[2022.8] 【映画評】 『彼女のいない部屋』『みんなのヴァカンス』⎯⎯ フランスが世界に誇る二人の監督の最高傑作! 小粋で真逆な愛の物語に酔い痴れる。
『彼女のいない部屋』『みんなのヴァカンス』
フランスが世界に誇る二人の監督の最高傑作!
小粋で真逆な愛の物語に酔い痴れる。
文●圷 滋夫(映画・音楽ライター)
映画が好きで観続けている理由は単純だ。脚本の面白さ、画作りの美しさ、俳優の素晴らしさ、描かれたテーマへの共感、そして語り口の斬新さ等々、心揺さぶられる新たな表現に出会いたい、という思いからだ。もちろん良い映画は、それら多くの要素が高い次元でバランスよく結び付いているものだが、その中でも特に斬新な語り口を持った作品に巡り会えるのは年に1、2本といったところで、それだけに出会えた時の衝撃はより一層強くて印象的だ。
例えばここ数年では、『A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー』(18)、『ボーダー 二つの世界』(19)、『幸福なラザロ』(19)、『ファーザー』(21)、『カモン カモン』(22)などがそんな作品だ。これらの作品は単に話の展開が面白いとか、映像がかっこいいとか、演技が完璧というだけではなくて、観たことも感じたこともない語り口によって、それまで閉じていた自分の五感の扉が新たに開かれたような気にさせてもらえた作品なのだ。そして『彼女のいない部屋』も、そんな稀有な衝撃を受けた1本だ。
本作を楽しむためには、本当は何の予備知識もない状態で鑑賞するのがベストなので、本稿では物語については触れないでおこう。母国フランスでの公開の時も、資料に載ったあらすじは「家出をした女性の物語、のようだ」という1行のみだ。実際に映画の冒頭では、主人公のクラリスが夫と娘、息子の三人を残して家を出るが、その本当の意味は後になって分かってくる。そしてその後も現実と幻想、つまり真実と偽りが、その判別もつかないままシームレスに現れ、観ている私たちの頭の中を混乱させたまま、疑問と謎が積み重なってゆく。
本作を観て感じる不思議な感覚は、その異様な音響設計に依る所も大きいだろう。例えばある場面の台詞が別の場面の人物に関与したり、劇中で奏でられるピアノの音が、場面が変わってもそのまま聞こえたり、点けたラジオの中からその音が聞こえてきたりと、通常では有り得ないかなり攻めた表現だ。しかしそれらの謎と疑問が、まるで濃い霧が一瞬にして晴れ渡るように解消される、そんな場面が用意されている。その瞬間、全ての疑問と謎の意味が一気にはっきりと判明する爽快感と同時に、全く真逆の深い想いが湧き上がり、誰もがアンビバレンツな感情の渦に巻き込まれ、大きく胸を揺さぶられるはずだ。
本作の素晴らしさは、その特異で芸術的な構成と編集、そして微笑ましくもシュールで愛おしいエピソードの数々が単なるギミックではなく、全てが登場人物の想いと結び付き、寄り添った結果として導き出された美しい必然だと思えることだ。もちろんそこにはクラリス役のヴィッキー・クリープスによる、瞳の奥に哀しみを湛えたどこか翳りのある演技も大きく貢献している。ちなみに彼女は今年のカンヌ国際映画祭では、『Corsage』(原題)で「ある視点」部門最優秀演技賞に輝いた、今まさに旬の俳優だ。
監督はフランスが世界に誇る名優であり、ハリウッド大作からアートハウス系まで幅広く活躍するマチュー・アマルリック。監督としても長編6作目の本作で、圧倒的な最高傑作を撮り上げたと言えるだろう。そのめくるめく映像の妙技を劇場で体験して欲しいが、一度鑑賞をしたら、全てを把握した上で是非二度目の鑑賞をお勧めしたい。一度目では気付けなかった伏線や不思議な言動を理解し、登場人物の細かい感情の動きまで手に取るように分かるからこそ、新たな想いを抱きながら見つめ寄り添う、一度目とは全く別の鑑賞になるはずだ。
『みんなのヴァカンス』(20)はギヨーム・ブラック監督の最新作で、『7月の物語』(17)と同様にフランス国立高等演劇学校(通称CNSAD)の学生たちと共に、3週間のワークショップと8ヶ月の準備期間を経て創った作品だ。学生と言ってもCNSADは演技においてフランスでトップクラスの学校で、高い倍率を勝ち抜いて入学し、その演技力に磨きをかけてきた将来有望な俳優の卵ばかりなので、プロの俳優と比べても全く遜色のない演技を見せてくれる。
パリのある夜、フェリックスはアルマと知り合い夢のような時間を過ごすが、翌朝アルマはヴァカンスに旅立ってしまう。恋をしたフェリックスはアルマのヴァカンス先を内緒で訪ねることに決め、友達のシェリフを誘う。二人は黒人同士で、フェリックスはユーモアのセンスがあるが少し強引で自分勝手、シェリフは控えめで心優しい太っちょだ。そんなまるで性格の違う凸凹コンビが、ママに頭が上がらない白人のお坊ちゃんエドゥアールの車に相乗りをして、アルマが家族と過ごしている避暑地を目指す珍道中が始まるが……。
とにかく脚本に非の打ち所がなく、見事な会話劇になっている。メインの三人はもちろん、脇の隅々の役に至るまで、誰もが自分の近くにもこんな奴がいたと思えるような、秀逸な設定のキャラクターが有機的に絡み合い、小粋な人間ドラマを作ってゆく。フェリックスには勝手に恋敵と思い込んでいるキザ男が現れ、アルマには反目し合う姉がいて、シェリフは子連れの若い母親と知り合い世話を焼き始める。またエドゥアールは車が壊れて二人とキャンプをする破目になるが、少しずつ打ち解けて仲を深めてゆく。
まるで隣のテーブルの会話を盗み聞きしているかのような、生き生きとした台詞がいちいち可笑しくて、それがボディブローのように効いて、やがて心に沁みてくる。それはワークショップを通じて学生たちの個性や彼らの実際の経験を監督が共有し、それらを基にこの物語が作られたからこそリアリティーが感じられるのだろう。また本作にはこれ迄にギヨーム・ブラックが描いてきた、お馴染みの要素が盛り込まれている。女の子、もてない男、諍い、水遊び、サイクリング……。その意味で本作は集大成と言えるが、それ以上にその完成度の高さから最高傑作と言ってもいいだろう。
本作では全編に渡って川が象徴的に映し出され、最後は「川よ、教えて。僕らはどこへ向かっているの?」と歌う「ハーレム・リヴァー」で終わる。昔から川は時の流れを表すが、本作はそんな川辺の短い時間を切り取り描写した物語だ。若者たちは限られた時間の中で小さな冒険をして、失敗をして、反省をして、そしてそれぞれ少しだけ成長をする。その背景には差別や階層の違いによる問題が見え隠れするが、語り口は監督自ら言及するエリック・ロメールやホン・サンス作品と共通する軽みがある。
そして最初は全く相容れないように見えたフェリックスとエドゥアールが、少しずつ心を通わせる姿に、寛容さを失ったこの世界に生きる私たちでも、明日への微かな希望を持つことが出来る。何より観終わった後に包まれる多幸感は、何物にも代え難い大きな喜びだ。
(ラティーナ2022年8月)
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