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[2021.02]映画『すばらしき世界』

文●圷 滋夫   text by SHIGEO AKUTSU

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林正樹インタビュー


様々なジャンルでマルチな活躍を見せるピアニスト、
林正樹が西川美和監督の最新作『すばらしき世界』で
初めて映画音楽を手掛け、そこから見えてきたものを語った。

 林正樹は、椎名林檎から渡辺貞夫、菊地成孔、小野リサ、川井郁子、つまりJ-POPからジャズ、ブラジル音楽にクラシックまで、様々なジャンルの名だたる音楽家から指名を受け、ライブのサポート・メンバーやレコーディングで八面六臂の活躍を見せるピアニストだ。さらに自身がリーダーのプロジェクトでは、ジャズを基盤にしながらソロ、デュオ、グループと多角的なアプローチによって全く独自の音世界を追求している。
 その凛とした透明感を湛えながら優しく琴線に触れる繊細な音は、聴く者に映像を喚起し様々なイメージが膨らんでゆく。そのため以前より林正樹が音楽を手掛ける映画を観たいと切望していたのだが、その想いが西川美和監督の新作『すばらしき世界』で遂に実現した。

—— 今回の話が実現した経緯を教えて下さい。 

 本作の音楽プロデューサーを務めているのが、主にCM音楽の制作をしている福島節さんという方で、僕はCMの仕事をご一緒した関係で福島さんから声を掛けていただきました。以前福島さんが西川監督とやはりCMの仕事をした時に、監督の結構な無茶ぶりに何とか応えて気に入って貰ったみたいなんですが、そんな監督の要望には決まった工程できっちり仕事を進めるタイプよりも、柔軟に対応出来るタイプがいいのと、監督が細かいニュアンスにも拘るので、演奏も出来る作曲家がいいと考える中で、僕の事を思い出してくれたみたいです。

—— 福島さんから依頼があったのはいつ頃ですか? 

 2019年の11月でまだ撮影をしている最中だったので、最初は脚本を読んで作品の内容を知りました。

—— 音楽の方向性については、最初にどんな話を監督としましたか? 

 初めは監督の中でもまだ漠然としていたようで、具体的なリクエストは特に無かったんですが、色々と話した中で印象に残ったのは、仕事馴れした職業作曲家のような有りがちな音ではなくて、その人の個性がしっかり感じられる音にしたいという事と、ハリウッドのメジャー作品のようなオーケストレーションによる派手な音ではないという事でした。それを聞いて、自分のカラーを前面に出しても大丈夫なのかなと、安心したのを覚えています。

—— その後はどのように進めていきましたか? 

 クランクアップ後の2020年1月末か2月頭に映像を見て、まずは具体的なシーンを想定せずにテーマ曲を作るようなつもりで作曲を始めていきました。それから監督が編集をするのと並行して、映像に合わせて音楽を微調整して、アレンジを加えて雰囲気を変えたり、シーンに落とし込む作業を進めました。あとこれは福島さん個人の案か監督との共通認識かは分かりませんが、実は当初、場面別に何人かの作曲家に依頼する予定だったのが、打ち合わせを進める中で変わっていって、最終的に1曲を除いて全て任せて貰える事になったので、それはとても嬉しかったですね。

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—— 映画の前に舞台作品の「書く女」(2016年作演出:永井愛 主演:黒木華)と「オーランドー」(2017年 演出:白井晃 主演:多部未華子)で音楽を担当していますが、その時の経験は今回の仕事に活きていますか?

 2作品とも音楽は生演奏で「書く女」は即興の要素も多かったので、作業工程はかなり違いますが、まずは演出家の意向に添いながら自分のカラーをいかに出すかというアプローチは映画と共通していると思います。何より他ジャンルとのコラボレーションを経験したことは、映画を手掛ける上でも自信になりました。

——レコーディングではどのようにメンバーを集めたんですか?

 9割くらいの演奏家は自分で決めて声を掛けさせてもらいました。チェロの徳澤青弦さんとかディジュリドゥーのアンディ・ベヴァンさん、ベースの西嶋徹さん、ドラムの大槻カルタ英宣さん、打楽器のクリストファー・ハーディーさんと相川瞳さん、和太鼓のはせみきたさんなど、前から一緒に演奏をしていて、気心の知れた仲間です。あと監督が使いたかったジャズのスタンダード曲があったんですが、権利の関係で使えなかったので、自分がオリジナルで作曲しました。その英語の歌詞を書いてくれたのが、一昨年一緒にアルバムを作った歌手のakikoさんです。

—— 残りの1割は?

