつ浮き彫りになってゆく。
本作は彼らを取り巻く時代の空気が大衆によって作られ、それがマスコミによって誘導されることも描いて見せる。何より醜悪な政治家たちが自分達に都合のいい政治理論によって人の命を軽んじるという、彼らだけのおぞましい常識をつまびらかにする。このように本作の登場人物たちは誘拐の実行犯だけでなく、様々な立場で各々の常識に従って行動するが、悪人が行った悪がそのまま悪とされるのは当然として、悪人とされていない者が行った悪が悪にはならないのもまた事実だ。本作は半世紀も前の話ではあるが、この状況はそのまま今の日本と地続きなのではないだろうか? そのことが観る者の中に漠然とした闇のような不安を広げてゆく。
現在94歳、ドキュメンタリー界の生きる伝説にして世界中から敬愛される巨匠、フレデリック・ワイズマン監督による最新作が、上映時間240分の『至福のレストラン/三つ星トロワグロ』だ。ワイズマンは1967年のデビュー作『チチカット・フォーリーズ』以来44本のドキュメンタリー作品すべてにおいて、インタビュー、ナレーション、音楽を一切使わないスタイルを貫き、それは本作でも変わらない。これまでバレエ、ダンス、演劇、美術などの芸術関連から、医療、教育、福祉、司法、建築などの行政関連まで、あらゆる分野に切り込み、その時々の“現代社会”を映してきたワイズマンが、初めて料理の世界に飛び込んで描いたのが本作だ。
舞台となるのは、ミシュランガイド最高峰の三つ星を55年間に渡って保持し続け、世界中の美食家たちが憧れるフランス料理の名店トロワグロだ。トロワグロはフランス中部の街ロアンヌで1930年に創業されたが、本作は2017年に周囲の自然と溶け合うように建てられた美しい新店舗を中心に、オーナーシェフ3代目のミッシェルと4代目のセザール、そして多くのスタッフたちが料理に情熱を注ぐ日々を追った作品だ。全米映画批評家協会賞ノンフィクション映画賞をはじめ、世界中の国際映画祭で数多くのドキュメンタリー映画賞を受賞している。
映画は朝市での食材の買い出しから始まり、料理の下ごしらえ、テーブルセッテイング、ランチ前のミーティング、そして開店しランチからディナータイムへと、1日の動きを時系列でカメラが捉える。その合間にはワイナリーやチーズ熟成工場、畜産農家、有機栽培の野菜農園を訪ね、専門家から新たな情報を仕入れて未来への展望を話し合うミッシェルたちの姿が映し出される。さらには新たなメニュー開発のための打ち合わせや試食、併設している宿泊施設の舞台裏を探り、その唯一無二の美味しさや心地良さの秘密を、また店全体で「持続可能な農業と文化」を意味する“パーマカルチャー”に取り組む様子を、カメラは追ってゆく。
料理人、パティシエ、ソムリエ、ホール担当、ホテルのスタッフ。開店後の忙しさの中で、誰もが高いプロ意識を持って無駄なく機敏に動く姿は本当に美しい。特に職人の技術に裏打ちされた創造性を、様々な料理として一皿ごとに具現化する姿を目の当たりにすれば、料理が芸術であるということに深く頷く他はない。そしてミッシェルとセザールがスタッフに声を荒げることなく穏やかに指導する姿や、ホール担当やソムリエが客と料理やワイン、チーズについて楽しそうに語らう姿には幸せなオーラが溢れ出ていて、4時間と言わずいつまでも観ていられるだろう。そんな至福の時が流れるレストラン、それがトロワグロだ。
(ラティーナ2024年8月)
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