[2023.3] 【映画評】 『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』 ⎯⎯ 荒唐無稽なおバカと人間の深い真理が融合した、心揺さぶる10年に1本の傑作
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』
荒唐無稽なおバカと人間の深い真理が融合した、
心揺さぶる10年に1本の傑作
文●圷 滋夫(映画・音楽ライター)
ダニエル・クワンとダニエル・シャイナート、二人のダニエルが共同で監督をする“ダニエルズ”。彼らの2016年以来久しぶりの、そして待望の新作が遂に公開される。前作『スイス・アーミー・マン』が日本で公開された2017年に、筆者は “アホでシュールで超カルトなのに、哲学的で心温まる王道の感動が溢れ出す、本当に稀有な10年に1本の傑作”として年間ベスト1に選んでいるので、大きな期待に胸を躍らせながらも、一抹の不安を胸に抱えつつ試写に臨んだ。しかし彼らはそんな期待を軽々と跳び超え不安を吹き飛ばし、まさかの一撃を繰り出して来た。それ程の快作にして、怪作なのだ、これは。
本作は日本時間で3月13日に発表されるアカデミー賞に、主要部門を網羅する最多10部門でノミネートされ、既に大本命との下馬評で注目を集めている。さらに本作はここ10年で様々なジャンルの良作を数多く世に送り出し、映画好きの間では安心のブランドとして信頼されているインディペンデント系の製作/配給会社A24が手掛けているが、昨年の公開時にはA24作品史上最高の興行収入1億ドル超を記録し、アートハウス系としては異例の大ヒットとなっている。
先に“一抹の不安”と書いたのは、このメジャー作品級の大ヒットという情報を聞いて、前作で感じたインデイーズ作品ならではの奔放な魅力が損なわれていないだろうか?と勝手に懸念したからだ。しかしそんな心配はすぐに杞憂に終わり、呆れる程に荒唐無稽で大胆な物語と、その真逆の細部に渡る複雑で繊細なこだわり、そしてそれらを絶妙なバランスで行き来しながら一つにまとめ上げ、見事に痛快なエンターテイメント作品に昇華する職人技の演出が冴えまくり、やはり10年に1本の傑作として結実しているのだ。さらに言えば、あらゆる面でパワーアップされているのだから堪らない!
中国からアメリカに移り住んだエヴリンは、頑固な父の誕生会と春節のお祝いを兼ねたパーティーを夜に控えた忙しい最中に、経営するコインランドリーに監査が入り、国税庁へ税金の申告に行かなければならない。娘のジョイを通訳として一緒に連れて行くはずが、恋人のベッキーと現れたジョイと言い争いになり、夫のウェイモンドは優しいけれど、優柔不断で頼りにならない。そして国税庁で監査官のディアドラに詰問されていると、ウェイモンドがいきなり訳の分からない事を言い始める。「自分は別の宇宙からやって来た。君に全ての宇宙を混沌に陥れる強大な悪ジョブ・トゥパキを倒してほしい」と…。
こんなあらすじだけでは、何が何だか分からないだろう。しがない移民のおばさんがコインランドリー店の確定申告を済ますという日常のタスクに、多元宇宙(マルチバース)の全てにカオスをもたらす巨悪を倒すという、想像を絶するミッションがいきなり課されるのだから。映画はほぼ朝から夜迄の1日だけの物語だが、そこにマルチバースを通してエヴリンとその家族の「もしあの時、別の選択をしていたら?」のその後や、人類の起源、そして宇宙の果てのその向こうまでもが描かれる、壮大な世界観を持った作品だ。そしてその背景には、移民やLGBT、世代間ギャップなど、現実的な問題も横たわっている。
別宇宙のエヴリンは映画のカンフースターで、京劇の歌手で、ステーキ屋のシェフで、ピザ屋の店員で、囚人で、人形で、別種類の人類であり、果ては生物が存在しない星の岩石でもあるのだが、彼女は各宇宙の自分の意識とリンクしてその能力を瞬時に取得してパワーアップする事が出来る。そして別宇宙に移動するバースジャンプをするためには、なるべく意味のないバカげた事をするのがその条件になるのだ。いかにもダニエルズらしいこの設定によって、遊び心満載なアホで下ネタ多めのおバカ行動が必然となり、全編に渡って繰り広げられる。
