[2011.02] カンドンベの職人〜フェルナンド・ロボ・ヌニェス インタビュー〜
文●西村秀人、谷本雅世 / 写真●谷本雅世
texto por HIDETO NISHIMURA y MASAYO TANIMOTO / fotos por MASAYO TANIMOTO
アフロ・ウルグアイ音楽カンドンベのリズムを形づくるのはチコ、レピーケ、ピアノという3種のタンボールが編み出すリズムである。そのタンボールのもっとも優れた作り手の一人であり、自らも演奏する名手ロボ・ヌニェスの2009年のインタビューをお届けする。彼は昨年ウーゴ・ファトルーソと共
に初来日を果たしたレイ・タンボールのメンバーであるヌニェス兄弟の父でもある。
▼
⎯⎯ お生まれは?なぜ楽器製作を?
ロボ・ヌニェス 生まれたのは1956年、この家のまさにこの場所だ。1837年に私の祖先がここに住みついてからずっとここで暮らしている。今ではこの地区で一番古い家になった。これまで私はいくつかの職業についたが、より自由な生活をするために音楽の演奏と太鼓の製作にたずさわってきた。子供の頃、私は海の向こう側は何だろう? って思いながら地平線を眺めるのが大好きだった。でも今は後ろを振り返ることも重要だと思っている。 私の祖先たちは奴隷という厳しい環境の中で、自分が何ものであるか、どこから来たか、振り返ることを許されなかった。私たちは今それが出来る。その方法として音楽や楽器の伝統を守っているのだ。
⎯⎯ いい太鼓を作る秘訣は?
ロボ・ヌニェス 秘訣はないけど、どの大きさでどういう形にしたらいい音がするかわかるのは、やはり私のような演奏もする人間の方がいいだろうね。元大工が仕事の合間に作ったタンボールだったりするとやっぱり音が違う。
⎯⎯ タンボールの材料は?
ロボ・ヌニェス 今は実験的にいろいろな木材を使うけど、伝統的に使うのは松の木。「ピノ・ブラシル」と呼んでいるアマゾン地方の松だ。強いけど軽いからね。皮は昔も今も牛だね。ただしチコとレピーケとピアノでは皮の大きさだけではなく、厚さも異なる。
⎯⎯ アフリカ大陸に行ったことは?
ロボ・ヌニェス 一度だけダカールに行ったことがある。私にとってアフリカは自分のルーツだから、帰る時に大地にキスしてきたよ。私はアフリカ人ではないけど、その文化を受け継ぐものだからね。
⎯⎯ どのくらいのペースでタンボールを作るのですか?演奏活動は?
ロボ・ヌニェス 考えたことないなあ‥‥‥決めてないしね。それだけで生活していくには月30本ぐらいは作らなくてはならないはずだけど、売れるのは5つとかそのくらいだね。実際楽器を作って、音楽を演奏するだけで生活するのは難しい。文化的な遺産なのだから、公的な支援があるべきだと思うけどね。私は幸運にもウルグアイのさまざまな有名な演奏家と共演する機会も得たし、海外公演にも行けた。今は自分のグループ「カレンダ」でも活動している。
⎯⎯ 昔のカンドンベは地区によってリズムが異なっていたそうですが?
ロボ・ヌニェス 初め黒人たちは南の方に住んでいたが、その後徐々に広がっていった。その中でも黒人が集中して住んで、カンドンベが盛んだったのはパレルモ地区だ。パレルモのリズムはピアノのリズムが異なる。でも違いはそれだけだよ。
⎯⎯ あなたが生まれてからもカンドンベに変化はない?
ロボ・ヌニェス リズムは同じだ。タンボールの作り方はだいぶ変わった。タンボールを作るスピードも早くなったね。昔は樽からタンボールを作っていたけど、今は板から曲げて作っていくので技術も基本的に違う。これは学校に行ってもわからない。口から口へ伝えられるだけだ。作る道具も自作が多いしね。私の楽器作りの分野では、多国籍企業と張り合う必要がないのはありがたいね。管楽器やキーボードなら日本製が世界で一番だろうけど、タンボールは私のものが世界一だ。
⎯⎯ところで「ロボ」という仇名はどこから?
ロボ・ヌニェス 私の父はサッカーなどを通じて地域をまとめる役割を担っていた人物で、社会活動もよくやっていた。西の海岸の方に家を持っていて、そのすぐ先にあざらし(ロボス・マリース)が集まる島があったんだ。父はあざらしに餌付けをして育てていて、それで私は子供の頃から「ロビート」と呼ばれたわけだ。よくロボ(狼)は猟師とか女たらしとかの意味に使われるけど、そっちじゃないんだ。でも現代社会で音楽と楽器作りだけで暮らすっていうのは、大昔に猟で自活していたのと同じようなものだね(笑)。社会保障も保険も年金もないわけだし。
⎯⎯ 最近、カンドンベを取り巻く状況は変化しましたか?
ロボ・ヌニェス カンドンベに参加する人の数は増えているし、以前よりアフロ・ウルグアイ文化は栄えている。でもそこに参加するのは白人の方が多いんだ。我々アフロ系は10%にも満たないマイノリティだからね。でもかつて差別されていたカンドンベがウルグアイ社会に固有のものとして広く認められるようになった証でもあるんだ。
ロボ・ヌニェスが1982年に結成した「ラ・カレンダ」を母体に、
若手が中心となってカンドンベの新しいサウンドを試みたグループ
「ラ・カレンダ・ビート」の自主製作盤
(月刊ラティーナ2011年2月号掲載)
ここから先は
世界の音楽情報誌「ラティーナ」
「みんな違って、みんないい!」広い世界の多様な音楽を紹介してきた世界の音楽情報誌「ラティーナ」がweb版に生まれ変わります。 あなたの生活…