 まず、そのスタンダード風の「Love Lost in Heaven」を歌ったリディア・ハレルさんですね。彼女はアメリカ在住で、その頃アメリカではコロナで外出禁止になってしまいスタジオに行けなかったので、自宅のクロゼットにこもって自分で録音した音源を送ってもらいました。彼女にはもう1曲のヴォーカル曲「カヴァレリア・ルスティカーナ」も歌ってもらう予定で、彼女のために日本で仮歌を録音しようって話になった時、僕が思い浮かべたのは神田智子さんだったんですが、偶然福島さんも同じ事を考えていたので、福島さんに呼んでもらいました。そしていざスタジオで神田さんと演奏を始めたら、その場の空気が変わって全員「これだ!」ってなって、監督がもうその場で「神田さんで行きましょう!」と決めてくれました。

——アメリカでのコロナの話が出ましたが、日本でも影響はありましたか? 

 世間的にもコロナの影響が出始めていた頃でしたが、レコーディングは緊急事態宣言の直前でした。それでも想定していたアンサンブルの人数を減らしたり、一発録りの予定をダビングで多重録音にしたり、リディアさんの他にもリモートで録った人がいましたね。ただその分しっかり打ち合わせをして、監督にも毎回参加してもらって確認しながら進められたので、なんとか乗り切れました。あと他の仕事がコロナの影響でかなり延期や中止になったので、その分映画の作曲に集中出来たのは不幸中の幸いでしたね。

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——色々と大変だったようですが、やり終えた時はどのように感じましたか?

 実は映画音楽は夢の一つとして以前からやりたいと思っていたので、福島さんからは事前に「大変ですよ」と聞いていましたが、実際にやったら楽しさしかなかったですし、終わった時の達成感もとても大きかったです。しかもこんなに素晴らしい作品ですし、エンドロールの中に自分の名前を見つけた時の嬉しさは、本当に格別でした。それに普段からライブで一緒に演奏して高め合っている仲間に集まってもらい、スタジオでいつもとは違う形の音に発展させることが出来たのも良かったですし、そんな皆の名前も全員エンドロールに並んでいたので、とても幸せな気持ちになりました。

—— 映画音楽という新たな体験を通して、自分の中で何かが変わったと思う事はありますか?

 これ迄の自分の作品では絶対に無かった事なんですが、今回「Wormhole」という曲は自宅のピアノを使っています。実はこの曲だけエレクトロニクスを加えていて、自分で作ったデモにたまたま薄くノイズや時計の音まで入っていたんですが、それを監督に聞かせたら「これでいい!これがいい!」と言われて、そのまま使う事になって驚きました。あと先日、三宅純さんがTOKIONのために書き下ろした楽曲「Undreamt Chapter」という作品でピアノを弾かせてもらったのですが、コロナ禍なのでこれも自宅のピアノでリモート録音しました。音に対する厳しい拘りで有名な三宅さんからOKを貰ったという事もあり、今まで自分の中で相当気にかけていた“美しい音”の基準が変わりつつあるのを感じています。

—— 演奏面ではいかがですか?

 これまでの演奏は全てを出し切るのではなく、自分の中である程度抑制した中から出したい音を選んで鳴らしていましたが、コロナの自粛期間と本作の仕事の後で久しぶりにライブをやったら、前よりも演奏がエモーショナルになっていたんです。長い間人前で演奏出来なかったという事もありますし、本作をやり終えた事も一つのきっかけになっていると思いますが、自分のエモーションを抑制しない感覚が今も続いていて、最近は「全部出し切ろう」という気持ちになっています。

—— どちらもとても大きな変化だと思いますが、その感覚は新しく6人編成の「林正樹グループ」を始動させた事に関係しているのでしょうか?

 それは具体的にはよく分かりませんが、今までであれば「ソロかデュオでもいいかな」と思うようなアイディアでも、「もっと大きな編成で、もっと多くの人に伝わる音楽にしたい」と思い始めているのは確かです。

—— 分かりました。それではこれからの活動を通じて、「美しい音の基準」や「全部を出し切る感覚」について、自分がどう変わったかを確かめそれを音で表現してゆく、ということですね。今後もますますのご活躍を期待しています。今日は長い時間ありがとうございました。 

 ありがとうございました。

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インタビューを受ける林正樹

 『すばらしき世界』のサウンドトラックは、自ら奏でるソロピアノをメインに紡ぎ出した音が、声高に主張することなく映像が醸す空気を淡く彩り、役所広司演じる主人公三上にそっと静かに寄り添い、そして彼の心の真ん中にある無垢な純情を表現する。またチェロ独奏から小規模編成にラージ・アンサンブルまで、様々な楽器の組み合わせ(ピアノを含まない曲も多い)で奏でる音楽は、林のこれ迄の集大成であると同時に、インタビューで語った“エモーション”の萌芽を感じさせる瞬間もあり、新たなステップへの扉だとも言える。
 特に『レイジング・ブル』(1980年マーティン・スコセッシ監督)や『ゴッドファーザーPartⅢ』(1990年フランシス・フォード・コッポラ監督)でも知られる「カヴァレリア・ルスティカーナ」は、林のアレンジで全く新しく生まれ変わり、その後半のECMを思わせる即興によるエモーショナルな旋律は、純真過ぎる心が社会に呑み込まれてしまう三上の生き様に重なり、哀切極まりない。
 以前からの夢の一つだった“映画音楽作曲家”という肩書きを手にした林正樹は、言葉では言い表せない心の襞に分け入るような三上の想いを、その音楽によって本作にまとわせているのだ。今後は映画音楽作曲家としての林正樹にも注目していきたい。