しかしそんなシュールでバカバカしいSFアクションは、やがてエヴリンが自身の内面を見つめ直し、本当の自分と対峙する成長物語と重なり、それは妻と夫、また母と娘の確執についての切ない人間ドラマとなって観る者の胸を揺さぶる。弱くて甘く、頼りないと思っていた夫の生き方の本当の意味を、エヴリンはやっと理解するのだ。そして遂には人間の存在や人生の意義についての哲学的な思考に至り、人間の愚かさと小ささを知る事となる。それはダニエルズが常に立場の弱い庶民の視点に立って、彼らに対するリスペクトを持ちながら、謙虚に人間を描いている事によるのだろう。
実際、全宇宙を救うヒーロー作品でありながら、エヴリンもウェイモンドも特にヒーローらしいスーツに着替えることもなくいつもの服で闘っているのが、かえってカッコイイ(立ち居振る舞いと口調の違いだけで、変身を感じさせるミシェル・ヨーとキー・ホイ・クァンの完璧な演技にも注目だ)。またジョブ・トゥパキの存在も絶対悪ではなく、自身の人生に対する苦痛や罪悪感に悩んでいるようなキャラだ。そもそも闘う相手も皆庶民で、倒して痛めつけはしても決して殺してはいない。中でも当座の最も倒すべき敵とも言える税金の監査官ディアドラは、手の指がソーセージになっている宇宙では、エヴリンと心を通わせる関係でもあるのだ。
そして闘いの全てが国税庁の中で行われるのも面白い。普段は税金に苦しめられている庶民が、他のヒーローものの作品では大都市が破壊されるかのように嫌いな場所である庁舎内を戦場としているのは、ちょっと違和感を感じつつ微笑ましくもある。またディアドラが表彰されたトロフィーを、警備員がバースジャンプのためにケツの穴に刺している姿は、敵ながら庶民が権力側に対して中指を突き立てているようで痛快だ。
映像的には、ダニエルズがこれ迄様々な音楽ビデオ作品などで試みてきたトリッキーで斬新な面白さが遺憾なく発揮され、しかも物語に上手くハマった表現になっている。二人の遊び心も随所に施され、まず本編前に同じ会社の先付ロゴが無数に出てくるのは、マルチバースを暗示しているだろう。悪の象徴であるベーグルは形の通りにスラングで「0」「無」の意味もあり、ジョブ・トゥパキの虚無的な思想を表していて、劇中で様々な円形が何度も登場する。また国税庁のディアドラはデスクに黒猫の写真を何枚も飾っているが、ソーセージの宇宙で彼女の部屋に飾られているのは、白猫とハチワレ猫の絵画だ。
最後に音楽について。本作のスコアはポスト・ロックからポスト・クラシカル、実験的なポップ・ミュージックまで、ジャンルで括るのが難しい独特なサウンドを創り上げる3人組のインディー・ロック・バンド、サン・ラックス/SON LUXが担当し、主題歌「This Is a Life」も彼らとデヴィッド・バーン、そしてA24の傑作『アフター・ヤン』でも魅力的な声を聞かせてくれたMitskiが手掛け、アカデミー賞では作曲賞と歌曲賞の両部門でノミネートされている。
スコアは弦楽器を中心にピアノやエレクトロニクスを融合し、映像に実験性と叙情性を見事に加えている。中でもドビュッシーの「月の光」が大胆にアレンジされて、ソーセージの宇宙のディアドラが、まるで「愛のテーマ」のように足で弾いている(近藤正臣か!www)。しかし実はそれ以前に、エヴリンとディアドラが対決する場面でも「月の光」のメロディーの様々な断片が引用されたスコアが何度も流れていて、その後の二人の仲を暗示するという実に上手い使い方をしているのだ。特にエヴリンが初めてバースジャンプを成功させる時の「愛してる」のセリフのバックでは、「I LOVE YOU」という歌詞を乗せた断片が流れている。
現時点ではアカデミー賞で何部門受賞するかは分からないが、たとえ何部門であっても10年に1本の傑作である事に変わりはない。必見の1本だ。
(ラティーナ2023年3月)
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