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[2022.5] 【連載 アントニオ・カルロス・ジョビンの作品との出会い㉓】ドラマ放映に間に合わなかった歌詞 - 《Anos dourados》

文と訳詞 : 中村 安志  texto por Yasushi Nakamura 

中村安志氏の好評連載記事「アントニオ・カルロス・ジョビンの作品との出会い」と「シコ・ブアルキの作品との出会い」は、基本的に毎週交互に掲載中です。いずれもまだまだ興味深いお話が続きます。今回はジョビンとシコのエピソードから。来週のシコについての記事もお楽しみに!

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 ブラジル最大手テレビ局のグローボ(TV Globo)は、ブラジル全国のお茶の間に向けた数々のテレビドラマを生み出していることでも知られます。日本でもどこかで用いられた「テレビ小説」のような意味の「Tele-novela(テレ・ノヴェーラ)」という名称で広く知られ、高い人気を誇り、同じ言語圏のポルトガルにも輸出されてもいます。

 この連載の20回目でご紹介したガブリエラのように、ジョビンがテーマ音楽を作曲したテレビドラマには、このほかにも例えば、「O tempo e o vento(時と風)」という、ブラジル南部リオ・グランデ・ド・スル州の文豪エリコ・ヴェリッシモの長編小説をもとにしたもの(1967~68年)などが有名です。81年には、「Brilhante(輝けるもの)」というドラマの主題歌として、主演女優ヴェラ・フィッシェルに捧げる形で、ジョビンがラブソングの「Luiza」を提供するといった事例もありました。

↑ドラマBrilhanteのオープニングに流されたジョビンの名作「Luiza」

 ジョビンは、比較的晩年にも、「Dono do mundo(世界は私のもの)」という、社会を支配する富裕層の傲慢ぶりなどを描いたドラマ(1991~92年)の主題歌(「Querida」)を制作しました。更に、これより少し先立つ1986年の5月、3週間程度の短い間放映された「Anos dourados(黄金の年月)」というドラマがあり、これは、若き女性ルルジーニャと軍人養成校に通う青年マルコスの一目惚れの交際を断固拒絶する両家の親たちとの対立を描き、思い切って首都がブラジリアに移転されるなど、物事がどんどん急に進んでいく50年代後半という時代において、ブラジル社会における古い慣習などとの確執を考えさせたとも評される、非常に人気の高い短編でした。主題歌は ジョビンに事前に委嘱されましたが、一緒に付されるはずだった歌詞が完成せず、放映までに間に合わなかったという、不思議な境遇を辿った曲です。

↑ドラマ「Anos dourados」のオープニング

 世界のあちこちにおいてボサノヴァの生みの親の一人として知られるジョビンですが、この曲は、伝統的なボレロに近いスタイルをとり、ゆったりとしたラブソングに仕上げており、そこからまた、とても温かい響きが聞こえてきます。放映後に完成した歌詞も、過ぎ去った苦い過去に対するやるせない気持ちを思い出しつつも、叶わなかった過去の思いに胸を痛めるかのような、素敵な詩情をたたえています。

 作詞のパートを託されていたのは、ここでも、ジョビンの盟友として筆頭に挙げられるシコ・ブアルキでした。この才能高きシコといえども、注文された歌詞を期日までに仕上げることができない事態は、実は何度も起きているのだそうです。

 大御所レベルでの1件として、アルゼンチンの至宝アストール・ピアソラのメロディーに歌詞をつけると約束していたが、果たせなかったという話が有名です。70年代前半ピアソラが依頼を出したものの、シコが何ら対応しないまま随分と経過した80年代半ば、ブラジルのテレビで人気を博していたカエターノ・ヴェローゾとシコの共演番組に、ピアソラが特別ゲストとして参加することになったところ、シコはようやく、あの曲に歌詞をつけると約束します(もっともその時点で、依頼された曲のメロディーすら記憶がおぼつかなたったとも言われています)。

 ピアソラの側も、この言葉によしと意気込み、古いテープを起こし、改めてアレンジを開始。しかし、面会することを約束していたスタジオに、「サッカーの試合から抜けられない」との理由でシコが来ることができないと知らされたピアソラは、非常に気分を害し、ピアソラと親交が厚かったジョビンが間をとりなすのに苦心した、と伝えられています。

↑人気番組「シコ&カエターノ」に出演し、名曲「Adiós Nonino」を
演奏するピアソラ

 かくして、ドラマ「Anos dourados」のテーマソングは、番組放映の段階で歌詞のないままインストゥルメンタルで流れることとなり、歌詞の付いたバージョンは、後年になって、ジョビンが自身のアルバムで収録し世に出すこととなりました。ユーモア豊かなリオっこがよく使う言い方なのかもしれませんが、シコは、「自分が遅かったのではない、ドラマのほうがあまりに拙速に早く放映されてしまったのだ」と言い訳をし、周囲を苦笑させたのだとか。

 2004年7月、シコの甥であるゼカ・ブアルキが率い開かれた、シコの過去の作品などを扱う展覧会において、この「Anos dourados」の歌詞をシコがタイプライターで試行錯誤しながら、ほぼ完成に近づいていたと思われる下書きが展示されました。これを見た人物からは、定冠詞と不定冠詞のどちらを使うか1つについても繰り返し悩み、なかなか結論が出なかった様子が窺えるといった話が語られています。巨匠ピアソラを長く待たせた上、結局約束を果たせなかった未完成の原因は何だったのかは、未だ明かされていません。

展覧会『シコ・ブアルキ、その時とそのアーティスト』
の様子を伝える報道の一部

 なお、この曲は、メロディーについても受難の経緯があり、「この曲は、私がそれよりも前に作った《Meus amigos》という曲の盗作である」と主張するマリア・ロボという女性(宗教音楽を専門とする作曲家)から訴訟が提起され、1994年になってジョビン側が無罪判決を勝ち取り、ほっとするという流れもあったそうです。もっとも、悲しいことにこの94年は、12月にジョビンがその生涯を閉じることとなった年でした。

↑ジョビンとシコが歌う、歌詞完成後のバージョン

著者プロフィール●音楽大好き。自らもスペインの名工ベルナベ作10弦ギターを奏でる外交官。通算7年半駐在したブラジルで1992年国連地球サミット、2016年リオ五輪などに従事。その他ベルギーに2年余、一昨年まで米国ボストンに3年半駐在。Bで始まる場所ばかりなのは、ただの偶然とのこと。ちなみに、中村氏は、あのブラジル音楽、ジャズフルート奏者、城戸夕果さんの夫君でもありますよ。

(ラティーナ2022年5月)


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