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※2021 年 2 月 11 日(木・祝)全国公開
配給:ワーナー・ブラザース映画
©佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会
https://wwws.warnerbros.co.jp/subarashikisekai/

『すばらしき世界』

 主人公の三上(役所広司)は、純粋で情に厚くて正義感が強い。そして明るく涙もろくて、花を愛でる優しさも持ち合わせている。しかし同時に直情的で激しやすいため、結果的に殺人を犯し人生の大半を刑務所で過ごしてきた。そんな三上が出所し、世間の厳しい視線に晒されながら新たな人生をやり直そうとする。そして幼い頃に生き別れた母を探そうと、テレビ番組に連絡した事で、番組制作会社を辞めたばかりの津乃田(仲野太賀)と知り合うが……。

 西川美和監督の5年ぶりの新作は、まるでフーテンの寅さんのように人懐っこくて社会の規範から外れた豪快さを持つ三上が、実社会で平穏に生きて行く困難を透徹したまなざしで描いている。今や世間はたった一度の失敗で叩きまくり、ましてや前科者となれば同調圧力の壁となって立ちはだかる。国が用意した福祉の助けも、不備と言ってもいい程のシステムの煩雑さがあり、それは今、コロナで喘ぐ多くの人々が経験している問題と同じだろう。
 それでも三上の周りには味方となる人たちが少しずつ集まり、彼らとの交流から新聞やテレビのニュース、ツイッターの140字では分からない、三上の内面に宿る孤独と悲しみ、そして喜びが浮かび上がる。しかし世間一般では、三上が倒れた時に頭ごなしに叱りつける医者や、車の免許更新の時に冷たく突き放す警官が正しさの象徴であり、三上が心を通わす前科者で障がいを持った介護士や被災者と思われる水商売の女性の優しさや暖かさは、見えないものとされ弱い立場へと追いやられてしまう。

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 中でも絶妙な立場にいるのが、三上に寄り添う津乃田だろう。最初は長澤まさみ演じるやり手の、そして三上を視聴率の数字としか見ていない局のプロデューサーによる、無職になった津乃田の弱みに付け込んだパワハラまがいの依頼を渋々引き受ける。しかし津乃田は元殺人犯に密着するというその仕事を通じて三上の人柄に触れ、やがて自分の態度と将来を見つめ直し、真摯に三上と向き合うようになる。その視線は最も観客に近く、社会的なイシューが取り上げられた事に共感するその先に、津乃田の変化と成長が三上の運命に交差する事で観客は強く胸を揺さぶられるのだ。

 本作は佐木隆三のノンフィクション小説「身分帳」が原案だが、西川監督が自分以外の書きものを原案にするのは初めての試みで、これは新境地と言えるだろう。これまでの西川作品は、個人の心に生まれた小さな違和感をその内面にまで潜り込んで丁寧に掬い取り、それが社会の中で引き起こす化学反応と心の奥底の葛藤を、対人関係のドラマとして描いて来た。しかし本作では個人と社会を巡る関係の中で、逆に社会のシステムや空気感が弱い立場の人間に及ぼす影響を、深いドラマとして鮮やかに描いている。

 このベクトルの反転は単純に新境地と呼ぶ以上に、後に監督のフィルモグラフィーを振り返った時、大きな転換点となっている可能性もあるはずだ。ちなみに社会的な鋭い視点を持って活き活きとした人の営みを描いた作品は決して珍しいものではないが、本作には適度な笑いとサッカーの場面もあり、それが作品の特徴でもある名匠ケン・ローチ監督の、例えば『わたしは、ダニエル・ブレイク』や『マイ・ネーム・イズ・ジョー』を思い出す。そして作品の土台となるような骨太な社会性を獲得した西川監督が、カンヌ国際映画祭最高賞パルムドールを二度受賞したローチ監督のように、いつかその手にパルムドールを掲げる日も夢ではないのではないだろうか。

 最後に、この『すばらしき世界』というシンプルなタイトルが文字通り美しい世界を表すのか、それとも強烈な皮肉に満ちたものなのか、それは是非劇場で確かめて欲しいが、何れにしてもそれが本編で出てくる絶妙なタイミングに思わず唸らされた。そして嵐の中に忘れ去られ暴風雨に揺れる真っ白なランニングシャツが、まるで三上の無垢で孤独な純情のようで、その映像が深く胸に刻まれ、頭の中でGIF画像のように繰り返される。

(ラティーナ2021年1月)


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