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[2022.12]【連載シコ・ブアルキの作品との出会い㊲】規制されたが、体制批判が理由ではなかった歌 — Partido alto

文と訳詞●中村 安志 texto e tradução por Yasushi Nakamura

 今回は、サンバの中でも高い水準のリズム、Partido Altoをタイトルもそのままにしたシコの名曲ですが、政権を批判する内容になっているにもかかわらず、検閲官がその点はさておいて、言葉使いが低俗的だという理由を挙げて注文をつけたという曰く付きの曲です。
 これも、外交官として長くブラジルに滞在した中村氏だから書ける、知っていたら100倍もその深さが楽しめるエピソードです。お楽しみ下さい。

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編集部

 シコ・ブアルキは、軍政を批判する作品の数々を当局から規制されましたが、中には、政治批判を狙った曲であったにもかかわらず、異なる理由で禁止を言い渡されたこともあったようです。今回は、そのような例として、シコが1972年に出したPartido altoという曲をご紹介します。

 60~70年代に急速に進んだ開発の中で、昔からのブラジルの風景が変わり果てていく様を描いた「Bye bye Brasil(ブラジルよさらば。シコがテーマ曲を担当。)」などの名作で知られる映画監督カカ・ジエゲスについて、この連載でも何度かご紹介しました。このPartido altoという歌は、ジエゲス監督の1972年の作品で、カーニヴァルでのお芝居を準備していた旅芸人一座が被るさまざまな試練を描いたミュージカル映画「Quando o carnaval chegar(カーニバルになったら)」の中で歌われるサンバとして、シコが制作したものです。

 タイトルとなっているPartido altoとは、サンバの中でも高い水準のリズムの打ち方を意味する言葉から派生した名称です。伝統的なPartido altoでは、8小節(歌詞対訳の中で示す●行ずつ)のかたまりごとに、歌い手が入れ替わり、即興で歌詞を歌っていくという決まりがあるようですが、シコ・ブアルキは、この形式を維持して歌を完成させており、レコード録音でも、4人組コーラスのMPBクアトロの各メンバーが、順次交替して歌っています。

↑MPB4による後年のライブ演奏

 歌詞は、主人公が一人称で語る独白で占められ、リフレインとなる「神は与えてくれる・・・」という台詞を繰り返しては、その後の同パターンの8小節において、自分の身上や不満について更に語り続けていきます。自分の身の上について、ああだ、こうだと語る一方で、世の中の政治がどうだといった言葉は入っていないのですが、結局のところ、格差社会において貧しさに耐えながら暮らす主人公の姿を通じ、世情や、民衆の抱える不満が聞こえてくるイメージになっています。

 しかし、当時この歌の歌詞を審査した検閲当局の担当者は、必ずしもシコの歌によく見られる政権に対する挑発に目を奪われていた訳ではなく、歌詞に用いられている言葉の一部があまりに低俗的であることを問題視しました。「ブラジル人と呼ぶには相応しくない」といった問題意識を記して提出された、当時の意見書が残されています。

「Partido altoの審査で出された検閲官の意見書の1つ。
政治的批判という理由ではなく品格を問題視して描かれている。」

 軍政時代のブラジルでは、ポップ・ミュージックの歌詞を厳しく検査する検閲当局が、「このままでは禁止だ」といった所見を示してくるのに対し、レコード会社は、首都ブラジリアで弁護士を常任で雇っており、この弁護士が当局と交渉した上で、レコード発売許可を得るためのいわば落とし所を探るという駆け引きがよく行われていたといいます。
 この曲については、歌を禁止しない条件として、次の2つの単語について修正をするのであれば認める、というところに最後絞り込まれたそうです。また、後年シコが行ったインタビューによると、検閲官は、「あのConstruçãoのような美しい曲を作り出した君(シコ)が、糞と言うなど、あまりに下品な言葉を作品に入れていいのか」と、わざわざシコ本人に質してきたのだそうです。

(1)titica(大便) →  coisica(物)に修正
(titicaという言葉では、あまりに下ネタであるとの指摘。)

(2)brasileiro(ブラジル人) →   batuqueiro(打楽器奏者)に修正
(元の歌詞では「みじめなお腹の中で、俺はブラジル人に生まれた」とあったところ、「ブラジル人に生まれた」とすることは、本来品性のあるべきこの国に対し自虐的であり、打楽器奏者に生まれたという表現に訂正せねばならない、という指摘。)

 シコ自身、下書きを重ねた形跡があり、手書きのメモが、ジョビン財団に保存されています(写真)。このほか、軍政批判を込めていると解される典型的な箇所として、E aquele abraço pra quem fica(残ったやつにはあの抱擁を)という部分は、実際に軍警察に逮捕監禁された後、釈放されたジルベルト・ジルが、出所後最初に歌ったとされるAquele abraçoという歌を想起させていることも、ブラジル人の間では暗黙に理解されるようになっています。


「シコが残した、Partido altoの歌詞下書きのメモ。」

 なお、ピエール・ヴァシリウというフランス人によって、この歌の仏語版も作られてましたが、歌詞の中身はかなり変更されており、繰り返し「これは誰?」と問いかける内容になっています。

  ↑フランスのピエール・ヴァシリウが作った替え歌。
 タイトルはQui c'est celui-là(こいつは誰だ?)

著者プロフィール●音楽大好き。自らもスペインの名工ベルナベ作10弦ギターを奏でる外交官。通算7年半駐在したブラジルで1992年国連地球サミット、2016年リオ五輪などに従事。その他ベルギーに2年余、一昨年まで米国ボストンに3年半駐在。Bで始まる場所ばかりなのは、ただの偶然とのこと。ちなみに、中村氏は、あのブラジル音楽、ジャズフルート奏者、城戸夕果さんの夫君でもあります。

編集部

(ラティーナ2022年12月)


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